1537年8月4週目。人の流れは止められません。
八月四週目。
困ったのは。
細川と三好だった。
「……人の流れが止まりませぬ」
「またか」
三好方の屋敷で。
報告を受けた者たちが。
苦い顔をしていた。
摂津から。
堺から。
兵庫津。
明石。
姫路。
有馬。
西へ向かう人間が。
明らかに増えている。
「よう旅に出ると思うたら」
一人が。
机の上へ木札を置いた。
「これでございます」
「何だ、それは」
「八郎家が撒いております」
飯の割引札。
宿の割引。
丸八の商品。
遊興。
朝飯。
旅先で使えるものを。
商人を通じ。
大量に配っている。
「……感じが悪いな」
「左様で」
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とはいえ。
これを取り締まる理由がない。
「兵を送り込んでおるわけではございませぬ」
「分かっておる」
「商人が旅をし」
「分かっておる!」
帰ってきた者たちが。
さらに厄介だった。
「姫路はすごかったぞ」
「飯が旨い」
「明石の蛸飯食うたか?」
「有馬もこれから良うなるらしい」
「仕事まであるぞ」
そんなことを。
酒の席。
店先。
船着き場。
あちこちで話す。
それを聞いた別の者が。
「ほな俺も行ってみよう」
となる。
「悪い夢でも見ておるようだ」
三好方の者が呟いた。
「勢いが全部、西へ流れていく」
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「人を止めますか?」
その言葉に。
場が静かになる。
「どうやってだ」
「関を厳しくし」
「旅へ行くなと言うのか?」
「……」
「余計に不満が溜まる」
しかも。
相手は戦を仕掛けていない。
刀を抜いていない。
城を攻めていない。
ただ。
飯を安くしている。
道を整え。
宿を増やし。
人を呼んでいる。
「これでは同情も得られませぬ」
「そういうところが腹立たしいのだ」
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一方。
石山本願寺の周辺では。
少し空気が違っていた。
「八郎領へ行った者が、また戻ってきたそうです」
「どうであったと?」
「飯が旨い、と」
「また飯か」
僧の一人が笑う。
「それだけではございません」
働き口がある。
住むところもある。
土地を持たぬ者でも。
町へ行けば。
荷運び。
職人。
商人の手伝い。
兵。
何かしら仕事がある。
「人を使うのが上手いようですな」
「使う?」
「余った者を余ったままにせぬ、という意味でございます」
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姫路には。
職を覚える場所まである。
焼き物。
木工。
鍛冶。
帳面。
商い。
「教えてから働かせるそうです」
「随分と気長な話だ」
「銭が回っておるのでしょう」
それも。
噂だけではない。
借金を。
次々と返している。
播磨。
丹後。
有馬。
「領主が入れ替わって、借金まで整理される」
「民からすれば」
「悪い話ではありませぬな」
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寺内町の商人たちも。
関心を持ち始めていた。
「一度、様子を見に行ってもええかもしれんな」
「八郎家へ?」
「商売や」
敵対するためではない。
何が売れているのか。
何が不足しているのか。
どれだけ人がいるのか。
「見て損はない」
別の者も頷く。
「向こうも、こちらを敵扱いしておるわけではなさそうですしな」
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確かに。
八郎家の領地は。
広がっている。
摂津の西側まで入り。
有馬まで傘下へ入った。
だが。
「無理やり皆殺しにして進んでいるわけではない」
「大きな傘へ入っておるようなものですな」
以前の領主も残す。
家臣も残す。
借金を整理する。
帳面を出させる。
税を決める。
戦だけ勝手に始めるなと言う。
「それだけなら」
飲み込みやすい。
だから。
抵抗が少ない。
「うちも立ち振る舞いを考えねばなりませぬな」
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本願寺とて。
一枚岩ではない。
寺。
僧。
門徒。
商人。
職人。
土地ごとに事情が違う。
「門を閉めて」
「八郎領へ行くな」
「そう命じられるほど、単純ではございません」
「そもそも」
一人が苦笑する。
「八郎本人が、信仰を奪いに来ておるわけでもない」
領地が欲しいから。
寺を焼いて回っているわけでもない。
門徒を狩っているわけでもない。
「皆、旨い飯があるから行く」
「面白いから行く」
「仕事があるから行く」
「それを止めるのは難しいですな」
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「しかし」
年長の僧が。
少し笑った。
「相手は七歳なのであろう?」
「七歳でございます」
「七歳児が」
飯を作り。
菓子を作り。
旅を安くし。
器まで売り。
人を呼ぶ。
「本人は」
「何も深く考えずやっておるのかもしれませぬな」
「無邪気に?」
「面白いから、儲かるから、と」
だからこそ。
敵を作りにくい。
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「それで」
別の僧が笑う。
「困っておるのが武士どもか」
「細川殿は、随分頭を抱えておられるとか」
「それはまた」
妙な話だ。
武力。
権威。
家柄。
その全てを持つ者たちが。
七歳の子供が。
飯の札を撒いていることに。
頭を悩ませている。
「何とも言えぬ話ですな」
「笑うに笑えませんが」
「いや」
年長の僧は。
肩を揺らした。
「少しは笑ってもよいでしょう」
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八月四週目。
細川と三好は。
八郎家の軍を警戒していた。
だが。
実際に彼らを困らせていたのは。
兵ではなかった。
飯。
旅。
宿。
仕事。
噂。
そして。
勝手に西へ流れていく人々だった。
刀なら。
刀で止められる。
城なら。
城で防げる。
だが。
「旨いらしいぞ」
そう言って。
笑いながら旅に出る人間を。
どう止めればよいのか。
その答えを。
細川も。
三好も。
まだ持っていなかった。




