1537年。六月一週目 博多での最後の帳面合わせ
六月一週目。
博多の屋敷で、八郎は兄たちを前に帳面を広げていた。
「たぶん、僕が博多でこうやって帳面を合わせるのは、これで一旦最後にします」
「最後?」
一郎が顔を上げる。
「はい。少なくとも姫路までは取れると思ってますから」
「もう取った気でおるな」
「取るつもりで四万出してますからね」
八郎はさらりと言った。
「僕自身は、今週中に高松へ拠点を移します」
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まず高松へ。
そこから播磨の戦況を見る。
そして姫路城が取れれば。
「僕は姫路へ入ります」
「ほんまに住むんか」
「しばらくは」
城を直す。
市を広げる。
蔵を作る。
宿を増やす。
飾磨津をはじめ、港との道も整える。
「東の博多にしたいですから」
「またでかい話やな」
「博多でできたんです。姫路でもやれますよ」
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ただし。
八郎にも分かっている。
播磨より東は、今までと違う。
「摂津から先はややこしいですからね」
三好。
細川。
本願寺。
寺社。
幕府。
さらに京へ近づけば朝廷まで絡む。
「だから、領地を取る速さ自体は落ちると思います」
「そこで止まるんか?」
「止まるというか、ゆっくりになります」
少し考えて。
「場合によったら、堺とか京に住むこともあるかもしれません」
「そんな話になるんか?」
「なるでしょう」
八郎は当然のように答えた。
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「九州、中国、四国まで押さえたら」
八郎は地図を見る。
「ここまで広い家、そうそうないでしょう?」
「まあ……」
「有力な大名家はいくらでもおりますけど」
土地の広さだけなら。
八郎家の勢力圏は、すでに西国の巨大な塊になっている。
「だから、僕がずっと博多から動かん方が不自然になってくると思うんです」
東を見るなら東へ。
四国を見るなら高松へ。
九州を見るなら博多へ。
「家を一つに固定せんでもええでしょう」
「お前は気軽に言うけどな」
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「兄上たちも、ぐるぐる回ってください」
「俺らも?」
「はい」
山口。
高松。
湯築。
備前。
姫路。
博多。
「八郎家の人間が動いた方が、現地の話も分かります」
「子供らはどうするんや」
「そこは博多中心でもええと思います」
教育。
家族。
暮らし。
全部を移動させる必要はない。
「必要な時だけ出張したらええんちゃいます?」
「出張いう言い方もどうなんや」
「分かりやすいでしょう」
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すると、少し離れたところから兄嫁の声が飛んできた。
「出張先で、あんまり羽を伸ばしすぎないようにしてくださいね」
一郎がすぐ振り返る。
「その一言いらんやろ!」
八郎が笑う。
「まだ羽伸ばすんです?」
「八郎、お前まで乗るな!」
「いやいや、確認しただけです」
「何を確認すんねん!」
「高度に政治的な栄養ですか?」
「それ以上言うな!」
また部屋が騒がしくなる。
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「まあまあ」
八郎は笑いながら帳面へ戻った。
「数字見ましょう」
五月四週目。
六月一週目。
二週間を合わせる。
「七億三千七百二十二万文でございます」
「おお」
「なお」
帳面役が続ける。
「この中には、但馬全域と播磨全域の市の立ち上げ費用として、五千万文をすでに計上しております」
一郎が止まった。
「……取る前提なん?」
「はい」
八郎は平然としている。
「まだ全部取ってへんぞ」
「でも取った後に慌てて銭集めるよりええでしょう」
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「但馬は二万五千動かしてるんですよ」
「それは聞いた」
「取れるでしょう」
「言い切るな」
「因幡もこっち側が増えてますし。山名はもうかなり苦しいです」
では播磨は。
「こっちは四万」
西播磨では、すでに一束分ほど八郎側へ入っている。
「半分ぐらいまでは、流れで来るんちゃいます?」
一郎が呆れた顔をする。
「お前な」
「はい」
「但馬一国取れるやろ、播磨半分ぐらい取れるやろ、が普通の話になってるぞ」
「そうですね」
「そうですね、やない」
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三郎まで苦笑する。
「感覚、麻痺してきとるんちゃうか」
「僕も少し思います」
「少しか」
「でも」
八郎は帳面を閉じた。
「取った後のこと考えとかんと、取る意味ないでしょう?」
市を作る。
蔵を作る。
道を通す。
借金を見る。
商人を呼ぶ。
「戦に勝って終わりではないですから」
「それはそうやけどな」
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「ほな、これ持って高松行きます」
帳面。
相場表。
戦況報告。
新領地用の雛形。
「細かいやり取りは、今まで以上にしてください」
「お前が東へ行くから?」
「はい」
博多を離れる。
だが博多を捨てるわけではない。
むしろ。
博多を中心にした巨大な網を。
さらに東へ広げる。
「姫路取れたら、すぐ連絡ください」
「もうそればっかやな」
「楽しみなんですよ」
六月一週目。
八郎はとうとう。
博多の帳面を抱えて。
東へ向けて、本格的に拠点を動かし始めようとしていた。




