■外伝第5話「知っている世界」
夜だった。
街の灯りが、静かに揺れている。
風は穏やかで。
音も、落ち着いている。
遠くで、誰かの話し声。
足音。
扉の開く音。
すべてが、自然に流れている。
カイルは、その中を歩いていた。
一人で。
何も言わず。
ただ、進む。
(……変わらないな)
そう思う。
見えるものは、何も変わらない。
街も。
人も。
空も。
すべてが、以前と同じ。
だが。
違う。
明確に。
すべてが、“見えている”。
空を見上げる。
星がある。
普通の星。
だが。
その配置。
その光の届き方。
その意味。
すべてが、分かる。
ただの光ではない。
位置情報。
時間のズレ。
観測の残滓。
それらが、重なっている。
(……そういう構造か)
理解している。
言葉にする必要もない。
ただ、そう見える。
それだけ。
視線を落とす。
地面。
石畳。
一つ一つの配置。
わずかなズレ。
それが、分かる。
修正もできる。
だが。
しない。
必要がない。
成立しているから。
その時。
前から人が歩いてくる。
何気ない表情。
何気ない動き。
だが。
その“裏”が見える。
行動の選択。
思考の流れ。
記録の重なり。
すべてが、同時に。
カイルは、視線を逸らす。
見る必要はない。
知っているから。
(……全部、見えるな)
少しだけ、思う。
この状態。
便利ではある。
だが。
必要かと言われれば、そうでもない。
知ることと。
使うことは違う。
その時だった。
空が、ほんのわずかに歪む。
誰も気づかない。
だが。
カイルには、はっきりと見える。
(……いるな)
外側。
完全には消えていない。
ただ、関与していないだけ。
その存在が。
遠くで、揺れている。
カイルは、止まらない。
そのまま歩く。
関わる必要はない。
今は。
そのままでいい。
その時。
視界の端。
白が、揺れる。
ほんの一瞬。
だが。
確実に。
「……来たか」
小さく呟く。
その瞬間。
周囲の音が、少しだけ薄くなる。
世界が、わずかにズレる。
そして。
そこに、立っている。
空白。
「やあ」
軽く手を振る。
カイルは、特に驚かない。
「久しぶりだな」
「そうでもないよ」
空白は笑う。
「ずっと見てたし」
その言葉に、違和感はない。
カイルは、少しだけ空を見上げる。
「……どうだ」
「何が?」
「この世界」
空白は、少し考える。
そして。
「面白いね」
一拍。
「ちゃんと成立してる」
その言葉に、カイルは小さく頷く。
それでいい。
それが正しい。
「でもさ」
空白が続ける。
「君、全部分かってるでしょ」
「まあな」
「それでいいの?」
一拍。
「何もしなくて」
カイルは、少しだけ考える。
そして。
「いい」
短く答える。
空白が首を傾げる。
「なんで?」
カイルは、前を見る。
街。
人。
光。
そのすべて。
「成立してるから」
その一言。
それだけで、十分だった。
空白は、少しだけ笑う。
「なるほどね」
一拍。
「つまんないけど、いいか」
カイルは、何も言わない。
その時だった。
遠くで。
ほんのわずかに。
ズレが発生する。
小さな誤差。
誰も気づかない。
だが。
確実に。
カイルは、それを見る。
そして。
ほんの少しだけ。
思い出す。
その瞬間。
ズレが消える。
自然に。
何もなかったかのように。
空白が、それを見る。
「……やっぱりやってるじゃん」
カイルは、答えない。
ただ、歩く。
「無意識?」
「さあな」
空白が笑う。
「まあいいや」
一拍。
「壊れてないなら」
カイルは、止まらない。
そのまま、進む。
夜の街を。
静かに。
理解したまま。
その時。
空が、もう一度だけ揺れる。
今度は、少しだけ強く。
カイルは、止まる。
一瞬だけ。
そして。
そのまま、歩き出す。
(……まだ終わってないな)
だが。
問題はない。
どんな形でも。
成立させられる。
それだけで、十分だった。




