第31話 縫合の代償
亀裂の振動が激しくなる中、俺とミラは力を緩めずに、傷を縫う作業を続けていた。亀裂の一部が確かに塞がりかけている――その変化が、俺たちに小さな希望を与えていたが、同時に、災厄の抵抗も強まっていた。
『止めろ……止めるんだ……!』
声が、これまで以上に苦しげに響く。まるで、本当に痛みを感じているかのような響きだった。
「ロウさん、これ、本当に正しいことなんでしょうか」
ミラが、力を保ちながら、不安そうに呟いた。
「災厄が、苦しんでいるように聞こえます……」
俺も、同じことを感じていた。これまで「敵」として認識していた存在が、今、傷つけられることに対して、明確な苦痛を訴えている。
「……でも、止めるわけにはいきません」
「分かっています。でも、なんだか――」
ミラの言葉が途切れた瞬間、亀裂から、これまでにない強い反応があった。
『……お前たちに、見せてやる』
頭の中に、突然、映像が流れ込んできた。これは、災厄自身が見せている記憶のようだった。
歪みが生まれた瞬間――アーシェルが必死に裂け目を閉じようとする中、その一部が、独立した意識を持ち始める過程。最初は、ただの「歪み」だったものが、徐々に「自分」という感覚を持つようになっていく。
『我は、最初から、消えるべき存在だったのか……? それとも、生まれてしまった以上、生きる権利があったのか……』
その問いかけに、俺は、思わず言葉を失った。
「災厄……お前にも、意志があったのか」
『分からぬ……ただ、消えたくないという気持ちだけは、確かにある』
ミラが、目に涙を浮かべながら、震える声で言った。
「ロウさん、これは……本当に、消すべきものなんでしょうか」
俺も、迷いを感じていた。だが、ここで力を止めれば、亀裂はまた元の状態に戻ってしまう。それでは、何の解決にもならない。
「……お前を消すわけじゃない」俺は、亀裂に向かって、改めて声をかけた。「傷を治すことで、お前の存在そのものが、変わるかもしれない。完全に消えるとは、限らない」
『……どういう、意味だ』
「アーシェルの記憶にあった。傷が癒えれば、災厄も自然と力を失う、と。でも、それは『消える』という意味じゃなく、『歪みではなくなる』という意味かもしれない」
セレンが、後方から、緊張した声で割り込んだ。
「ロウ殿、それは推測か?」
「分かりません。でも、今、そう感じています」
亀裂が、しばらく静かになった。災厄が、何かを考えているような、不思議な静寂だった。
『……もし、それが本当なら』
声が、少し落ち着いたように響く。
『我は、抵抗をやめるべきなのか』
「分からない。でも、少なくとも、俺たちは、お前を傷つけるためじゃなく、傷を治すために、ここにいる」
長い沈黙があった。亀裂の振動が、徐々に収まっていく。
『……試してみるがいい』
その言葉と共に、災厄の抵抗が、明らかに弱まった。
「ロウさん、今です……!」
俺とミラは、再び力を集中させた。今度は、抵抗のない状態で、傷を縫う作業が、滑らかに進んでいく。
亀裂の表面が、徐々に塞がっていく様子が、はっきりと見えた。薄紫の光が、少しずつ、穏やかな色合いに変化していく。
「これは……」セレンが、驚いた様子で資料を確認した。「亀裂が、確実に小さくなっている……!」
俺は、力を保ちながら、亀裂に向かって、静かに問いかけた。
「お前は、今、どう感じている」
『……分からぬ。だが、苦しみが、和らいでいるのは、確かだ』
その答えに、少しの安堵を感じた。これは、単なる「敵を倒す」という話ではなく、もっと複雑な、もっと深い解決への道なのかもしれない。
亀裂が、さらに小さくなっていく。長い時間をかけて、傷は、確実に治癒へと向かっていた。
お読みいただきありがとうございます!
ご感想やブックマーク、評価をいただけると非常に励みになります。次話もぜひよろしくお願いします!




