第3話 新しい私
門を通ると目に入ったのは、左右に広がる緑豊かな庭園。
噴水の水が光を放ち、小さな虹を作っている。
穏やかな風が、彩り豊かな花々を優しく揺らしていた。
「おかえりなさいませ、ジルニオン様」
馬車を下りると執事と思しき初老の男性が出迎え、頭を下げる。
「……っ」
あまりに立派なお屋敷に気後れした。
自分のみすぼらしい格好が、ひどく恥ずかしく思った。。
「今日からここが君の家だ」
「え? い、家って…」
「君は俺の番であり、伴侶となる。一緒に暮らすのはごく自然な事だ」
「あの…でもっ…私たちは今日会ったばかりで…父にも話さないと…」
あのまま私はこの屋敷に連れてこられた。
そしてこのままここに住む?
展開が早すぎて、私は困惑した。
それに買い物の途中だったから、一度家に戻らなければ怒られる。
こんな状況でも、私はそんな事を考えていた。
「なら俺も行こう。俺たちの事をきちんと話さなければならないからな」
「…は、はい…」
「ルティーザの仕度をしてくれ」
「かしこまりました。ルティーザ様、どうぞこちらへ」
ジルニオン様の指示に従う侍女に声をかけられた。
私は戸惑いながら、ジルニオン様を見る。
「大丈夫だ」
優しくかけられた言葉に安堵し、侍女の後について行く。
しかし、案内された場所は浴室だった。
私は逃げ出したかった。
服を脱げば、背中の鞭の痕を見られる。
そうすれば、ジルニオン様にも知られてしまう。
こんな汚い身体、きっと軽蔑されるわ…っ
「あの…」
いつまでも洋服を脱がない私に、戸惑いながら侍女が声をかけてきた。
「……っ」
私は、躊躇いがちにボタンを外していく。
「…こ、れは…っ!」
侍女が驚きの声を上げる。
「ご、ごめんなさい…汚いものを見せてしまって…」
「…痛みますか?」
「あ、いえ、今は…」
「少々お待ち下さい」
「?」
そう言うと、侍女が浴室を出て行った。
しばらくすると、手に何かを持って戻って来た。
「傷薬です。入浴後に塗るとより効果がいいようです。あとで塗りますね」
「あ、ありがとうございます…」
ジルニオン様や侍女の方たちの気遣いに、落ち着かなかった。
母が亡くなってから、こんな風に私に心を配る人はいなかったから…
あたたかいお湯に浸かり、洗髪するのも久しぶりだわ。
家ではお湯を使わせてもらえない。
真冬でも冷たい水で身体を洗っていた。
それで体調を崩しても、休む事は許されなかった。
………ここにいていいのだろうか?
私があの方の番だなんて…本当なのだろうか…?
一抹の不安を感じながらも今はただ、心地よい温かさに身を委ねていたかった。
入浴が終わると、化粧を施された。
髪を鋤き、ハーフアップに調える。
イヤリングとネックレスはお揃いのブルーダイヤ。
産出量が少なく、希少価値の高い石だ
濃いブルーを基調としたドレスには、金糸で螺旋状にアイビーの刺繍が施されていた。
「これが…私…?」
大きな姿見に映し出されたのは、美しく着飾った貴族令嬢の姿。
それが自分だと気づくのに、少し時間がかかった。
「とてもよくお似合いです」
「ありがとうございます…」
侍女の言葉が嬉しかった。
仕度を終えると、ジルニオン様がいらっしゃるお部屋へ案内された。
「…とてもきれいだ。よく似合っている」
私の姿を見て、一瞬驚いた表情を見せたジルニオン様。
彼が近づきながら、眩しそうに私を見つめる。
「ありがとうございます。こんなに素晴らしい品を…」
「番を彩るのは伴侶の楽しみでもある」
そう言いながら私を引き寄せると、彼は額に唇を落とした。
「え、きゃあ…っ!」
私は突然の事に驚き、慌てて離れてしまった。
男性に口づけされるなんて、生まれて初めてだから。
「…す、すまない、脅かせて」
ジルニオン様が戸惑われている。
「い、いえ、申し訳ありませんっ こ、こんな事されたの…は、じめてで…」
顔が焼けつくように熱い!
私は両手で頬を押さえる。
そんな私を見ていたジルニオン様は、ふっと微笑んでくれた。
「気にするな、俺達は始まったばかりだ。ゆっくり互いを知っていこう」
「…はい、ジルニオン様…」
ジルニオン様は、壊れ物に触れるように抱きしめて下さった。
私はここにいていいのね?
彼の胸のぬくもりに、心が満たされる。
私達は馬車に乗り、グラント家へ向かった。
その道中、ジルニオン様に問われた。
「侍女から聞いた。身体の鞭の傷は誰から受けたのだ?」
「――――! そ…れは…っ」
そうよね…主人であるジルニオン様に報告しないわけにはいかないもの。
でも…事実を正直に伝えてもいいのかしら。
どうお話すれば…
「…お前を傷つけた人間が知りたいのだ」
「……っ」
口調は静かだが、ジルニオン様の怒りが伝わってくる。
ここで隠しても、きっと調べられるに違いない。
「………異母妹…からです…」
「妹だと!? 妹が姉を鞭打つだと!? 両親は何も言わないのか!?」
「……うっ…」
思わず涙が零れた。
そして私は自分の身の上を話した。
実母が3年前に亡くなった事。
父はずっと関係があった義母とその異母妹を屋敷に入れた事。
自分は使用人並みの扱いを受けていた事を…
「なんてことを…っ 最初に会った時、君の服装や荒れた手を見て苦労をしてきたのだろうと思っていたのだが…まさか家族が…。父親である子爵は何もしなかったのか!?」
「父と実母は政略結婚でした。父が愛しているのは義母と異母妹です…」
だから誰も異母妹の行動を、咎める者はなかった…
父は私の事など何も考えていない。
義母は当然、異母妹の味方だ。
使用人たちも、力のある者に迎合する。
私を助けてくれた人などいなかった…っ
私は日々、耐える事しかできなかった…!
「ルティーザ…」
ジルニオン様が隣に座り、涙する私を自分の方へ引き寄せ強く抱き締めた。
「君の事は俺が守る。もう、誰にも傷つけさせない…!」
「ジルニオン様…」
私は彼の背に手を回し、その広い胸の中で咽び泣いた。
そして、彼は私を傷つけるようなことはしない。
……そう思えた。




