■第64話「侵入」
最初に異変が起きたのは、音だった。
遠くで鳴っているはずの鐘の音が、目の前で響いた。
次の瞬間。
すぐ隣で話していた人間の声が、遠くから聞こえた。
「……は?」
グレンが顔をしかめる。
「なんだ今の」
レイヴンが周囲を見る。
人の動き。
音の位置。
光の反射。
すべてが。
“噛み合っていない”。
「……ズレてるな」
低く言う。
ナナが続ける。
「位置情報が壊れてる」
「は?」
「音と位置が一致してない」
一拍。
「書き換えられてる」
その言葉が落ちた瞬間。
空が、歪む。
今までのような“目”ではない。
もっと直接的な。
“裂け目”。
黒でも白でもない。
色として成立していない何か。
それが、空を横断するように広がる。
「……来たぞ」
レイヴンが言う。
声に迷いはない。
セラが笑う。
「いいね」
だが、その笑いはわずかに強張っている。
裂け目が、広がる。
ゆっくりと。
だが確実に。
そして。
“落ちてくる”。
今度は一つではない。
三つ。
五つ。
数が増えていく。
グレンが叫ぶ。
「多すぎだろ!」
それは、干渉体だった。
だが、前とは違う。
形が安定している。
存在が、はっきりしている。
そして。
“こちらに適応している”。
ナナが言う。
「……進化してる」
「は?」
「観測だけじゃない」
一拍。
「干渉が成立してる」
つまり。
もう“見るだけの存在”ではない。
干渉体の一つが、地面に触れる。
その瞬間。
地面が、書き換わる。
石畳が消える。
代わりに。
“意味のない平面”が現れる。
踏んでいるのに、感触がない。
「……なんだよこれ」
グレンが足元を見る。
だが。
その足元が、消える。
膝まで。
沈む。
「……っ!」
慌てて抜く。
だが。
抜けない。
引き戻される。
「おい!」
レイヴンが腕を掴む。
引く。
だが。
手応えがない。
“掴んでいる感覚”が成立していない。
ナナが言う。
「接触が無効化されてる」
「どうすんだよ!」
「成立させる」
短く言う。
「掴めてる前提で動く」
レイヴンが即座に理解する。
力を込める。
理屈を無視する。
その瞬間。
引ける。
グレンが引き上がる。
「……はあ……!」
セラが楽しそうに笑う。
「いいね」
だが。
その間にも。
干渉体は増えている。
空から、次々と降りてくる。
そして。
街が、変わる。
建物の一部が消える。
人が、途中で“止まる”。
動きが固定される。
声が、途中で途切れる。
「……おい」
グレンが呟く。
「これ、やばいって」
レイヴンが言う。
「完全に侵入されてるな」
ナナが言う。
「世界の定義を書き換えられてる」
一拍。
「内側が、外側に侵食されてる」
セラが笑う。
「いいね」
その時だった。
一体の干渉体が、カイルの前に降りる。
止まる。
そして。
言う。
「……対象」
「異端」
カイルは、動かない。
ただ、見ている。
干渉体が手を伸ばす。
その瞬間。
カイルの体が、わずかに消える。
「……っ」
グレンが息を呑む。
だが。
カイルは、消えない。
そのまま立っている。
そして。
一歩、踏み出す。
干渉体に向かって。
その瞬間。
干渉体の腕が、消える。
完全に。
「……欠損」
その言葉が響く。
ナナが言う。
「……逆に干渉してる」
レイヴンが笑う。
「やるな」
セラが楽しそうに笑う。
「いいね」
だが。
次の瞬間。
別の干渉体が、同時に動く。
三方向から。
カイルを囲む。
そして。
同時に。
“書き換える”。
カイルの位置が、消える。
そこにいない。
存在しない。
「……消えた!」
グレンが叫ぶ。
だが。
次の瞬間。
そこにいる。
何事もなかったかのように。
カイルが立っている。
干渉体が、初めて揺れる。
「……不可能」
その言葉に、確かな変化がある。
カイルが言う。
小さく。
「意味がないな」
初めての、はっきりとした言葉。
その瞬間。
空間が、大きく歪む。
干渉体が、同時に後退する。
明確に。
グレンが呟く。
「……押してる」
レイヴンが笑う。
「完全にだな」
ナナが言う。
「……通じてない」
セラが楽しそうに笑う。
「いいね」
だが。
空の裂け目が、さらに広がる。
今までとは違う。
奥が見える。
その“向こう側”。
無数の干渉体。
そして。
さらに大きな“何か”。
グレンが声を失う。
「……まだ来るのかよ」
ナナが言う。
「本体じゃない」
「は?」
「まだ“末端”」
その言葉が、重く落ちる。
レイヴンが小さく笑う。
「いいな」
「やっと本番か」
セラが楽しそうに笑う。
「いいね」
カイルは空を見上げる。
裂け目の向こう。
外側。
(……来るか)
理解する。
次は。
“本体”。
そして。
この世界は。
完全に、侵入される。




