1533年2月。2回目の市の次の日。領主に2000文の前金と48,000文9月までに納める文書のやり取りをする。
市の翌日。
朝から八郎は父と和尚とともに、領主の館へ向かった。
父は道中ずっと難しい顔をしている。
「ほんまに今日行くんか」
「行きますよ」
「早すぎへんか?」
「早い方がいいです」
八郎は小さな銭袋を抱える。
「約束した以上、払う意思があるところを見せないといけませんから」
「三歳児が言うことちゃうな」
父がため息をつく。
和尚も横で苦笑する。
「もうそこは諦めなされ」
「和尚様まで」
「三歳児扱いしたら逆に話が進まん」
そんな話をしながら館に着いた。
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「来たか」
殿は少し驚いた顔をした。
「……早いな」
八郎は頭を下げる。
「お時間いただきありがとうございます」
「ああ」
殿は八郎を見る。
「で、今日は何や?」
「先日の件です」
八郎は銭袋を前に出した。
「こちら二千文ございます」
「……は?」
殿が目を丸くする。
「二千文?」
「はい」
「もう持ってきたんか」
「はい」
横の家臣も驚いていた。
普通なら五万文と言われれば、何ヶ月も悩む。
集められるかどうかも分からない。
それを数日で一部とはいえ持ってきた。
「お前、本当に何者や」
「三歳児です」
「そこだけ子供になるな」
殿は苦笑する。
八郎は続けた。
「それと、こちら証文でございます」
和尚が書いた紙を差し出す。
「内容は?」
「殿様より求められた五万文について、まず本日二千文を納めました」
「うむ」
「残り四万八千文を九月までに納める」
「……」
「その覚え書きでございます」
「写しもあるのか」
「はい」
「抜け目ないな」
「いえ」
八郎は静かに答える。
「銭は私だけのものではありません」
殿が眉を動かす。
「ほう」
「家族、働いてくれている人、市の人、村の人、みんなで作った銭です」
「……」
「だから、きちんと形を残します」
しばらく沈黙したあと、殿は笑った。
「分かった」
証文を受け取る。
「これで五万文の件は決まりや」
「ありがとうございます」
「しかし……」
殿は銭袋を見る。
「本当に早いな」
「そうでしょうか」
「そうや」
殿は苦笑する。
「正直、春ぐらいまで何もないと思っとった」
「……」
「それがすぐ二千文や」
少し寂しそうに笑う。
「元服する頃にはわしを食うと思ってたが」
「……」
「下手したら今年、来年やな」
場が少し重くなる。
八郎は慌てて首を振る。
「私はそんなこと考えておりません」
「本当か?」
「はい」
「領地全部を見ると言うたではないか」
「あれは現状把握です」
八郎は答える。
「困っているところが分からないと、直しようがありません」
「……」
「ただ」
少し言いづらそうに続ける。
「もし殿様もそう思われるのでしたら」
「ん?」
「あまり民から無理に銭を取る形は、やめた方がいいと思います」
家臣が少しざわつく。
「八郎」
父が小さく止める。
だが八郎は続けた。
「民の信が離れます」
殿の顔が険しくなる。
「簡単に言うな」
「……」
「わしは遊んでいるわけではない」
「分かっています」
「分かってない」
殿は少し声を強めた。
「国境では小競り合いがある」
「はい」
「兵を集めるにも飯がいる」
「はい」
「武具もいる」
「はい」
「それを誰が用意する?」
八郎は黙る。
「わしや」
「……」
「お前らを守るために銭を使っている」
殿は言った。
「燃やされたら終わりなんやぞ」
和尚が静かに口を開く。
「殿」
「なんや」
「それは分かります」
「なら」
「ですが、守るものは土地だけではございません」
「……」
「そこに住む民もです」
殿は不機嫌そうにする。
「またそれか」
「はい」
「和尚は八郎寄りやな」
「そう見えるなら仕方ありません」
和尚は頭を下げる。
「ただ、今の八郎は民を見ています」
「わしが見てないと言いたいんか」
「……」
和尚は答えなかった。
それが答えだった。
「もうええ」
殿は手を振る。
「今日は銭を受け取った。それで十分や」
「ありがとうございます」
「領内のことは好きに調べろ」
「よろしいのですか?」
「ああ」
殿はため息をついた。
「ここで止めたら、わしが邪魔したみたいになる」
「……」
「好きにせえ」
そう言われ、八郎たちは館を後にした。
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帰り道。
和尚は珍しく黙っていた。
「和尚様?」
「八郎」
「はい」
「あれは……少し難しいな」
「殿様ですか?」
「ああ」
和尚はため息をつく。
「戦を見る目はある」
「はい」
「兵を見る目もある」
「はい」
「だが」
少し間を置く。
「民を見る目が足らん」
「そんなこと言ったらまた怒られますよ」
「もう怒られてもよい」
和尚は珍しく強い口調だった。
「三歳児の方が民の暮らしを見ておるとはな」
「いや、僕も全部分かってるわけじゃないですよ」
「分かっておる」
和尚は笑う。
「だから余計怖いんじゃ」
「?」
「まだ三歳じゃからな」
八郎は苦笑した。
「まあ、とりあえず五万文の形はできました」
「ああ」
「次ですね」
「もう次か」
「はい」
「何をする」
「水車の杵ですね」
「……」
「一郎兄様、二郎兄様に聞かないと」
「まだ覚えておったか」
「もちろんです」
八郎は笑う。
「農作業を楽にするのも大事ですから」
「忙しいな」
「はい」
「少し休まんのか?」
八郎は首をかしげる。
「三歳児なので元気です」
「そこだけ三歳児になるな」
和尚と父の声が重なった。
暗かった空気が少しだけ和らぎ、三人は笑いながら村へ帰っていった。




