■第53話「もう一つの現象」
昼だった。
光は強く、影は短い。
街は普段通りに動いている。
だが。
その“普段通り”が、どこか作られたもののように感じられた。
さっきまでの封鎖が、嘘のように消えている。
線も、歪みも、処理班の姿もない。
何もない。
だが、それが逆に不自然だった。
「……消えたな」
レイヴンが周囲を見ながら言う。
「完全に」
「本当に消えたのか?」
グレンが不安そうに聞く。
「見えなくなっただけじゃねえのか」
ナナが静かに答える。
「違う」
「処理は終わってる」
「終わってるって……何がだよ」
「封鎖」
つまり。
目的は達成された。
それ以上やる必要がない。
セラが笑う。
「いいね」
だが、その声には少しだけ違和感があった。
カイルは何も言わない。
ただ、歩いている。
普通に。
だが、その“普通”が、もう普通ではない。
周囲の人間は近づかない。
無意識に避ける。
空気が、自然に道を作る。
それが、当たり前になりつつある。
(……慣れてきたな)
カイルは少しだけ思う。
その時だった。
違和感。
ほんの一瞬。
視界の端に、何かが映る。
カイルが足を止める。
「……どうした?」
レイヴンが聞く。
カイルは答えない。
ただ、前を見る。
そこに。
一人、立っていた。
人混みの中。
だが、誰にも触れられていない。
避けられているわけでもない。
ただ、“関係していない”。
「……誰だ、あれ」
グレンが小さく言う。
レイヴンも目を細める。
「気配がねえ」
「違う」
ナナが言う。
「ある」
「でも」
一拍。
「認識されない」
その言葉が、静かに落ちる。
セラが笑う。
「いいね」
その人物は、ゆっくりとこちらを見る。
目が合う。
その瞬間。
周囲の音が、ほんの一瞬だけ遠くなる。
カイルは、分かる。
(……同じか)
いや。
同じではない。
“近い”。
その人物が、ゆっくりと口を開く。
「……見えてるんだ」
柔らかい声だった。
驚きも、警戒もない。
ただ、確認するような響き。
グレンが反応する。
「いや、普通に見えてるけど」
だが。
周囲の人間は、誰もその存在に気づいていない。
ぶつからない。
避けない。
ただ、通り抜けるように動く。
「……ああ」
その人物が小さく頷く。
「やっぱり」
少しだけ、笑う。
「君は、こっち側だ」
その言葉に、空気がわずかに変わる。
レイヴンが一歩前に出る。
「何者だ」
その人物は、レイヴンを見る。
だが。
反応が薄い。
「……ああ、ごめん」
「君は、ちょっと違う」
その一言で、レイヴンの表情が変わる。
「どういう意味だ」
「そのままの意味だよ」
柔らかく言う。
だが、悪意はない。
ただ、事実を述べているだけ。
ナナが言う。
「……現象」
その人物が、少しだけ目を細める。
「うん」
「それでいい」
肯定だった。
グレンが戸惑う。
「……いや、分かんねえよ」
「何なんだよ、お前」
その人物は、少しだけ考える。
そして。
「名前は、あってもなくてもいいけど」
一拍。
「一応、呼ばれてるのは」
少しだけ笑う。
「“空白”かな」
その言葉が、静かに落ちる。
セラが楽しそうに笑う。
「いいね」
ナナが小さく呟く。
「……対になる」
カイルはその人物を見る。
違和感。
強さではない。
圧でもない。
だが。
“掴めない”。
触れられる気がしない。
その人物が言う。
「君は、面白いね」
カイルに向けて。
「ちゃんと“存在してるのに”、ズレてる」
「普通は、どっちかなんだけど」
少しだけ近づく。
距離があるはずなのに、近い。
カイルは動かない。
その人物が続ける。
「でも」
一拍。
「僕は、存在してない」
その言葉と同時に。
違和感。
目の前にいる。
だが。
“いない”。
認識が、揺れる。
グレンが叫ぶ。
「……何言ってんだよ」
レイヴンも眉をひそめる。
ナナが言う。
「……消えてる」
「は?」
「存在が」
その人物は笑う。
「そういうこと」
カイルが、手を伸ばす。
触れようとする。
だが。
触れられない。
距離はゼロ。
だが、接触が成立しない。
「……なるほど」
カイルが小さく言う。
初めて、言葉を返す。
「そういうタイプか」
その人物が少しだけ驚いたように笑う。
「いいね」
「分かるんだ」
カイルは何も言わない。
ただ、見ている。
その人物が続ける。
「君は、“ズレる”」
「僕は、“ない”」
一拍。
「だから」
少しだけ首を傾げる。
「多分、噛み合わない」
その言葉は、静かだった。
だが、重い。
戦えない。
触れられない。
干渉できない。
グレンが呟く。
「……それ、どうすんだよ」
レイヴンが笑う。
「どうにもならねえな」
セラが楽しそうに言う。
「いいね」
ナナが静かに言う。
「……危険」
その人物が頷く。
「うん」
「だから来た」
一拍。
「確認に」
カイルを見る。
「君は、どこまで行くのか」
その問いに、カイルは答えない。
ただ、立っている。
その人物は、少しだけ満足そうに笑う。
「まあ、いいや」
「また来る」
そう言って。
消える。
完全に。
気配も、何も残らない。
静寂。
グレンがその場に立ち尽くす。
「……今の、何だよ」
レイヴンが笑う。
「新しいな」
セラが楽しそうに笑う。
「いいね」
ナナが静かに言う。
「……同格」
その一言で、空気が締まる。
カイルは空を見上げる。
昼の空。
変わらない。
だが。
(……面倒だな)
初めて。
“戦えない相手”が現れた。
それでも。
進むしかない。




