第34話 淡という存在
淡が仲間に加わった翌日、俺たちは第十二層を出て、地上の街へ戻った。淡にとっては、初めて目にする「人の暮らす場所」だった。
「これが、街というものか……」
淡は、街の喧騒を、興味深そうに見渡していた。表情は、まだぎこちないが、確かに何かを感じ取っているようだった。
「驚くことばかりだろう」セレンが、隣を歩きながら言った。「君は、つい最近、独立した存在になったばかりだ。少しずつ、慣れていけばいい」
「ありがとう。だが、不思議な感覚だ。歪みであった頃は、ただ『在る』ことしか知らなかった。今は、見るもの、聞くもの、全てに、何か感じるものがある」
ミラが、優しく微笑んだ。
「それは、淡さんが、ちゃんと『生きている』ということだと思います」
「生きている……」
淡が、その言葉を、確かめるように繰り返した。
ギルドに到着すると、職員たちが、淡の存在に驚きを隠せない様子だった。事前にガレンから簡単な説明はされていたものの、実際に人型の存在を目にするのは、初めてのことだった。
「彼女が、淡殿か」ギルド長代理が、慎重な様子で確認した。
「はい。これまでの災厄――時空の歪みの残滓が、傷の縫合を経て、独立した存在になりました」
「ギルドとしても、前例のない事例だ。本部からの指示が来るまで、当面は、観察対象として扱うことになる」
淡は、その言葉に、少し不安そうな表情を見せた。
「観察対象……それは、危険な存在として、見られるということか」
ガレンが、安心させるように言った。
「心配しなくていい。君は、ロウ殿とミラ殿が保証している。危害を加える意図がないことは、十分に理解されている」
それでも、淡の表情には、わずかな緊張が残っていた。
宿に戻る道中、俺は淡に声をかけた。
「不安か」
「……正直、そうだ。我は、長い間、『恐れられる存在』として在ってきた。今、急に、違う形で生きろと言われても、戸惑いがある」
「分かる気がする」俺は、自分の経験を思い返しながら言った。「俺も、荷物持ちとして見下されていた頃から、急に力を認められるようになった時、同じような戸惑いがあった」
「そなたも……?」
「人は、簡単には変われない。でも、少しずつ、新しい自分に慣れていくしかないんだと思う」
淡が、少し考え込むように、沈黙した。
「……そなたたちと一緒にいれば、その『慣れていく』ことが、できるかもしれない」
ミラが、温かい笑顔で言った。
「もちろんです。私たちも、まだ完全には自分の力に慣れていません。一緒に、少しずつ進んでいきましょう」
宿に到着し、淡のための部屋も、急遽用意された。これまで「在る」ことしか知らなかった存在が、初めて「眠る」という経験をすることになる。
「眠るというのは、どういう感覚なんだろうか」
淡が、少し戸惑った様子で尋ねた。
「俺にも、上手く説明できないけど……目を閉じて、ゆっくり休めば、自然と分かると思う」
「そうか……試してみよう」
夜、それぞれの部屋に戻りながら、俺は、これからのことを考えていた。災厄として恐れられていた存在が、今、新しい仲間として、共に歩み始めている。荷物持ちだった頃には、想像もできなかった未来が、確実に広がっていた。
「淡さんと一緒に、これから、どんな冒険があるんでしょうか」
ミラの言葉が、廊下に静かに響いた。
「分からないけど――きっと、楽しみなことが、待っていると思います」
第十二層で始まった物語は、新しい仲間と共に、さらに広がっていく。荷物持ちだったロウの旅は、まだ、これからも続いていく。
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