閑話・宮間快人~臆病で矛盾した心を変えて~
今まで人生は不幸だったか? と問われるなら、俺が返せる答えは『分からない』だけだ。
ただいつからだっただろうか? 幸福なだけの事より、幸福と不幸が同時に降りかかる方が安心出来る様になったのは……過ぎた出来事に対し、もしああしてたら、もしこうしてたらと考えるのではなく、仕方がないと割り切る様になったのは……
特別裕福でもなく、かと言って貧乏な訳でもない。ごくごく平凡な家庭に生まれ、別段珍しくもない幼少時代を過ごした。小学生の頃は良く外で遊んでいた記憶もあるし、友達も沢山とは言わないまでもそれなりに居た様に思える。
俺の今まで人生について纏めようと思えば、本当にそれこそA4用紙一枚あれば十分足りるだろう。その程度には平凡で平坦な代わり映えのない日々……唯一大きな出来事があったとすれば12歳の頃に『両親が急死した』ぐらいだろうか?
それだって別にテレビドラマの様に不治の病に両親がかかったとか、大きな事件に巻き込まれたなんて大それたものではなく、日本だけで年間数十万件は発生している交通事故、その内の一件だったと言うだけ……
家族で出かけた旅行の帰り、高速道路で発生した玉突き事故、大型車とトラックに挟まれ小型のファミリーカーはプレスされたみたいに潰れた。両親は一瞬で帰らぬ人となり、俺は奇跡的に耳から首への裂傷という軽傷で生存した。
そう不運な事故、奇跡的な生存――つまり、俺は運が良かったと言う事なんだろう。俺は運が良かったから生き残って、両親は運が悪かったから亡くなってしまった。
結局人の生死なんてそんなものなんだと思う。どれだけ健康に気を使っていても若くして死ぬ人も居れば、煙草を山ほど吸い、酒を浴びる程飲んでも長く生きている人もいる。
両親の死について理不尽だとかそんな風に考えた事はないし、自分が悲劇の主人公だなんて思った事もない。実際俺を引き取ってくれた親戚は良くしてくれたし、日々の生活に不満なんてなかった。
ただ、度々考える様になった。運の良し悪しってのはコインの裏表みたいな物なんじゃないかって……幸運なだけの人生は無い。不幸なだけの人生もない。幸運な事があればそれと同じ位の不幸が降りかかって然るべきなんだと……
表が出続けるコインも無い。俺が幸運によって生き残ったのなら、俺はいつかその奇跡というコインの裏側を引き当ててしまうのだろうか? それとも或いは、両親が死んだ事がコインの裏側だったのだろうか?
そう考えるようになってから、どうしたんだろう? 初めは逃げたんだと思う。
友達、恋人、家族、そんな関係を幅広く作れるリア充はきっと幸せな存在なんだろう。ならそうなってしまえば、同じだけの不幸を覚悟しなければならない。
目標を持ってそれを達成できた時の幸せは大きいものなんだろう、ならきっとその為には同じ位の不幸と向かい合わなければならない。
ただ幸福だと感じるのが恐ろしい。都合が良い出来事と悪い出来事がセットで無いと安心できない。
だから逃げた。ゲームや本に目を向けて、仮初の充実感に浸った。
大学生になってからは周りに合わせると言う事を覚えた。当たり障りなく接し、自然と距離を取って一人でいる術を覚えた。劇的な人生なんていらない。平坦で変化も無く、脇役で居られる日々が心地良かった。
だから異世界に来た時も、自分が勇者でない事に、特別な力なんて持っていない事に安堵した。俺はここでも平凡なんだと、これで良いんだと思った……
……そう、ずっと……自分に言い訳を重ねてきた。
『両親の事が大好きだった。優しい母の事も、立派な父の事も、本当に大好きだった』
……違う。
『家族で旅行に行って本当に幸せだった。この先もこんな時間が続くんだって信じてた』
…………違う。
『何で自分だけ生き残ってしまったんだと、何で大好きな両親と一緒に死なせてくれなかったんだと神様を恨んで泣き叫んだ』
………………違う。
『怖くなった。他人と関わる事が、誰かと仲良くなれば、幸せになれば、またそれを失ってしまうんじゃないかって、そんな事ばかりを考える様になった』
……………………違う。
『本当は一人でなんて居たくなかった。友達が欲しかった。恋人が欲しかった。家族というものが羨ましくて仕方なかった。でも、怖くて自分から近付く事なんて出来なくて、必死に自分に言い訳して一人でいる理由を作って、逃げ続けた』
…………………………違う。
『失う事が怖い。望む物を手に入れてしまう事が恐ろしくて仕方ない。でも諦める事も出来なくて、付かず離れずの距離を保つ癖が付いた。当たり障りの無い言葉を並べて、嫌われない様に、好かれない様に、そんな卑屈な距離を保ち続けた』
違う、違う。
『結局心はあの日の事故から止まったまま、ずっと蹲って震えている子供のまま……誰かに、愛して欲しい。でも自分からは近付けない。だから手を差し伸べて欲しい、バラバラに壊れて自分ですら分からなくなってしまった心を、俺の代わりに拾い集めて欲しい』
違う、違う、違う!
