1537年。六月二週目 六百十三万文の遊び代
六月二週目。
高松へ拠点を移した八郎は、届いた帳面を前に、いつものように算盤の音を聞いていた。
「但馬の方は?」
「山名方を囲っておりますが、その周囲では市が立ち始めております」
「播磨は?」
「西側の一部でございますが、こちらも国人衆が傘下へ入り、市が動き始めました」
「利益は?」
「まだ、ほんのわずかです」
「そらそうでしょうね」
土地を取って数日、十数日。
いきなり莫大な利益が上がる方がおかしい。
「まず飯が回って、人が働けたら十分ですよ」
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「では今週分でございますが」
交易。
各地の市。
商会の利益。
その他もろもろを合わせる。
「四億八百六十一万文ほどでございます」
「そこに新しい市の分が?」
「三十万文ほど」
「かわいいですね」
「金額の感覚がおかしくなっております」
八郎は笑いながら、積立の帳面を引き寄せた。
「全部足したら?」
しばらく算盤を弾き。
「二十六億四千六百十三万文になります」
「……二十六億」
「はい」
八郎もさすがに少し黙った。
「よう積みましたね」
「戦費五十億文を見た後ですから、八郎様はまだ少ないと言いそうですが」
「実際、安心するにはまだ早いですけどね」
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八郎は数字を見つめ。
「六百十三万文、京へ送りません?」
「はい?」
「六百十三万」
「なぜその数字なんです?」
「送ったら二十六億四千万文ちょうどになるでしょう?」
帳面役が八郎を見る。
「帳面を丸くするためですか?」
「それもあります」
「それも?」
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「京の町衆に渡してください」
現金だけでなくていい。
米。
干物。
紙。
酒。
現地で使いやすい物資と銭を混ぜても構わない。
「食えるもんも少し入れといてください」
「名目は?」
「旅代と雑費です」
「……旅代?」
「はい」
京から西国へ遊びに来てもらう。
讃岐。
伊予。
九州。
「四国や九州に来てください代です」
「余計分かりにくくなりました」
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「漫遊記を書いてもらってもええ」
旅先で歌を詠む。
絵を描く。
京で流行っている物を持ってくる。
「商品でもええんです」
扇。
紙。
菓子。
衣。
細工物。
「別に物がなくてもええんですよ」
「と申しますと?」
「頭の中にあるもの」
京で身につけた作法。
書物の読み方。
歌。
絵。
商売のやり方。
料理。
ものの見方。
「田舎にはない知識を、一個でも落としてくれたらええんです」
「……八郎様」
「はい」
「難しすぎます」
「でしょう?」
八郎も頷いた。
「説明しながら、僕もこれ伝わらんなと思いました」
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「だから雑費でええんです」
「雑費」
「はい」
手紙には趣旨だけ書く。
西へ旅したい者がいたら使ってほしい。
何か作りたい者がいても使ってほしい。
「別に大層な仕事せんでもええですよ」
湯へ入る。
善通寺を見る。
金毘羅へ行く。
道後でのんびりする。
博多で飯を食う。
「ただ、どうせ来るなら何か一個、仕事も絡めてくれたら嬉しいです」
「ずいぶん緩い仕事ですな」
「そのぐらいでええんですよ」
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「酒代でも?」
「ええですよ」
「本当に?」
「帳面だけ付けてくれたら」
何人で飲んだ。
誰に旅費を出した。
何を買った。
何を書いた。
「その程度分かれば十分です」
「六百十三万文を?」
「はい」
面白いことが一つ生まれれば、それで儲けもの。
「今はそれを試せる余裕がありますから」
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帳面役が感心したように言う。
「八郎様は、一段も二段も先を考えておられますな」
「いや」
八郎は首を振る。
「単純に帳面きれいにしたかったのも大きいですよ」
「六百十三万文を消して?」
「消してないでしょう。京で使うんですよ」
「普通、その額を端数とは言いません」
「でも二十六億あるんですよ?」
「二十六億あろうが、六百万は六百万です」
「もう細かいところ全部見てられませんって」
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「そんなこと言うておりますと」
帳面役がため息をつく。
「いつか一文に泣きますよ」
八郎は少し考え。
「その時になったら考えましょう」
「遅いです」
「でも今は?」
「二十六億四千万文残ります」
「なら大丈夫です」
「そういう問題では……」
八郎はもう次の帳面を開いていた。
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こうして六月二週目。
六百十三万文が京へ送られることになった。
目的は、曖昧だった。
旅。
歌。
本。
商売。
知識。
遊び。
何が生まれるかは、まだ誰にも分からない。
ただ八郎は。
「分からんから銭出すんですよ」
と笑った。
二十六億四千万文を積み上げながら、その端数でまた一つ、西国へ新しい何かが
流れ込む道を作ろうとしていた。




