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失踪夫、夫が失踪した。なぜなんだ?  作者: 井埜利博(いのりはく)
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夫が心中? 亡くなったのだ

第九章 心中

   一

 私は深川事務所で支払いを済ませた後、久しぶりに実家へ帰った。両親も私たち夫婦が元通りになったことについて喜んでくれた。


 そこで母の雅子が夕飯を作ってくれて、

「お父さんも喜んでいるのよ。今日はお祝いにすき焼きをするから、たまには一緒に食べて行きなさい」と嬉しそうだった。


「分かったわ。春平さんにも連絡しておかなくちゃ」と言って携帯電話で一度コールしたが、留守電になっていた。念のためラインで『実家で夕飯食べて帰る』と知らせたが、既読にはならない。家に帰ってからでもいいかなと思った。


 父幸太郎もビールを飲んでほんのりと顔を赤くして嬉しそうだ。実家からの帰りがけに警視庁捜査一課の柳瀬からの電話をもらった。夜十時は過ぎていたと思う。


「警視庁の柳瀬です。真里花さんですか?」


「はい、そうです。柳瀬さん、今回のことでは大変お世話になりました。どうなさったの?」


「いぇいぇ、あのぉ、今から警視庁の刑事部捜査一課まで来てもらえませんか?」


 柳瀬の声は落ち着いていたが、緊張気味であることが電話でも分かった。何か嫌な予感がした。


「何でしょうか?」


「こちらにいらっしゃったらご説明します」


「分かりました。今から直ぐに伺います」と言ってタクシーで警視庁本部庁舎に向かった。タクシーの中で『何か良からぬことがあったのだ』と思った。柳瀬は刑事部のある階のエレベーターの前で私を待ち構えていた。


「どうされたのですか?」


「実は……」と言い難そうだった。「実は、今日の午後ご主人の遺体が発見されたのです。地下の遺体安置所に安置してあります。ご確認して頂きたいのです」と言った。


「え、何を言っているんですか、冗談でしょ? 悪い冗談ですよ」と答えたが、柳瀬の顔を見て冗談ではなさそうだと思った。


「一緒に来てください」と柳瀬は言い、直ぐに私たちはエレベーターで地下の遺体安置所に向かった。エレベーターの中で動悸でめまいがして、エレベーターの壁に思わず手をついてしまった。


「真里花さん、大丈夫ですか?」と訊かれたが、声が出なかった。


 遺体安置所に入ると、白い布が被せてある遺体と思われるもの一つ置いてあり、奥にもまた白い布を敷いたテーブルに焼香台に線香の煙が漂っていた。


 柳瀬は遺体の横に立って、被せてあった布を捲り、私の顔を振り返った。確認しろという意味だ。私はその下にある顔を見た。夫の春平だ。間違いはない。夫だ。何故だ? どうして? 死んでいるの? 信じられなかった。夫の顔の傍に自分の顔を近づけ、両手で顔を撫でた。立っていられず、柳瀬に支えてもらった。


「春平さん、春平さん」と言っても何も反応しない。本当に悲しい時は涙も出ないのだ。


「間違いはありません。夫です。どうして亡くなったのですか?」と震えた声で柳瀬に訊いた。


「睡眠薬を大量に服用したためと思われます。ジアゼパムという睡眠安定剤です。多量に飲むと呼吸停止や心停止を起こします。品川プリンスホテルの一室で発見されました」


 柳瀬の言葉は私には半分くらいしか頭に入らなかった。


「睡眠薬ですかぁ。それって、自殺でしょうか?」


「それが……、申し上げにくいのですが、どうも心中のようなんです」


「心中? 誰と?」私はまさかと思った。昨晩私と体を合わせたばかりではないか。何かの間違いだろう。柳瀬はそんな私の思いを打ち砕く言葉を続けた。


「お相手は墨田彩芽さんです。墨田さんの方は幸い処置が早く、命を取り留めたようです。今、近くの品川記念病院に運ばれ治療中です」


 私は言葉が出なかった。夫と墨田彩芽とが心中した? 何かの間違いではないか? 


「柳瀬さん、遺書などあったのですか?」


「それがないのですよ。部屋のテーブルの上にはジアゼパムの包装シートが2枚ほど空になっていて、ワイングラスが二つ、その中に白のワインが残っていました。ワインボトルはホテルの冷蔵庫にある小さいものを使ったのだと思います。空になった包装シートからすると一人十錠を一度にワインと一緒に飲んだと考えられます。ホテルには墨田彩芽の名前でその前日の午後十一時に一人でチェックインしています。おそらく後から春平さんが入室したものと思われます」


 私は柳瀬のその説明を聞いても、尚も夫が自殺なんて、しかも心中なんて全く信じられなかった。


「柳瀬さん、本当に心中なんでしょうか? 誰かに仕組まれたということはないのですか?」


「それは他殺と言う意味ですか? 後ほど品川記念病院の方に入院している墨田彩芽さんへ聴き取りに行きたいと思っていますが、今のところ他殺を疑わせる物証などは見つかっていません。真里花さんの方はご主人が何か自殺や他殺を疑うようなことはなかったですか?」


「私には全く心当たりはないです」


「真里花さんには申し上げ難いことですが、今までの経緯を考えても心中はあり得ることだと思いますが……」


 私はその柳瀬の言葉に苛立ちを覚えた。


「どうか決めつけ捜査はしないでください。お願いします」と言って、その時になって涙が溢れ出た。


 それを見て柳瀬は「分かりました。しっかり捜査します」と言った。


 私は突然の驚きが、時間が経ち少し冷めたところで、深川事務所へ連絡し、夫の春平が亡くなったことを簡単に話した。


 深川は電話の向こうでショックを受けていたのが感じられた。おそらく華も同じだろう。深川と華は直ぐに警視庁本庁舎の遺体安置室へ駆けつけ夫と対面した。


 もちろん佑香にも連絡を入れた。佑香は思ったより冷静で直ぐに駆け付けた。佑香は兄の春平と長年離れていたためか、涙は流さずしばらくは無言のままであった。


「真里花さん、大変だったね。お悔み申し上げます」と深川は頭を下げた、華は黙って泣いていた。


「深川さん、私は夫が自殺なんて信じられないのです。それも心中なんて、しかも墨田彩芽さんとなんて……」


「そうですね。私もびっくりしました。柳瀬! それは本当なのか?」


 深川の眉間には深い皺が刻み込まれていた。怒りを誰にぶつけていいのか分からなくて、その怒りは柳瀬に向いた。


「えぇ、今のところはそう考えています。もう少し捜査して結論を出します。墨田彩芽の意識が戻り次第話を訊きます」


 それに対して私たちは何とも返答できなかった。捜査一課としては念のため春平の遺体を司法解剖に回すとのことだ。


 私は少し嫌な感じを受けたが、真実をはっきりさせるためには仕方がないとそれを渋々許可した。



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