『期待したんだ。勇者召喚に巻き込まれたって知った時、自分が特別な存在になれるんじゃないかって、特別な存在になりさえすれば、誰かが俺を助けてくれるんじゃないかって……でも、結局異世界でも俺は特別な存在なんかじゃなくて、知り合いも友達も居ない独りぼっちのまま、世界が変わっても俺自身は変われないまま……』
……………………。
『本当は、怖くて仕方なかった。訳の分からない世界も、自分の境遇も、見ず知らずの人達も……でも、だからこそ、冷静に振舞わなければって必死に不安を押し込めた。情けない大人だと思われたら、楠さんや柚木さんに見限られるかもしれない。手間のかかるやつだと思われたら、リリアさんやルナマリアさんに見捨てられてしまうかもしれない』
………………。
『俺は頑張ってるのに! 自分に嘘をつき続けても、他人に良く見られようって必死に頑張ってるのに!! なんで、なんで! 俺にばっかり都合の悪い事が起こるんだ!! 男子禁制の屋敷なんて俺が望んだ訳じゃないのに! 異世界に飛ばされて初日で出かけたいなんて一言も言ってないのに!! 国王が溺愛してるリリアさんが俺を召喚したのだって望んでそうなった訳じゃないのに!!!』
…………。
『誰かに傍に居て欲しい……矛盾だらけの心を、それでもいいんだって肯定してほしい……愛情の籠った手を差し伸べて欲しい……』
……。
それはずっと心にあった叫びだったのかもしれない。誰にも気付かれず、自分ですら良く分からない。子供の我儘みたいに自分勝手な欲望。
いつの間にか自分で自分の中に作ってしまった。逃げる為のあまりにも大きな心の壁。弱い自分を隠す籠で、臆病な己を守る為の盾……
――ほら、ボク言ったじゃん? 困ってるなら力になるよ~って
誰にも気付かれる筈なんてない。気付いてくれるわけなんてない。そう、思っていたのに……
――だから、今は空っぽで良いんだよ
だけど、ソイツはいつの間にかそこに居た。
――ボクが、教えてあげるよ! 君が知らない物を、君が見たことない景色を、この世界を!
まるで心の壁なんて初めから無かったと言いたげに、当り前みたいに心の奥底に踏み込んできた。
――君が、主人公の物語を!!
そしてそれが自然な事の様に、蹲っていた俺に手を差し伸べて来た。
――むぅ、今まで通り話してくれなきゃやだ~
時に友人の様に俺を振りまわして……
――自然とそんな風に出来る子って、ボクは凄くカッコイイって思うよ
時に恋人の様に俺を肯定してくれて……
――大丈夫。ちゃんと、傍に居るから……
時に母親の様に俺が言って欲しい言葉をくれた。
俺の事なんて全部お見通しなんだって言いたげに、騒がしく暖かく、無邪気で優しくて……いつも、俺が一番欲しかった笑顔を俺に向けてくれる。
矛盾だらけの思考を抱きしめて、バラバラの心を一つ一つ拾い上げて、そっと背中を押してくれる。
ああ、そうか――そうだったんだ。ようやく、分かったのかもしれない。俺が欲しかったのは――ずっとずっと探していたのは――
心地良いまどろみの中からゆっくりと意識が覚醒していく。瞼を開けてすぐに見えたのは、こちらを見つめる優しい瞳。
「……クロ?」
「おはよ、カイトくん」
「おはよう……俺どの位寝てた?」
「1時間ぐらいかな?」
「そっか」
ゆっくりと体を起こす。不思議と体が軽い様な、重たい何かを脱いだような気がした。
「なんだか、スッキリした顔してるね」
「……あ~うん。まぁ、何て言ったらいいのか……」
正直自分が何をしたいのか、どうなりたいのか、答えが出た訳じゃない。
ただ、蹲ったままでいるのは止めにしようって、そんな考えが頭に浮かんだ。
「ちょっと、改めて色々、頑張ってみようかな~って」
「そっか……じゃあ、ボクはそれを応援するね。頑張れ、カイトくん!」
「ああ、ありがとう」
まだまだこの世界の事も自分の事も、分からない事ばかりだけど……折角環境が変わったんだ。歩き始めるには丁度いい。
そう、まずは自分探しとでも言うのか、その辺りから始めてみよう。不安も恐怖もあるけど、たぶん大丈夫。歩き始める勇気は貰った。クロの言う通り、ここを、この世界から再スタートしてみよう。
一度自分で閉じてしまった。宮間快人という名の物語を……