■外伝第4話「覚えていない記憶」
朝は、いつも通りだった。
風が吹いている。
窓の外で、人が歩いている。
パンの焼ける匂いが、部屋に広がる。
何も変わらない。
何もおかしくない。
それなのに。
グレンは、少しだけ違和感を覚えていた。
「……なんか変じゃねえ?」
パンをかじりながら言う。
レイヴンが顔も上げずに答える。
「何がだ」
「いや、なんかこう……」
言葉が続かない。
はっきりしない。
だが。
確実に、何かがおかしい。
ナナが静かに言う。
「……欠けてる」
「は?」
「何かが」
一拍。
「でも分からない」
その言葉に、妙な納得があった。
セラが笑う。
「いいね」
だが、その声がわずかに重なる。
二重に聞こえる。
ほんの一瞬だけ。
誰も気づかない。
気づけない。
カイルは、窓の外を見ていた。
いつも通り。
何も言わない。
ただ、静かに。
グレンが言う。
「……お前さ」
カイルを見る。
「なんか知ってるだろ」
レイヴンが笑う。
「なんだそれ」
グレンは眉をひそめる。
「いや、分かんねえけど」
一拍。
「こいつ、なんか分かってる顔してる」
ナナがカイルを見る。
じっと。
観察するように。
「……違う」
「何がだよ」
「知ってるんじゃない」
一拍。
「“分かってる”」
その言葉が、妙にしっくりくる。
セラが笑う。
「いいね」
カイルは、少しだけ振り返る。
「何も知らない」
短く言う。
だが。
その言葉に、違和感がある。
グレンが顔をしかめる。
「……嘘だろ」
「嘘じゃない」
カイルは答える。
だが。
グレンは納得しない。
理由はない。
証拠もない。
それでも。
“違う”と分かる。
「……なんだろうな」
グレンは頭をかく。
「お前見てるとさ」
一拍。
「なんか思い出しそうになる」
その言葉で、空気が変わる。
レイヴンが一瞬だけ手を止める。
ナナの視線が、わずかに揺れる。
セラの笑いが、ほんの少し遅れる。
カイルは、何も言わない。
ただ、見ている。
グレンを。
「……でも、思い出せねえ」
グレンが笑う。
「なんだよこれ」
軽い調子。
だが。
どこか、引っかかる。
ナナが言う。
「……思い出せないのは正常」
「は?」
「消えてるから」
一拍。
「記録が」
レイヴンが言う。
「夢みたいなもんか」
「違う」
ナナが首を振る。
「夢は残る」
一拍。
「これは残らない」
セラが笑う。
「いいね」
その言葉が、妙に怖い。
グレンが黙る。
少しだけ。
考える。
そして。
ぽつりと呟く。
「……でもさ」
一拍。
「もし、あったとしたら」
レイヴンが聞く。
「何がだ」
「なんか、すげえこと」
グレンが言う。
「戦ったとか」
「壊れたとか」
「全部なくなったとか」
一拍。
「そういうの」
レイヴンが笑う。
「それ、夢だろ」
「かもな」
グレンも笑う。
だが。
その笑いは、少しだけ弱い。
ナナが静かに言う。
「……夢じゃない」
全員が、ナナを見る。
「は?」
ナナは、少しだけ考える。
言葉を選ぶように。
「分からない」
一拍。
「でも」
「“あった”」
その言葉で、空気が止まる。
根拠はない。
証拠もない。
それでも。
否定できない。
セラが、ゆっくりと笑う。
「いいね」
だが。
今度は、はっきりと二重に響く。
グレンが眉をひそめる。
「……今、なんか変じゃなかったか?」
「何がだ」
レイヴンは気づいていない。
ナナも、首を振る。
カイルだけが。
ほんの少しだけ、目を細める。
そして。
何も言わない。
その時だった。
窓の外。
通りを歩く人が、立ち止まる。
一瞬だけ。
何かを見るように。
だが。
すぐに動き出す。
何もなかったかのように。
グレンがそれを見る。
「……今の」
「どうした」
「いや」
一拍。
「なんでもねえ」
言いかけて、やめる。
言葉にできない。
理解できない。
だが。
確実に。
何かがあった。
カイルは、それを見る。
そして。
ゆっくりと立ち上がる。
「行くぞ」
短く言う。
グレンが言う。
「どこ行くんだよ」
「適当だ」
その言葉に、少しだけ安心する。
いつも通り。
変わらない。
それでいい。
レイヴンが立ち上がる。
「まあいい」
「付き合うか」
ナナが頷く。
セラが笑う。
「いいね」
四人が動く。
カイルも、歩き出す。
その時。
グレンが、ぽつりと呟く。
「……なあ」
「なんだ」
「もしさ」
一拍。
「なんかあったとして」
「それで、今こうなってるなら」
レイヴンが答える。
「別にいいだろ」
グレンは、少しだけ笑う。
「……だよな」
ナナが言う。
「……成立してる」
セラが笑う。
「いいね」
カイルは、何も言わない。
ただ、歩く。
その背中を見ながら。
グレンは、少しだけ思う。
(……なんかあったんだろうな)
確信ではない。
記憶でもない。
だが。
“分かる”。
それだけで、十分だった。




