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失踪夫、夫が失踪した。なぜなんだ?  作者: 井埜利博(いのりはく)
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華の施設入所生活が始まった

第六章 施設

   一

 華は前回凛子と約束した通り、翌週に深川に伴われ、施設に入所した。


 持って行くものは極端に少なくして、気に入っていたよそ行きのブラウスやスカートの数枚だけにした。凛子からは施設には皆揃っているので、なるべく少ない持ち物で入所してくださいと告げられていたので、その通りにした。もちろん携帯は厳禁だった。


 華は二人部屋に入所させられた。部屋は縦長の作りで真ん中に二段ベッドが置いてあり、ベッドを挟んで窓に近い方と入口に近い方に分けられて木製の勉強机が置いてあった。華には部屋の入口に近い方の机と二段ベッドの上側が与えられた。


 同室の一人は敦子(あつこ)という十八歳で高校卒業したばかりの女子であった。


 敦子は山梨県内の公立高校でいじめに合い不登校になっていたとのことだった。両親も他界しており、叔父夫婦に預けられていたが、同居していた従妹と上手く行かず、自分からこのセンターへの入所を希望したそうだ。敦子は歳の割には妙に色気を漂わせていた。


 華も施設内の規則通り、華子と名付けられた。


「華子です。よろしくね」と敦子に自己紹介した。


「はい。敦子です」と一言だけ話した。敦子は華に向かってニコッと笑顔を見せた。『第一印象は変な子じゃぁなさそうだけど……』と思った。


「敦子さんは、この施設にどのくらいいるの?」


「一年ちょっとになります」


「そう。楽しい?」


「そんなに楽しいって訳じゃぁないけど、鬱陶(うっとう)しいことがないだけいいわ」


「そうなの。色々教えてね」と言っておいた。鬱陶しいとは学校での友達関係のことなのだろうと思った。いじめに遭っていたと聞いていたから……。


 敦子は飄々(ひょうひょう)としていて、本が好きらしくいつも本を読んでいた。


 施設内の図書館から借りて読んでいるのだ。それも小説とか専門書などではなく、詩集だ。女性が書いた恋人を慕うような詩集。恋多き若い子がこんな閉鎖された世界にいていいのだろうかと思わざるを得ない。


 敦子は詩にあるような恋に憧れているのだろうか? いや、あの色気はそんな経験の浅い子とは思えなかった。まぁ、どちらでもいい。


 華は数日間大人しくしていた。言葉も少なめにして自分のことはあまり話さず、敦子や他の入所者や職員などを観察するためにできるだけ目立たないようにした。

   *

 華が入所して一週間が過ぎた頃だ。野末が教義にやってきた。


 例によって講堂に集合し、カーテンを閉め、孟子像を前にローソクの灯のみで野末の教義を聴いた。


「敦子さん、あんな教義を聴いて面白い?」


「面白くはないけど、今の日本はそうなんだという感じでしょうか? そうなら変えていかなければね」と敦子は言った。


 華は閉鎖された社会で、テレビや携帯などからの知識もないとこうなっちゃうんだと思った。野末の教義には講堂に職員や入所者が全員集まることになっている。


 講堂には暗い中、浜島施設長、副施設長の凛子、澄子の他に診療所の綾尾医師、時子看護師の他に二名の男性が入所者の横に座っていた。そのうち一人はこの間河口湖駅まで送ってくれた大人しい運転手だ。


「ねぇ、あの男の人たちって二人とも運転手さん?」と敦子に訊いた。


「そうです」


「お名前は何て言うの?」


「よく分かりません。会うことも少ないですし、男の人と話をすることは禁じられているのです。華子さんも気をつけないと凛子さんに叱られるわよ」


「分かったわ。気をつけるわ」


 華は考えた。『運転手のもう一人は山根沢春平に間違いはない。真里花さんから預かっている春平さんの写真にそっくりだ。凛子も墨田彩芽にも違いはない。二人揃ってどうしてここにいるのだろうか? 


 真里花さんはきっとそう思っているに違いない。自分の役目はその理由と経緯を調べ、真里花さんに報告することだ。それまではここにいなくちゃ』と華は心の中で誓った。


「ねぇ、敦子さん、凛子さんって長くいるのかしら?」


「そうねぇ、私が澄子さんから聞いたところではもう十年も前からいるって……」と敦子は華に対しては何のわだかまりも疑念も持っていなかったようだ。


「そうなの」


「そうよ。何でも十年前に事故で意識がなくなって、健忘症になったって聞いてるわ」


「健忘症かぁ」

 その晩、華はベッドに入ってから眠れなかった。考えに考えて目が冴えた。


『凛子は健忘症なのか。しかも十年間も。記憶は戻らないものなのか。一度も昔を思い出したことはないのか。大学の脳科学の講義で習ったことがある。いわゆる事故による外傷性の逆行性健忘症だ。稀に数十年も続くことがあるとのことだ。しかし、基礎疾患がない場合は徐々に記憶は戻ってくると担当の教授は言っていた。凛子は本当に今も記憶がないのだろうか?』と華は思った。

 

さらに、

『一方、春平さんがここにいたのであれば、それって何なのだろう? 愛する妻の真里花さんとの約束された将来を捨てて、こんな閉鎖された生活を選ぶのは理解できない』


『春平さんは十年前の墨田彩芽を忘れられなかったのか? あるいは春平さんも記憶喪失? 墨田彩芽の場合は事故のためと考えられるが、春平さんの場合はそんなことは考えられない。何か人為的なものなのか?』とも考えた。このことは真里花さんには伝えられない。


 そんなことを考えていたら朝六時になっていた。華はこうなったら凛子と春平さんに直接話を聞いてみたいという気持ちが高まってきた。


『しかし、教団の上層部が何かしらの意図を持って凛子と春平さんをこの施設に留まらせているとすれば、直接的に二人に接触したら自分自身の命も危ないかも知れない。なぜなら春平さんと宗務課の青城が入れ替わっていたのだから……。それは誰がやったのか?』


 華は毎日の生活の合間に何か情報を得ようとしていた。しかし、凛子や澄子、そして運転手たちに接触するのが難しかった。短期間で無理すると痛い目に合いそうで、自重していたためもあった。


 入所して二週間経った時だった。


「華子さん、これビタミン栄養剤のサプリだから飲んでください。毎日朝二錠ね!」と言って澄子が置いて行った。敦子に訊ねてみた。


「敦子さんも毎日このサプリ飲んでいるの?」


「えぇ、施設の決まりだから……。何でも製薬会社とこの施設で提携して、サプリを買っているらしいのよ。その代わり色々な薬剤を診療所の方へ安く仕入れているって言ってたわ」と敦子は何の疑問も持たないで、あっけらかんとしていた。


「これって何のサプリなの?」


「分んないわ。ビタミン剤って聞いているけど……」


「何の薬なのか心配じゃぁないの? 何か確かめたの?」


「うぅう、凛子さんたちを信用しているから……。大丈夫よ」と敦子は首を横に振った。



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