■第13話「崩れた基準」
静寂は、数秒だけだった。
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「……は?」
誰かの声。
それをきっかけに。
空気が、壊れた。
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「勝った……?」
「今の、どうなった!?」
「ヴァンが……負けたのか?」
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ざわめきが爆発する。
声が重なり、広がり、止まらない。
誰もが同じことを言っている。
だが。
誰も、同じ理解をしていない。
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中央。
カイルは、ただ立っていた。
いつもと同じ。
何も変わらない。
だが。
周囲の“すべて”が変わっていた。
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「……マジかよ」
グレンが呟く。
声が震えている。
「……ヴァン、だぞ」
現実を確認するように言う。
「三年の……あのヴァンが……」
言葉が続かない。
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セラは、笑っていた。
いつも通り。
だが、少しだけ違う。
「いいね」
小さく呟く。
「やっぱそうなるか」
「“やっぱ”で済ませるな……!」
グレンが叫ぶ。
だが、セラは肩をすくめるだけだった。
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ナナは、何も言わない。
ただ、じっとカイルを見ている。
目が、さっきまでと違う。
“理解しようとする目”。
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中央では。
ヴァンが、ゆっくりと立ち上がっていた。
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ふらつきはない。
だが、完全に整ってもいない。
呼吸が、わずかに乱れている。
それでも。
姿勢は崩れない。
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「……完敗だ」
改めて、口にする。
その声は、静かだった。
だが。
よく通る。
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ざわめきが、さらに広がる。
「認めたぞ……!」
「本人が言った……!」
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ヴァンは気にしない。
視線は、カイルに向けられたまま。
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「理解できなかった」
はっきりと言う。
「最後まで」
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カイルは、何も答えない。
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「だが」
ヴァンは続ける。
「理解できないこと自体は、問題ではない」
その言葉に、周囲が静まる。
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「問題なのは」
ほんのわずか、間を置く。
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「“理解の外にあるものが存在する”という事実だ」
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その言葉は。
この場にいる全員に刺さった。
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学園は、評価で成り立っている。
ランク。
順位。
数値。
すべてが“測れる”ことを前提としている。
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だが。
今、目の前で。
それが崩れた。
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「……やばいな」
グレンが呟く。
「何がだ」
カイルが聞く。
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「全部だよ」
即答だった。
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「今のはな」
グレンは周囲を見る。
ざわめき。
混乱。
理解不能。
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「“基準が壊れた瞬間”だ」
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その言葉は、正しかった。
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ディアスが前に出る。
ざわめきが、少しだけ収まる。
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「試合は終了だ」
短く言う。
だが、その声にもわずかな重みがあった。
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「勝者、カイル」
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その一言で。
再び、ざわめきが爆発する。
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「最低ランクが……!」
「ヴァンに勝った!?」
「ありえねえ……!」
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だが。
誰も否定できない。
結果は、そこにある。
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カイルは、小さく息を吐いた。
(……面倒だな)
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その時だった。
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「――カイル」
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低い声。
ディアスだった。
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「少し来い」
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拒否権はない。
カイルは、何も言わずに歩き出す。
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背後で。
ざわめきが、さらに広がっていく。
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教員棟。
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重い扉が閉まる。
外の音が、遮断される。
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室内には、数人の教師がいた。
全員、無言でカイルを見る。
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「座れ」
ディアスが言う。
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カイルは椅子に座る。
空気が重い。
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「一つ聞く」
ディアスが言う。
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「何をした」
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短い質問。
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「何も」
カイルは答える。
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沈黙。
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「ふざけているのか?」
「ふざけてない」
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「では説明しろ」
「できない」
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再び、沈黙。
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教師たちの表情が変わる。
苛立ちではない。
困惑でもない。
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――“判断不能”。
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「……本当に分からないのか」
別の教師が言う。
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「分からない」
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即答。
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ディアスは、しばらくカイルを見ていた。
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「……いい」
やがて言う。
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「無理に説明しろとは言わん」
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その言葉に、他の教師が少しだけ驚く。
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「だが」
ディアスの声が低くなる。
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「お前は“例外”だ」
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はっきりと。
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「この学園の基準から外れている」
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カイルは何も言わない。
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「そして」
一瞬、間を置く。
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「それは、放置できる範囲を超えた」
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その言葉は重かった。
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「今後、お前の戦闘は記録される」
「そうか」
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「監視もつく」
「そうか」
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「……理解しているのか」
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「面倒だなとは思ってる」
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ディアスは、小さく息を吐いた。
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「それでいい」
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短く言う。
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「下手に理解されるよりはな」
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その言葉は、意外だった。
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「行っていい」
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カイルは立ち上がる。
そのまま、部屋を出た。
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廊下。
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音が戻る。
ざわめきが、遠くから聞こえる。
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(……変わったな)
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昨日までとは違う。
完全に。
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その時。
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「カイル」
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振り返る。
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ヴァンだった。
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一人で立っている。
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「どうした」
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「一つだけ」
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近づく。
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「君は」
静かに言う。
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「“どこまでズラせる”?」
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意味は、分からない。
だが。
問いとしては、理解できる。
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カイルは少し考えた。
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「さあな」
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同じ答え。
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ヴァンは、わずかに笑った。
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「そうか」
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納得ではない。
だが、受け入れている。
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「なら」
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一歩、下がる。
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「いずれ、もう一度」
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それだけ言って、去った。
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カイルは、その背中を少しだけ見てから。
空を見上げた。
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青い空。
変わらない。
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だが。
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(……確実に、面倒になったな)
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小さく息を吐く。
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そして。
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その“面倒”は。
すでに。
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この学園の外へと、広がり始めていた。




