第9話 陥穽(side:ジルニオン)
《大切なお話がございます。パーティーが終わったあと、我が屋敷においで下さい》
グラント家へ向かう馬車の中で、アイナからのメモを何度も読み返していた。
彼女が転びそうになった拍子に手渡された。
「大切な…話…」
多分『番』の事だろう。
会場で初めてアイナと顔を合わせた時、特に何も感じなかった。
ところが、その後ルティーザと庭園へ向かう途中、突然、頭に靄がかかったような感覚に襲われた。
それはすぐに収まったが、同時にルティーザとのつながりが微かに薄れた。
一方で、会場内からは、これまでにないほど強いつながりが伝わってきた。
その気配を辿った先にいたのは……アイナだった。
確かにあの時、彼女に番のつながりを覚えた。
彼女を抱きとめた瞬間、その確信はさらに強まった。
ルティーザよりも、遥かに強いつながりだった。
けれど、以前ルティーザとグラント家を訪れた時、アイナからそのような気配は一切なかったのに……
それにアイナはルティーザを虐待していた。
そんなヤツが俺の番のはずがない!
何かの間違いだ!
だが…
この感覚は……
彼女の全てを得たいと湧き上がる渇望。
胸が焦がれ、身体が熱くなる。
俺の心の全てが、彼女に反応している。
ルティーザには、こんなに心揺さぶられる事はなかった。
もしかして…
これが本当の番に対する反応なのか!?
今になって、なぜ…?
ああ…わからない!
言い知れぬ不安と違和感を持ちながらも、心が求めている。
アイナに会いたい…!!
◇
グラント家に着くと、アイナが出迎えてくれた。
その姿を見ただけで、鼓動が早くなる。
愛しい気持ちが溢れ出す。
案内されるがまま、俺は彼女の自室へ入った。
ソファに座り、アイナは向かい側に腰を下ろした。
お茶を出し終えると、侍女たちは下がって行った。
「……大事な話とはなんだ?」
いや…彼女の話の内容は察しがついていた。
けれど、自分から切り出す事はできなかった。
「ジルニオン様も感じていらっしゃるはずです…」
「な、にを…っ」
「……私との…つながりを」
「こ、こんなこと…っ あるはずがない! 俺の番はルティーザだ!!」
「その事ですが…異母姉は『番結び』という違法な薬を飲んで、あなたの番に収まったんです。異母姉はあなたの番ではありません! ジルニオン様、あなたにならわかるはずですっ どちらが本物かを!」
「…つ、番…結び?」
噂で聞いた事がある。
番ではない者が服用すると、相手に本物の番だと誤認させる事ができる薬。
だが、あれは違法薬物だ。
ルティーザがあの薬を使っただと?
そんな馬鹿な!
だが…今、アイナを求めているこの気持ちは…
…いや!
「お、まえが…俺の番のはずがない! おまえはルティーザを虐待していた!」
「お願いです、私の話を聞いてください…っ」
瞳を潤ませ俺に訴える。
その表情を見て、俺は何も言えなくなる。
「……私は異母姉を虐待した事など、一度としてありません!」
「見え透いた事をっ 侍女がルティーザの身体に鞭の痕がある事を確認しているんだ! ルティーザは毎日のようにおまえに打たれていたと言った!」
こんな女の話を聞く価値もない!
そう思うのに…
彼女の言葉を嘘だと切り捨てる事ができなかった。
「侍女が…ですか? 実際、ジルニオン様は異母姉の身体に鞭の痕をご覧になりましたか?」
「そ、れは…」
「きっと…異母姉がその侍女を言いくるめて、ジルニオン様に嘘の報告をするように指示したのですわ。『番』の命令に一介の侍女が背く事はできませんもの」
「そんなはずは…」
そうだ…確かに俺は…実際に見ていない。
鞭の痕があったと、侍女の報告を聞いただけだった。
「異母姉は息を吐くように嘘をつく人間なのです。お父様の関心を後妻の母や異母妹である私に向けさせないために、あることないことを言っては回りの人間の同情心を買っていました。お父様が私に何かを下されば、異母姉は当然のように全てを奪って行きました。私が大事にしている物を奪い、悲しむ私を見るのを楽しむような人なのですっ」
「何を…言って…っ」
彼女の言葉は不自然な事ばかりだ。
だが、涙ながらに訴えるアイナの瞳から目を逸らせない。
「それに…私は以前からあなたが私の番という事に気づいていました。けれど爵位差のせいでなかなかお近づきになる事が叶わず…思い悩んでいる時につい、異母姉に話してしまったのです。私があなたの番だという事を…。そして、異母姉は薬を使ってあなたの番に収まる事に成功したんです…」
「そ…な…嘘…を…」
『番』は何よりも尊ばれる存在。爵位差など関係ない。
それにルティーザから虐げられているというのに、その彼女に自分が番などと話すか?
アイナの言っている事は、荒唐無稽だ。
あまりにも理屈に合わないことばかり。
なのに、彼女の言葉を否定しきれない。
「…ジルニオン様…不躾は承知で背中の留め具を下げていただけますか?」
アイナが僕に背を向け、髪を片側に寄せた。
「な、何を言っている!?」
思いもよらない言葉に、俺は困惑した。
「お願いいたします。そこに確たる証拠があるのです」
「証拠って…まさか…」
ためらいがちに服の留め具を下げた。
「こ、これは!」
白い肌に複数の鞭の痕。
それを見て、俺は声を上げた。
「異母姉は気分次第で私を鞭打ちました。私は日々耐える事しかできなかった。鞭を打たれていたのは私の方です! あなたに全てを伝えたかった。けれどジルニオン様はすでに異母姉を番と認められていた。もう私の言葉を信じていただけないと思いました…っ だからあなたを奪われても…耐えるしかなかった…!」
小さな肩を震わせ、俺の胸に縋りつくアイナ。
彼女を突き放す事ができない!
そして、俺の頭の奥でふたつの声が聞こえてきた。
“お前は見ただろ! ルティーザと初めて会った時の姿を。粗末な服にあかぎれた手を”
《日ごろから計算高い女だったんだ。本当の番は目の前にいるアイナだ》
“違うっ そんなはずがない!”
《その証拠に、今目の前にいるアイナに番のつながりを感じているだろう? 欲しくてたまらないだろう?》
“俺の番は…ルティーザだ!”
《ルティーザの時に感じたか? これほどの強い欲望を》
“俺の…番は……”
《アイナだ!》
アイナの話は矛盾している。
なのに、俺はアイナの言葉を鵜呑みにした。
侍女たちの証言の裏を取らず、ルティーザが本当に薬を使っていたのか確認もせず…
だが、もう彼女の言葉しか耳に入らなかった。
「ジルニオン様…私があなたの番です…」
互いに引き寄せられるように重ねられた唇。
頭の中は彼女の事しかなかった。
そして、彼女の唇に触れた途端、箍が外れた。
欲しい欲しい欲しい!
「アイナ…ッ」
俺は彼女を抱きしめた。
「ジルニオン様…っ」
「…君が欲しくてたまらない。ルティーザの時にはこんなことはなかったのに…っ」
「私が本物の番だからです。どうぞお心のままに…」
渇きを潤す水を求めるかのように、何度も深い口づけを交わす。
そして彼女をそのままソファへ押し倒し、激しく抱いた。
ああ…
この狂おしいまでの衝動こそが、番の本能なんだ!




