第三十八話◇春にまた、笑い合うために。〜伊集院桜子視点
◇◇伊集院桜子視点
『──どうしてですか?
…嫌です。桜子さんと会えなくなるなんて。そんなこと耐えられる筈がない』
そう言われた瞬間、私の心臓がぎゅうっと痛い程締め付けられました。
私が折れない、と理解すると慶一郎は一瞬俯いてから一言ポツリと言いました。
「…わかりました。とりあえず、家まで送ります」
その言葉に私は顔をあげます。
慶一郎様の顔色が見たことも無いくらい真っ白になっていて思わず心配になってしまいました。
「…慶一郎様っ、」
彼は無言で私の手を取って二人分の荷物を持ち、お金を払うと駅に向かって歩き出しました。
顔を覗き込むとぎゅっと血が出るくらい唇を噛み締めておりました。
そしてぽつりと言いました。
「…っ、手紙くらいは書いてもいいでしょうか?」
「──はい、それは勿論っ、」
私がそう答えると、慶一郎様は頷きました。
そして、そのまま一言も話さず私達は電車に乗りました。けれどその間、慶一郎様はまるで決して離すまいとでも言うように私の手を握り締めておりました。
私の最寄り駅に二人で降りると、一緒に改札まで行きました。
「…それでは、お手紙を書きますね」
「──はい。では、また」
その言葉で、私は痛む胸を抑えながら改札を通りました。
「──っ、慶一郎様っ!!」
堪え切れず振り向いた時にはもう彼はいませんでした。
私の目の前が溢れ出してきた涙の膜で歪んでいきます。
「…うっ、ぅううう…、」
気がつくとボロボロと涙が次から次へと溢れ落ちてきます。
「…慶一郎様っ、」
脳裏に思い浮かぶのは私の作ったお弁当を食べて嬉しそうに笑う彼の笑顔。
ルーズリーフを拾った時に見せた照れた顔。
切羽詰まったかのように私の手を引いてキスをする彼の顔。
──そして。先程見てしまった虚な顔。
(…大好きな慶一郎様に、あんな顔をさせたかった訳ではなかったんです…)
胸が痛くて苦しくて、涙が止まりません。
(どうしましょう。こんな顔では家に帰れませんわ)
私はフラフラと一人で家の近くの公園に行き、ベンチに座りながら涙をハンカチで拭っておりました。
すると遊んでいた小学生くらいの女の子が、目の前でしゃがみ込みました。
「…?」
思わず顔を上げた私にその子がニッコリと微笑みました。
「──お姉ちゃん、これあげる」
そう言って何故か彼女は私の手の甲にピタッとシールを貼ってくれました。
「このシール、みさきの取っておきなんだ。それあげるから、お姉ちゃんもう、泣き止もう?」
そう言われて驚いて思わずお礼を言ってしまいました。
「…ありがとうございます」
「うん!!またねー!」
言いながらお友達だと思われる女の子の元へと走っていってしまいました。
──気がつくと、涙は止まっておりました。
「…帰りましょう」
私は一人呟くと、歩き出しました。
家族に目が腫れているのを見せたくなくて、腫れが引くまで時間を潰すことにしました。
そして、今まで入ったことのなかったお菓子屋さんに入り、可愛らしいクッキーをいくつか購入しました。
(…明日、朱里さんにお裾分けしましょう)
その頃にはようやく目の腫れも落ち着いて、私は永野さんに迎えに来てくれるように連絡出来ました。
◇◇
「──ただいま戻りました」
私が家に帰ると、母がパタパタと出迎えてくれました。
「おかえりなさい。遅かったのね。ご飯出来てるわよ。──何かあったの?」
そう言われて、私は首を振ります。
「いいえ。ちょっと荷物を部屋に置いてから参ります」
そう言って着替えてから一階に降りました。
夕食は私の好きなナスや揚げ浸しや湯豆腐や豆腐の鶏そぼろあんかけなどの和食でした。
美味しい夕食を食べていたらなんだか心が落ち着いてきました。
部屋に戻った私はベッドにぽすんと沈み込みました。
(──これから慶一郎様と一緒にいる為に頑張らなくては。たった数ヶ月の辛抱ですわ。ここまでしたからには絶対に合格しなければ)
私は心の中で決心すると、勉強を始めました。
