第32話 完全な縫合
亀裂が小さくなっていく様子を見つめながら、俺とミラは、力を緩めずに作業を続けていた。これまでの抵抗が和らいだことで、傷を縫う進行は、これまでにないほど滑らかになっていた。
「あと、少しです……!」セレンが、後方から声をかけた。「亀裂の九割近くが、既に塞がっている」
「ロウさん、もう少し、頑張りましょう」
「はい」
俺たちは、最後の力を振り絞り、残った亀裂に向けて、空間と時間の力を集中させた。
『……我は、これから、どうなるのだろうか』
災厄の声が、静かに響く。怒りや抵抗の色は、もう感じられなかった。ただ、純粋な疑問のような響きだった。
「分からない。でも、傷が治った後の、本当の姿を、見せてくれ」
『……分かった』
最後の一筋の薄紫の光が、ゆっくりと、亀裂の中に収まっていく。地面の振動が、完全に止まった。
「……塞がった」
セレンが、震える声で呟いた。
亀裂があった場所には、もう何の痕跡も残っていなかった。ただ、地面が、わずかに淡い光を放っているだけだった。
「災厄は……」ミラが、心配そうに呟いた。
光の中から、ゆっくりと、小さな何かが現れた。これまでの巨大で不気味な存在ではなく、まるで小さな子供のような、淡く輝く存在だった。
『……これが、我の本当の姿、なのか』
声は、これまでよりも、明らかに穏やかだった。
「お前は……歪みではなく、ただの存在になったのか」
『分からぬ。だが、苦しみは、もう感じない』
セレンが、慎重に近づいてきた。
「これは……時空の歪みが、安定した結果、独立した小さな精霊のような存在に変化した、ということか」
「精霊……」
光の存在が、ゆっくりと、俺とミラの方を向いた。
『そなたたちが、我を救ったのか』
「救った、というか……傷を治しただけです。お前が、どうなるかは、分かりませんでした」
『感謝する。長い間、苦しみの中にいた。今、初めて、穏やかな気持ちを知った』
その言葉に、胸の奥が、温かくなるのを感じた。荷物持ちだった頃には、想像もできなかった結末だった。
ガレンが、感慨深そうに頷いた。
「アーシェル殿が、消し切れなかった問題を、ようやく解決できたんだな」
セレンが、興奮した様子で記録をまとめながら言った。
「これは、歴史的な発見になる。災厄ではなく、傷の結果生まれた存在――その正体と、解決の方法が、初めて明らかになった」
光の存在が、少しずつ、薄くなっていく。
『我は、これから、静かに、この場所で過ごそうと思う。そなたたちに、もう迷惑をかけることはない』
「待って、これからどうするんだ」
『心配は無用だ。歪みではなくなった以上、もう、誰かを傷つける存在ではない』
光が、地面に染み込むように、ゆっくりと消えていった。第十二層の空気が、これまでとは明らかに違う、穏やかなものに変わっていた。
「終わった……のか」
ミラが、安堵したように、その場に座り込んだ。
「お疲れ様でした、ミラさん」
「ロウさんも、お疲れ様です」
セレンが、満足そうに、調査隊全員に向けて告げた。
「これで、長年の懸案だった、アーシェル殿の遺した問題が、ようやく解決した。皆、本当によくやってくれた」
ガレンが、俺とミラに、深く頭を下げた。
「君たちのおかげだ。本当に、ありがとう」
俺は、ミラと顔を見合わせ、互いに笑顔を交わした。荷物持ちだった頃から、ここまでの道のりを思い返すと、信じられないような気持ちだった。
「やりましたね、ミラさん」
「はい。本当に、やりました」
第十二層の奥、長い間眠っていた問題が、ようやく解決した。荷物持ちだった頃には想像もできなかった結末を、確かに、自分の手で迎えていた。
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