やっぱり狂信者だった
もしかしたら夜通しで掃除を行い続けたのではないか? そう思う程綺麗に、まるで新築かと思う程綺麗に清掃された屋敷の前には、アルベルト公爵家に仕える使用人の殆どが集合している。
リリアさんを中心に門から屋敷の玄関までに綺麗に整列している光景は、これからここを訪れる存在がいかに重要な相手であるかを示しているかのようで、漂う空気もピリピリと肌を刺す様な緊張感に包まれている。
今日は火の月7日目、時刻は間も無く正午――もうすぐここにクロがやってくる。
昨晩は言っていた用事のせいか、今日訪れる事になるからかは分からないが、クロが俺の部屋に現れる事は無く、そのせいもあってなんだか俺も緊張している。
静かな沈黙に支配された空気の中、手元の懐中時計に目を移す。秒を刻む針が一周し、時刻が正午を指示した瞬間――空気が変わった。
「ッ!?」
例えるのならそれは、周囲の空気が突然鉛か何かに変わったかの様な……全身にのしかかる重圧。
視界の先の景色が蜃気楼の如く揺らぎ、大きく開かれた門の前にクロが現れた。
見慣れている筈の黒いコートに身を包んだクロの表情は、今まで目にしていた無邪気な笑みでは無く、纏う雰囲気も普段とは違う。
自然とリリアさんや俺達を含め、周囲にいる人間は首を垂れ、まるで周囲の空間全てが平伏しているかのように音が消え失せ、静寂の中でクロの足音だけが響く。
銀白色の美しい髪が日の光を受けて煌き、金色の瞳が静かに前だけを見つめる。
それは正しく――王の行進だった。
配下は一体も連れず、単独での行進の筈なのに、まるで何万もの軍勢が進んでいるかの如く凄まじい存在感と威圧感。
門から玄関まで歩くほんの十数秒。俺達は目を逸らす事も、言葉を発する事も出来ず、呼吸すら忘れ、悠然と歩を進める絶対者の姿に見入ってしまう。
そしてクロは深く頭を下げているリリアさんの前に立ち、静かに口を開く。
「急な来訪になっちゃってごめんね。アルベルト公爵」
「い、いえ……ようこそ、おいで下さいました。冥王・クロムエイナ様」
「うん。さっそくで悪いんだけど、ゆっくり話したいし、中に入れてもらっても良いかな?」
「勿論です。どうぞこちらへ……」
穏やかながら確かな威厳を感じる声でリリアさんと挨拶を交わし、そのままリリアさんに案内されてクロは屋敷の中へと歩を進めていく。
小さめの応接室ではなく、綺麗に飾り付けられた大広間へと移動し、中にはリリアさん、ルナマリアさん、俺と楠さんと柚木さん、それから数人の使用人だけが入り、大きな扉が閉められる。
圧倒的な存在感を放つクロの姿は、普段とはまるで違い大きな筈の部屋さえ狭く感じる程で、俺は今まで見た事がないクロの姿に戸惑いながら、彼女の方に視線を送る。
するとクロと目が合い、クロは俺を見ていつもの明るい笑顔を浮かべ、直後に重くのしかかっていた重圧が消えた。
「どうだった、カイトくん? 真面目モードのボク! カッコ良かったでしょ!!」
「……」
台無しである。大事な事なので二回繰り返すが、台無しである。
さっきまでの威厳ある姿を見て、ああ、流石は冥王なんだと思っていた俺の尊敬の気持ちを返してほしい。後ドヤ顔がいちいち可愛いのが腹立つ。
ともあれクロは真面目モードとやらから、通常モードに戻ったみたいで、いつもの様に明るい笑顔を浮かべながら俺に話しかけてくる。
そしてその豹変ぶりに唖然としながらも着席を勧めたリリアさんの言葉を受け、大きなテーブルの前の席に座り、俺の方を見て隣の席をポンポンと叩く。
「カイトくん、ここ、ここ」
「……えと……うん。分かった」
どうやら隣に座れと言っているらしく、俺はどうしていいか分からずリリアさんの方に視線を送るが、リリアさんは無言で頷く。
これはつまりクロの意向に従ってくれという事だろう。そう認識し、俺はクロに従い隣の席に座る。
さて、どうした物か……こうして普段通りの様子に戻ったって事は、たぶん敬語使って話しかけたりすれば拗ねるのは間違いないし、普段通りに話す方がいいのかな?
「クロって、冥王だったんだな……」
「あ~それなんだけど、周りが勝手に呼んでるだけで、ボクはそんなの一度も名乗った事無いんだけどね~」
「確かに何か、イメージと合わない気がする」
「あはは、だよね~」
いつも通りクロに話しかける俺を見て、リリアさんが真っ青な顔を浮かべていたが、クロの方は気にした様子もなく明るい笑顔で言葉を返してくる。
そしてそんなクロの前に、ルナマリアさんが酷く緊張した様子で紅茶の入ったカップを運んでくる。
「め、冥王様……お、お茶を……」
「ありがと~って、あれ?」
「ッ!?」
ルナマリアさんが置いた紅茶を見て、クロはお礼の言葉を口にした後、ルナマリアさんの顔を見て首を傾げる。
その様子を見てルナマリアさんは、何か粗相でもあったと考えたのだろうか、慌てて膝立ちになり頭を下げようとしたが、直後にクロの発した言葉を受けて硬直した。
「君、10年ぐらい前に会った事あるよね?」
「!?!?」
「確か……ルナマリアちゃん、だったよね?」
「……お、覚えていて……下さったのですか……」
クロの発した言葉を受けて、ルナマリアさんは信じられないと言いたげに大きく目を見開き、茫然と呟く様に口を開く。
「勿論覚えてるよ。お母さんは元気にしてる?」
「~~!? は、はい! 冥王様のお陰で、健康そのものです!」
「そっか、良かったね」
「はい……全て、冥王様のお陰です。あの時はロクにお礼も言えず……」
そう言えばルナマリアさんは以前クロに会った事があるって話で、それから狂信者ってレベルで冥王を慕う様になったってリリアさんが言ってたっけ?
ルナマリアさんはまさか一度会っただけの自分の事をクロが覚えているとは思っていなかったのか、感極まった様な表情を浮かべた後、両手を付いて深く頭を下げる。
「そんなの気にしなくて良いよ。大きくなったね。また会えて嬉しいよ」
「~~!?!? も、勿体ない……お言葉です」
クロは明るい笑顔を浮かべて、ルナマリアさんの頭を撫で、ルナマリアさんは感動に打ち震えた表情で大粒の涙を溢す。
今のやり取りからの推測ではあるが、たぶんルナマリアさんのお母さんに何かあって、それをクロが助けてあげたんだと思う。
つまりルナマリアさんにとってクロは大恩人であり、だからこそあれ程慕ってたんだろう。なんか良い話だな……
そしてルナマリアさんはそのまま何度もクロにお礼を言った後、立ち上がってリリアさんの後方へ戻ったんだけど、その途中で小さな声で何か呟いてるのが聞こえた。
「……冥王様に……名前を呼んで頂いて……撫でて頂いた……こんな幸せな事が……もう、死んでも良い……」
「……」
うん。ルナマリアさん……何か感謝とはまた別のベクトルに針が振り切れ過ぎてるんじゃないかな? 何か恍惚とした表情浮かべてるし、恋する乙女みたいに顔真っ赤になってるし、視線がさっきからクロにしか向いてないし……
拝啓、母さん、父さん――ルナマリアさんは昔クロに救われたみたい。だけどそれを加味してもルナマリアさんは――やっぱり狂信者だった。