机の上には笑顔の慶一郎様の写真がありました。
(…どうか春になったら一緒に笑う事が出来ますように。)
◇◇
「──桜子。なんか、元気ないね。どうしたの?」
次の日のお昼休み。
一緒にお昼ご飯を食べていた朱里さんが急にこんなことを言い出して、私は思わず目を丸くしてしまいました。
「朱里さんは私の事、なんでもわかってしまうんですね。
──実は昨日慶一郎様と受験が終わるまでは会わない約束をしてきました」
すると、朱里さんは少し黙り込んだ後、こう言いました。
「…そっか。桜子から言ったの?」
「──はい」
すると、朱里さんがポンポンと背中を叩いてくれました。
「…頑張ったね」
そう言われて少し涙腺が緩みそうになりましたが、私は頑張って口の端を上げました。
「…受験生ですから。また慶一郎様が倒れたら、困りますから。…慶一郎様、突然こんなことを言いだした私に怒っていないといいですけど。」
「怒ってる訳ないじゃん。…財前君だってわかってくれたんでしょ?」
その言葉に私は思わず窓の外を仰ぎ見てしまいました。
菊乃森女子学院の校舎の木々はだんだん黄色く色付き始めておりました。
「…そうだといいんですが」
「大丈夫だよ。ねえ、本格的に寒くなる前にさ。合格祈願!一緒に行こう!」
そう言われて私は思わず笑顔になってしまいました。
「っはい!!」
こうして私達は本格的に受験に向けて動きだしました。
──私達はその日、一緒に明治神宮に寄ると、合格祈願のお守りを買いました。
(東京都在住の伊集院桜子です。
どうか自分や慶一郎様はもちろん、友人達が志望校に受かりますように。
…受験に受かったら、ずっと慶一郎様と一緒にいられますように!!)
私は神様にお願いするとギュッとお守りを握り締めました。
◇◇
『慶一郎様。
お元気ですか?
勉強は順調でしょうか?私は春から慶一郎様と同じ大学に行く為に頑張っています。
先日、朱里さんと一緒に明治神宮にお参りに行ってまいりました。
明治神宮の祭神は、昔ながらの日本の神々ではなく、実際に仲睦まじかったと言われる明治天皇と、明治天皇の皇后であった昭憲皇太后です。その為、明治神宮は恋愛にもご利益があると言われております。
ですから、お願いしてきました。
──受験に受かったらずっと慶一郎様と一緒にいられますように、と。
どうか、体調に気をつけて頑張って下さい。私も頑張ります。大好きです。
──桜子より』
朱里さんと参拝に行った翌日、私は慶一郎様に送る荷物の中にお菓子とお守りを入れるとお手紙を同封しました。
私は郵便局に行った後、勉強をするために机に向かいました。
目の前の壁には、一番最初の勉強会で慶一郎様が下さったルーズリーフを貼りました。
………………………………………………
She is cute, and what is more, she is beatiful.
(彼女は可愛らしい、その上、美しい。)
Sakurako is the love of my life―what pi is to a circle.
(僕の人生に桜子さんが不可欠であるように―円にπが不可欠である。)
………………………………………………
「…ふふっ。」
思わず笑みが溢れてしまいます。
(私にも貴方が不可欠ですわ。)
カリカリと部屋の中にはシャーペンの音が響きます。
──私は毎日毎日、その日から睡眠と食事と入浴以外は全て勉強に費やしました。
気を遣っているのか、あれから慶一郎様から手紙以外は全く来なくなりました。
…時々、彼に凄く会いたくて胸が締め付けられましたが、これからずっと一緒にいる為だと自分に言い聞かせながら勉強に励みました。
──そして、季節は巡り12月になりました。
世間がクリスマスに浮かれる中私は必死に勉強しておりました。
──ピロン。
そんな中スマホに一通のメッセージが届きました。
(…朱里さんでしょうか?)
そう思い、スマートフォンを確認した私は目を見開きました。
──それは、慶一郎様からのメッセージでした。




