夫が帰ってきた。その夜に……
五
春平が品川のマンションへ戻ってきて二週間が経ったある夜、私の体を求めてきた。夫が帰って初めてだ。
その夜はちょっと驚いたが、私も新婚生活の時以来長い間性交渉は持たなかったので、なすがままに受け入れた。その時の夫は前のままで、少しも変ったことはなかった。
「真里花、長い間迷惑を掛けたな? すまんかった」
「はい。大丈夫です。春平さんが戻ってきて嬉しいです。どんなにか待ち焦がれたか……」
「申し訳ないと思っている」と春平は目を瞑った。
「春平さん、一つ訊きたいのですが、墨田彩芽さんのことが気になっているのです。あなた、昔の恋人の彩芽さんをずっと探していたのよね?」
「あゝ、真里花と知り合う前の話だよ。大学時代の話だ。墨田と私が付き合っていたのは知ってるよね? あの時、彼女が本栖湖に来るのを銀山と一緒にキャンプ場で待っていたんだ。そのキャンプの計画はおれが立てたんだよ」
「しかし、墨田は親戚の不幸があって行けないと言っていたのだけど、おれが無理やり来させたんだ。彼女の母親に電話をして『今日のキャンプは遊びではなく、大学の課外活動の一環としての授業なんです。是非、参加させてください。さもないと必要な単位が取れないのです。お願いします』と出まかせを言った。何も知らない母親は『はい。分かりました。よろしくお願いしますね』と言って墨田をこちらに来させたんだよ」と春平は目に涙を溜めていた。
「そうだったの」
「それであんなことがあった訳だ。おれはそのことが頭に残っていて墨田の母親に申し訳ない気持ちで一杯だったんだよ。それで必死に墨田を探したんだ」
「それは捜査一課の柳瀬刑事や深川さんから聞いていたわ。そして睡眠薬とDCZを飲まされて施設に入れられたこともね。そこで墨田彩芽さんと久しぶりに会ってどう感じたの?」
「彼女は名前も変えていたし、おれを見ても昔の恋人という認識はなかったと思う。話をしてもちぐはぐだし、姿形もショートヘアで別人のようだった」
「訊きにくいけど、施設の中で何度もお会いしたの?」
「仕事の場所も別々だし、会うことは少なかったよ。真里花の心配しているようなことはないし、おれの気持ちは妻の真里花にしか向いていないよ。おれ達はまだ夫婦なんだから、あんなことがあっても今は乗り越えたんだよね。また新しくやり直せばいいと思ってるよ」
春平は正直に話していると感じた。これ以上過去のことをしつこく訊いていいことはない。終わりにしようと思った。今までそのことについて蟠りを持っていた自分が嫌になった。これからのことを考えればいいのだ。
翌日午前中、私は深川事務所へ向かった。今までの経費の支払いをするためだ。事務所には華もいた。華は私を見て嬉しそうだった。今までのことで姉妹のようになった。
「真里花さん、春平さんはどうだった?」
どうだったというのはおそらく二人の仲は元通りになったのかと言う意味だと思った。
「ええ、元通りになったと思うわ。まだ分からないこともあるけど、もういいわ。これからが問題よね」
「それもそうね。でも良かったわ。はい、これ請求書」と言って渡された請求書を見てびっくりした。
「丸が一つ多いんじゃあない?」と言ったら「すみません。うちも経営難なんで……」と深川が頭を下げた。
私は今までの仕事ぶりなど見ていて当然の請求額だとも思い、カードで支払った。とにかく事件は一段落したのだから良しとしなければ。
そう思っていたのは私だけだったのかも知れない。




