1537年。6月3週目。旅商い、思ったより銭になる。
六月三週目。
高松城。
八郎は、各地から届いた帳面を机いっぱいに広げていた。
「ほな、今週も合わせましょうか」
「はい」
九州。
中国。
四国。
瀬戸内。
日本海側。
さらに、立ち上がったばかりの但馬や播磨の市。
それぞれの売上、仕入れ、運賃、人足代を一つずつ確認していく。
「今週の収益でございますが」
「はい」
「先週とほぼ変わらず、四億八百六十一万文ほどでございます」
「安定してますね」
「そこへ、新しい市などから五十万文ほど上がっております」
「なら、四億九百十一万文ですね」
「左様でございます」
八郎は帳面を眺めて、少し考えた。
「これはもう、そのまま積み上げましょう」
「今回は端数を使われないので?」
「毎回、帳面きれいにするためだけに何百万文も配ってたら怒られるでしょう」
「ようやくお気づきになられましたか」
「別に反省してるわけやないですよ」
「そこは反省してください」
周囲から小さな笑いが起きた。
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通常の帳面合わせが終わる。
「今日はこれで終わりです」
人々が立ち上がり始めたところで、八郎が声をかけた。
「あ、兄上方と、旅の商売を担当してる人だけ残ってください」
一郎と三郎が顔を見合わせた。
「なんや」
「旅の商売、どうなりました?」
「それ聞くのに、なんでわしらまで残したんや」
「まあ、一応」
「一応ってなんや」
八郎は笑いながら、旅商い用の小さな帳面を開いた。
「普通の旅案内の方は?」
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「始めたばかりではございますが、一週間で十万文ほどの利益が見込めます」
「おお」
船を手配する。
泊まる宿を決める。
飯を用意する。
町へ着けば案内する者もつける。
旅慣れしていない者でも、銭さえ払えば目的地まで行って帰ってこられる。
まだ試験的に始めたばかり。
客も決して多くない。
「十万文なら上々ちゃいます?」
「はい。ただ……」
担当の男が少し言いにくそうに帳面をめくった。
「問題は、その次でございます」
「何です?」
「その……旅先での遊興について相談される方が、思いのほか多く」
一郎が笑った。
「男やなあ」
三郎も頷く。
「そら旅に出たら羽伸ばしたいやろ」
「兄上方、なんでそんな嬉しそうなんですか」
「分かっとらんなあ、八郎は」
「分からんでええです」
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「それで?」
「遊興先の紹介や手配による利益だけで、今週すでに三十万文ほどございます」
「……え?」
八郎が帳面を見る。
「普通の旅より多いやん」
「左様でございます」
「いやいや。なんでやねん」
「だから言うたやろ」
一郎が妙に得意げだった。
「高度に政治的な需要があるんや」
「それ、単に遊びたいだけでしょう」
「言い方や」
「兄上が言い換えただけですよ」
三郎が笑う。
「旅いうんは目的地着くだけやないんや。着いて何するかまで旅や」
「それはまあ、そうなんですけど」
八郎は頭をかいた。
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しかも。
旅人が使う銭は、船と宿と遊興だけではなかった。
土産を買う。
酒を飲む。
飯を食う。
道中で八郎商会の店に入り、商品を買う。
「そういった派生分まで薄く拾いますと」
「はい」
「旅関連全体で、今週は五十万文ほどの利益になっております」
「これ、ほぼ初週ですよね?」
「はい」
「なら、ええやないですか」
八郎は少し嬉しくなった。
「これ、育つかもしれませんね」
今は五十万文。
商会全体の利益から見れば小さい。
しかし。
旅日誌が増える。
道が分かる。
宿の良し悪しが分かる。
どの店の飯が旨いか。
どこで船を乗り換えるか。
何日あれば行って帰れるか。
「それ全部、積み重なったら一つの商売になるでしょう」
「ただし、問題もございます」
「船ですか?」
「よくお分かりで」
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八郎商会は多数の船を持っている。
だが。
ほとんどは荷を運ぶための船だった。
「荷物なら多少揺れても文句言いませんからね」
「人は吐きます」
「それは嫌やな」
八郎は腕を組んだ。
「いずれ、客を乗せる用のちょっと大きくて頑丈な船、欲しいですね」
「旅客専用船でございますか?」
「全部を旅専用にせんでもええですけど」
博多。
伊予。
高松。
やがて姫路。
「何日ごとに出ます、いう船があったら便利でしょう?」
「決まった日に船が出ると?」
「そうです」
荷が集まるまで待つのではない。
客が一人でも十人でも。
決めた日に出る。
「それなら旅の予定立てやすいでしょう」
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だが。
八郎はすぐに首を振った。
「いや、まだ船は作らんでええです」
「よろしいので?」
「まず細々やりましょう」
どこへ行く客が多いのか。
何人なら採算が取れるのか。
旅のために本当に銭を払う者がどれだけいるのか。
「分からんのに船作ったら、また金だけ飛びます」
「左様でございますな」
「分かってからでええです」
何より。
海は帳面通りには動いてくれない。
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「博多まで行きますいうても」
八郎は地図を見る。
「天気悪かったら二日三日、船出せんことありますよね」
「ございます」
「そこも決めとかんとあかんですね」
待つなら宿代が増える。
別の港へ陸路で移動するなら、人足代がかかる。
別の船を手配すれば、船賃も増える。
「遠回りするなら追加料金」
「はい」
「それでも無理なら?」
「旅そのものを中止するしかございませぬな」
「その時は、使ってない分は返しましょう」
「全額ではなく?」
「もう宿泊まった、飯食った、船も途中まで乗った、なら全部返すのは無理でしょう」
どこまで使ったのか。
どこから先ができなかったのか。
「そこ計算して返して、『今回は残念でした』でええんちゃいます?」
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それも。
今から積み上げればいい。
何月に荒れやすいか。
どこで船が止まりやすいか。
何日遅れることが多いか。
客が何に困ったか。
老人なら一日にどれほど歩けるのか。
子供連れならどうか。
「失敗したことも、全部書いといてください」
「失敗もでございますか?」
「そっちの方が大事です」
うまくいった旅なら。
次も同じようにすればいい。
失敗したなら。
「次の人には、それ避けられるでしょう?」
「なるほど」
「最初から全部決めるんは無理ですよ」
八郎は笑った。
「旅そのものが、まだ新しい商売なんですから」
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八郎は旅部門の帳面を手に取った。
今週。
五十万文。
八郎商会全体の四億文を超える利益から見れば、本当に小さな数字だった。
それでも。
「面白いですね」
「何がや」
「人を遊ばせて、銭になるんですよ」
一郎が笑った。
「やっと分かったか」
「兄上の遊びとは意味が違いますよ」
「同じや」
「違いますって」
「旅先で旨いもん食うて、酒飲んで、女と遊んで、土産買う。それの何が違うんや」
「……否定しにくいですね」
三郎が吹き出した。
六月三週目。
まだ生まれたばかりの旅商いは。
船も。
宿も。
案内も。
遊びも。
土産も。
全部を少しずつ繋ぎながら。
最初の一週間から、きちんと銭を生み始めていた。
「まあ、焦らず育てましょう」
八郎は帳面を閉じた。
「そのうち、旅するために高松まで来る人がおったら面白いですね」
その言葉に。
一郎が笑う。
「その頃には、お前が一番遊び方詳しくなっとるんちゃうか」
「それは絶対ないです」
八郎は即答した。




