立派なお医者さんだ
今後の協力も約束し、ノアさんへの点滴も終わった後、フィーア先生の厚意で紅茶をご馳走にる事になり、診察室の隣にある部屋で、三人でテーブルを囲んで雑談をしていた。
今日は患者も少なくて時間があるらしく、フィーア先生は「医者が暇なのは良い事だよ」と言って笑いながら紅茶を用意してくれた。
「……美味しい紅茶ですね。それになんだか、体が温かくなるような……」
「あっ、分かる? 薬草が入っててね。リラックス効果があるんだよ」
「成程……ところで、フィーア先生、手伝いましょうか?」
「だ、大丈夫……」
フィーア先生の用意してくれた紅茶は、美味しいのは勿論だがホッと染み渡るような感じで、それはどうやら薬草が入っているかららしい。
味の感想を伝えながら、『床に溢した紅茶』を拭いているフィーア先生に手伝おうかと声をかけるが、フィーア先生は苦笑しながら大丈夫と返してきた。
自称していた通りというか、なんというか……フィーア先生はお約束とばかりに自分のカップを引っくり返していた。
「ふふ、フィーア先生は相変わらずですね。治療している時は頼りがいがあるのですけど……」
「あはは、いやはや、面目ない」
どうもフィーア先生のこの感じはいつも通りの事らしく、ノアさんは見慣れた様子で微笑みを浮かべている。
まぁそれはさておき、この紅茶は本当に美味しいし……そうか、リラックス効果もあるのか……
それを聞いて真っ先に頭に思い浮かんだのは、いつも苦労をかけているリリアさんの姿だった。
紅茶一つでどうこうなるものでもないが、少しぐらいリリアさんの気持ちをリラックスできるなら……
「……あの、フィーア先生、もし良ければこの茶葉が何処で売ってるか聞いても良いですか?」
「ああ、それは私がブレンドした物だから、売ってはいないよ? もし気に入ったのなら、茶葉をあげるけど?」
「え? 良いんですか?」
「うん。ミヤマくんには無理なお願いもしちゃったからね。ちょっと待ってて、今包んで……」
どうやらこの紅茶はフィーア先生の特製らしく、市販はされてないみたいだったが、ありがたい事にフィーア先生は茶葉を分けてくれると言ってくれた。
そしてフィーア先生が立ち上がって茶葉を取りに行こうとした瞬間、大きな叫び声が聞こえてきた。
「先生!! 助けてくれ!!」
「ッ!?」
切羽詰まったような叫び声を聞き、フィーア先生は素早く声の聞こえた方向……この部屋とは逆側、診察室に繋がる教会に向かって駆け出す。
俺とノアさんもその様子が気になり、少し慌てながらフィーア先生の後を追って部屋から出る。
教会に駆けこむと、入り口のドア付近に二人の男性がいた。
一人は先程の叫び声をあげた人物らしく、もう一人の男性を抱えて危機迫る表情を浮かべていた。
そして、もう一人の男性は……
「ッ!?」
「これは、一体どうしたの!?」
もう一人の男性の足、ふともも辺りには木の杭みたいな物が突き刺さっており、流れ出る血がどうしようもなく痛々しく、反射的に目を逸らしてしまった。
ノアさんも俺と同様に驚愕していて、手を口元に当てて一歩後ずさる。
フィーア先生は流石医者だけあって動揺した様子もなく、駆け足で男性達に近付いて声をかける。
「こ、こいつ……作業中に落ちて……そ、そこにあった廃材に……」
「……うっ……うぅ……」
「……見せて!」
怪我をしてない方の男性の言葉を聞き、すぐに事情を察したのかフィーア先生は呻き声をあげる怪我人に触れる。
抱えていた男性は邪魔になってはいけないと判断したのか、フィーア先生が近くに来ると同時に怪我人から離れ、心配そうな表情で二人を見つめる。
「……かなり深く刺さってる。この状態で治癒魔法を使ったら、足の中に木片が残っちゃうね……少し離れて!」
「っ!? あ、ああ!」
素早く目視で怪我人の容体を確認したフィーア先生は、もう一人の男性に離れるように告げた後、パチンと指を鳴らす。
するとフィーア先生と怪我人の周囲に半透明の膜のようなものがドーム状に広がった。
「足を一時的に麻痺させるよ」
「……は、はい」
恐らくあのドームは無菌室みたいなもので、フィーア先生はこれから男性の足に刺さった木材を取り除くつもりのようだ。
足を麻痺させると告げて、怪我人のふとももに手をかざし……そして次の瞬間、フィーア先生は躊躇なく怪我人の足に刺さった木材を引き抜く。
一瞬、血が吹き出るかと思ったが……どうやら空いている手で魔法を使っているらしく、怪我人の足から新たな血は流れてきていない。
「……中に残った木片も取り除いてから治癒魔法をかけるね。大丈夫、ちゃんと治るよ」
「あ、あぁ……ありがとうございます」
「……これで……よし! じゃ、治癒魔法をかけるよ」
フィーア先生の手の動きはあまりに早く、何をしているのかは全く分からなかったが、いつの間にかピンセットらしきものが手に握られており、しゃがんでいるフィーア先生の横には小さな木片が次々置かれていく。
そしてものの数秒で木片を取り除き終わったみたいで、フィーア先生は穏やかな声で告げた後怪我人のふとももに手をかざす。
フィーア先生の体から強大な魔力が溢れ出ていき、見るも無残だった男性の足がみるみる治っていく。
その光景は正に奇跡とでも言えるようなもので、思わず言葉を忘れて見入ってしまった。
