収納しかできなかった俺が、空間を歪める
俺は静かに息を吐いた。胸の傷はまだ塞がりきっていない。だが出血は止まり、立っているだけなら問題ない程度まで落ち着いていた。
「……まだ生きてる。なら、やるしかない」
霧の奥で、《深層喰らい》の触手がゆっくりとこちらに向き直る。仲間の足音はもう聞こえない。完全に独りだ。それでも、不思議と恐怖は薄かった。むしろ頭の芯が冷えていくような、奇妙な静けさがあった。
目の前には、さっき覚醒したばかりの淡い光――無数の小さな座標点が、空間に張り付くようにふわふわと浮いている。触れれば消えてしまいそうな、頼りない光だ。
「これが、時空魔法の本来の姿……」
これまで使えたのは《保管》だけ。荷物を異空間に押し込むだけの、戦闘にはほとんど使い道のない魔法。だが今、目の前に浮かぶ光は明らかに違う種類のものだった。
試しに、近くの座標点に意識を向けてみる。
「動け……」
座標点がふわりと震え、数十センチほど横にスライドした。それだけのことに、息が止まるほどの衝撃を受けた。
「空間そのものを、ちょっとだけ動かせる……?」
理屈はまだよく分からない。だが今は理屈よりも、生き残ることが優先だ。
触手が三本同時に伸びてくる。速い。これまでなら確実に当たっていた速度だ。だが俺は、迫る軌道上にある空間の座標点に狙いを定めた。
「ズレろ!」
声と共に座標点を強引に押し出す。触手が通るはずだった空間が、わずかに歪んでねじれた。三本の触手は、まるで見えない壁にぶつかったかのように軌道を逸らし、俺のすぐ横を通り抜けていった。
「……当たらない」
驚きと同時に、口の端が自然と上がる。これまで、戦闘で「使える」と言われたことなど一度もなかった。役立たずの収納係。それが俺の評価だった。
だが今、初めて理解した。
「俺の時空魔法は、まだ目覚めただけだ。これからどこまでいけるか、誰にも分からない」
《深層喰らい》が苛立ったように咆哮し、巨体を持ち上げる。今までの探り合いをやめ、本気で仕留めにきたという気配が伝わってくる。
「……上等だ」
俺は浮かぶ座標点をひとつ選び、自分の足元に重ねるように意識を集中させた。
「跳べ」
その瞬間、視界が一瞬ブレた。次に気づいたときには、俺は数メートル横、魔物の死角に立っていた。
「……今、何が起きた」
短距離の、いわば“瞬間移動”に近い現象。だがこれも《保管》の応用なのか、まったく別の力なのか、自分でもまだ整理がつかない。
それでも――確かなことがひとつある。
俺はもう、ただ荷物を押し込むだけの存在じゃない。
「次は、お前から仕掛けてやる」
座標点が、まるで応えるように一斉に淡く輝いた。覚醒したばかりの力は、まだ制御も不完全で、いつ反動が来るかも分からない。だが、退く理由はもうなかった。
霧の中、独りきりの反撃が、本当の意味で始まろうとしていた。
今回は、覚醒したばかりの力をロウ自身が手探りで掴んでいく回にしました。まだ完全に制御できているわけではなく、「動け」「ズレろ」「跳べ」と、感覚的に言葉で力を引き出しているような状態です。本人もまだ自分の魔法の正体を理解しきっていません。
座標点を使った軌道逸らしと、短距離の瞬間移動――この二つが今後のバトルの基本になっていく予定です。《保管》の魔法がどう絡んでくるのか、伏線として少しずつ広げていきます。
次話では、《深層喰逢》との決着、そしてロウがこの覚醒した力にどう向き合っていくのかを描いていきます。逃げたダルトたちとの再会も、もうそう遠くないかもしれません。
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