施設内での凛子とその周辺
第五章 別世界
一
山梨県南都留郡本栖湖の近くに広大で平坦な敷地があり、その中に平屋の建物がある。その建物と敷地はとにかく広く、敷地は二メートルほどの高い金網で囲まれ、金網の上部には鉄条網が張り巡らされている。
まるで刑務所のように。正面の門から建物の入り口まで百メートル以上もあり、歩いて行くのは一苦労だ。この敷地内はまるで世の中から隔離された別世界のようだった。
建物入口の傍には軽自動車が三台置いてある。敷地内は農地になっていて、外から見ると色々な野菜を作っているのが見える。時々は数人の若い女が畑仕事をしていた。
「凛子さん、今日は富士宮まで買い出しに行ってきますが、いいですか?」
「いいわよ。足りないもののリストを作っといてね。領収書をお願いね」
「はい。分かりました」
凛子はこの中でもう十年も暮らしている。十年前は敷地も狭く建物も小さく、その中にいる人も僅か七、八人ほどだったが、今は敷地も広大になり建物も増築し、人数も百人余りになる。
その中で凛子は新しく入った若い者たちを統括する役目として欠くことのできない立場にいた。凛子は副施設長であるが、誰もそうは呼ばず、名前で呼ばれていた。ここでは必要なものは買えるし、その資金も充分与えられている。
ここは自給自足が原則だが、足りないものは近場のスーパーやホームセンターなどに買い出しに行く。個人の携帯電話などは持つことは禁じられていて、テレビやラジオなどの視聴もある一定の時間に視聴覚室でしか利用できない閉鎖的な空間である。
凛子は十年前に本栖湖の近くを通る幹線道路の国道百三十九号で事故を起こした。夜の八時頃だった。
この辺は青木ヶ原の近くで夜八時頃になるとほとんど人通りが無くなる。
凛子は恋人との約束で本栖湖キャンプ場へ向かっていた。国道百三十九号からキャンプ場入口に入る交差点で右折しようと信号待ちしていた凛子の赤い軽乗用車に、信号無視した大型トラックが正面から突っ込んできたのだった。
大型トラックは大した損傷もなく、そのまま逃げてしまった。凛子は衝突の衝撃で頭部を強く打ち意識不明となったが、幸い外傷は軽かった。
凛子の車は火に包まれ、たまたま事故現場に遭遇した人たちの中に医師と看護師がいて、急いで近寄って凛子を車から出して診察した。その医師らは救急車を待つよりも近くにある自分の診療所で治療をしようと考え、凛子を運んできた。そこがたまたまこの施設の診療所だった。
凛子はその診療所で翌日には意識を取り戻したが、事故当時のことも含め、事故以前のことも思い出せなくなった。いわゆる逆行性健忘症に陥り自分が何処の誰だかも分からなくなった。また凛子の軽乗用車も全焼し、真っ黒こげになり、凛子の身元を確認できるものは何一つ残らなかった。
その時から凛子の新しい人生が始まったのだ。いや、始めざるを得なかったのだ。
「凛子さん、今日のお祈りは通常通りの時間でいいですか?」
凛子の秘書的役割をしている澄子が凛子の部屋の外で声掛けした。
「いいわよ。十六時からね。野末さんがいらっしゃるから全員集合よ」
「はい。集合させます」と澄子。
ここでは女子の名前は昭和時代のように……子と名付けられることになっている。本名は用いない。自分の家で何かの理由で居られなくなったり、家出したりして入居してきたものが多い。
ここに入居しているもののほとんどが女子だ。しかも若く家庭を持つものはいない。結婚すると出て行かなければならないが、ここの閉鎖されている環境ではその機会もほとんどない。
凛子も澄子も独身である。男性は老齢の施設長と診療所の嘱託医、二人の運転手の四人のみである。凛子は副施設長として施設長に次ぐ地位を得ていた。
十六時少し前に野末が現れた。野末はグレーの地味なスーツを着て講堂に向かった。
「皆さん、こんにちは。元気でやっていますか?」
「はーい」と皆一斉に声をあげた。
講堂内はカーテンが閉められて、日中にもかかわらず出席者は一人ひとりが蝋燭に火を灯し、座っている。まるで看護学校の戴帽式のような幻想的な雰囲気である。
講堂の演台には高さ一メートルくらいの金色の孟子像が置かれ、その直ぐ前にも大きな蝋燭が灯されて孟子の顔がまるで神様の様に映っている。
その隣で野末がゆっくりと低い声で話始めた。
「中国福建省で生まれた趙竜神先生の祖先は孟子の落胤と言われています。趙先生は三十二年前に孟子の考えを受け継いで神学を学び、我が国の悪行を正すためへ来日しました」
「日本は八十年前に中国への軍国主義的侵略戦争の後、真珠湾奇襲の復讐を誓った米国によって原子爆弾を落とされ太平洋戦争の終末を迎え、その後米国の属国として現在至っているのです。今、政界では民主主義を唱えながらも右傾化し再び軍国主義的な国家を作ろうとしています」
「一般社会では毎日のように殺人事件やその他の凶悪犯罪が起きています。新型コロナウイルス感染症の蔓延も人類の悪行の罰だと考えています。私たちはこの日本の世俗から離れ、唯祈ることによってのみ正しい人間の姿を知ることができるのです。したがってここにいる皆さんは……」といつもこの話から始まる。
野末の話は理論的でかつ重厚な雰囲気があった。世の中から隔離され世間一般の情報から遠ざかっている若者には何か尤もらしく聞こえるのである。
凛子もここに来てから自分の健忘症も全くと言ってよいほど治る気配はなかった。自分の両親の名前も顔すらも思い出せないでいた。もちろん自分自身のことも。
最初の半年間は懸命に施設内診療所の医師に相談し、何種類かの治療薬を内服したが治癒する兆しも見えなかったので、次第に諦めがでてきて、ここで暮らして行くしかないと悟ったのである。その点では外部からの接触も乏しいここではそれが可能だった。
野末の講義が終わると、凛子は野末を応接室へ案内し、澄子にコーヒーを入れさせ、彼女を同席させて話を聞いた。これがいつもの接待のやり方である。
施設長の浜島雄三は年齢的にも既に喜寿を迎えた老人のため形ばかりの役職で、施設の切り盛りは全て凛子が行なっていた。野末もそれを知っていた。
「凛子さん、今月の運営費は既に振り込んであります。確認してくださいね」
「はい。確認してあります。確かに受け取りました」
「会員は増えましたか? 今度の衆議院選挙では皆さんのお力を借りなければなりません。それについては活動費として運営費に上乗せして振り込みいたします」と野末は感じの良い笑いを浮かべ、常に紳士的な物腰である。
「応援するのはどなたですか?」
「今の段階ではまだ申し上げられませんが、自由民政党から小選挙区で立候補する方だと思います」
今までも国政選挙や地方選挙のたびに選挙活動を行ってきたが、今は慣れっこになっていた。そうすることにより運営費が渡されるので、やらざるを得ない状況になっていた。
凛子とすれは施設内にいる女子の生活を支えるためには、多少の疑問はあっても心の中に収めておかなければならないと思っていた。澄子とて同じ考えなのであろう。
第三章に入りました。
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