「……はい。これで、もう大丈夫……」
「あ、ありがとうございます!」
「うん。でも、抜けた血までは元に戻らないから……後で点滴ね」
「はい……あっ、せ、先生、治療費……」
どうやら治療は一段落したみたいで、怪我をしていた男性は目に涙を潤ませながらお礼を告げ、付き添っていた男性もホッと安堵した表情を浮かべる。
そして怪我をしていた男性が、治療費を払おうとポケットに手を入れると……フィーア先生は首を横に振る。
「今回は要らないよ」
「え!? で、でも……」
治療費は必要ないと告げるフィーア先生の言葉を聞き、男性は戸惑うような表情を浮かべる。
そしてそれを見ている俺の横にノアさんが近付いて来て、小声で話しかけてきた。
「……治癒魔法が使える人は、本当に希少なんですよ」
「……そう言えば、そんな事を聞いた覚えがあります」
この世界には魔法が存在し、傷を一瞬で直してくれる治癒魔法もあるが……それは誰でも使える訳では無い。
そもそも魔導師という職業が存在するように、人界において魔法をしっかりと使用出来る者自体多くはない。
それを補う為に魔法具という物が普及している訳だが……その中でも、治癒魔法というのは非常に難しい魔法らしい。
しかも基本的に相手の傷に合わせてコントロールしなければならないので、魔法具では再現は出来ないとの事だ。
俺はクロが治癒魔法を使うのを頻繁に見ているのでそんな印象は無かったが、それはクロが凄いだけ。
実際人族の中ではかなり上位に入るであろうリリアさん、ルナマリアさん、ジークさんの三人も治癒魔法を使う事は出来ず、俺が今まで出会った人族の中では……元宮廷魔導師であるレイさんしか使えないらしい。
「だから、本来治癒魔法を使用しての傷を治してもらうというのは、非常に高価な治療です」
「……なんとなく、分かる気がします」
それだけ使い手の少ない治癒魔法……それを使用できるは天才と呼ばれる者の中でも一握りであり、俺の居た世界で高度な治療が高額であるのと同じように、この世界でも治癒魔法を用いての治療は非常に高価なものなのだろう。
そして恐らくその事は怪我をしていた男性も常識として知っているみたいで、とにかく手持ちのお金だけでも支払おうと財布を取り出していたが、フィーア先生は微笑みを浮かべて首を振る。
「……いいから、もうすぐ子供も生まれるんでしょ? そのお金はここで払わず、子供の為に使ってあげて」
「……で、ですが……」
「しつこいよ。大体……怪我したのを抜きにしても、君、大分疲労してるでしょ? あまり寝て無いんじゃない?」
「ッ!?」
「奥さんや子供の為にお金を稼ごうって頑張るのは良いけど、それで君が怪我しちゃったらなんにもならないでしょ……自分の体は大事にしなきゃ駄目だよ」
「……はい」
優しく諭すように告げるフィーア先生は、まるで聖母かと思えるほど慈愛に満ちた表情を浮かべていた。
「ともかく、そんな状態の人からお金なんて受け取らない。ほら、財布しまって」
「……先生……」
「私に感謝する気持ちがあるなら、ちゃんと元気になって、奥さんと生まれてくる子供を幸せにしてあげる事……それでいつか三人揃って元気な顔を見せに来てよ。それが、一番の報酬だからね」
「ッ!? は、はい……」
フィーア先生の言葉を聞いた男性は、感極まった様子で目から大粒の涙を流し、何度もフィーア先生に頭を下げる。
その光景をどこか微笑ましい気持ちで見つめていると、隣に立つノアさんが微笑みながら口を開く。
「……フィーア先生は、いつもああなんですよ。治療費なんて、無理のない程度で払ってくれればいいって……殆ど無償に近い報酬で、分け隔てなく沢山の人を治療しています」
「それは、凄いですね」
「ええ、だから、フィーア先生はこの辺だと大人気なんですよ。シンフォニア王国一番の医者だって、皆が言ってます」
報酬も求めず、希少な治癒魔法を惜しみなく使い、多くの人の命を救う……なんていうか、本当に医者の鏡みたいな人だ。
まだ知り合って少ししか経ってないけど、フィーア先生の事は心から尊敬できる。
「よし、じゃあ、診察室で点滴を――ふぎゃっ!?」
そう言いながら立ち上がりかけ、床の血で足を滑らせてハデに転ぶフィーア先生……ノアさんの言った通り、治療してる時の頼りになる感じとのギャップが凄い。
「い、いたた……またやっちゃった」
「は、ははは……」
先程までの凛々しい様子から一変したフィーア先生を見て、怪我をしていた男性の表情にも笑みが浮かぶ。
「あはは、なんでこう最後までビシッと決められないかなぁ……まぁ、ともかく、治療だね。仕事にはすぐ戻れるだろうけど、今日一日は安静だからね? 分かった?」
「はい!」
苦笑しながら立ち上がるフィーア先生は、どこか親しみやすく、それでいてやはり聖母のように眩しかった。
拝啓、母さん、父さん――フィーア先生はちょっとドジで、どこかのんびりした感じの人だけど、医者としても腕も信念もとても立派で、凄い人だって思った。本当に、心から尊敬できる――立派なお医者さんだ。
シリアス先輩「何だ魔王じゃなくて聖女か……うん、こんな感じならオッケーだよ。私の出番もそこそこ……」
【次の次からジーク編開始】
シリアス先輩「……おうち……かえりゅ……」