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1537年。五月二週目 借金、ついに全部消える

 五月二週目。

 京での用事を一通り終えた八郎たちは、姫君たちとともに堺まで戻ってきた。

「……やっぱり堺まで戻ってくると、ちょっと落ち着きますね」

「京ではずっと誰かに挨拶してましたからね」

「銭もようけ配りましたし」

「旦那様が勝手に配ったんでしょう」

「必要経費ですって」

 そんなことを言いながら。

 八郎は八郎商会の宿へ入るなり、久しぶりに帳面を開いた。

・・・・・・・・・・・・

「ほな、二週間分見ましょうか」

 京へ向かっていた間も。

 博多。

 山口。

 石見。

 出雲。

 備前。

 四国。

 瀬戸内の各拠点。

 八郎本人が遊び歩いていても、商売そのものは止まっていない。

 各地から届いた帳面を合わせていく。

「……ええと」

 担当の者が算盤を弾く。

「ざっくり締めまして」

「はい」

「七億五千六百十四万文ほどでございます」

「二週間で?」

「はい」

 八郎が少し黙った。

「増えましたね」

「増えましたね、で済ませる額ではございませんが」

「でも、この前の戦で五十億文ぐらい使いましたでしょう?」

「それと比べないでください」

・・・・・・・・・・・・・・

 八郎は別の帳面を引き寄せた。

「借金、あとどこでしたっけ」

「新しく入った土地の分でございますね」

 残っているのは。

 伯耆、三束。

 美作、五束。

 一束を三万五千石として数え、一束あたり八千万文。

「八束ですね」

「はい」

「なら六億四千万文」

「その通りでございます」

「……払えるじゃないですか」

 担当の者が八郎を見る。

「払えます」

「ほな、全部返しましょう」

「全部?」

「全部」

 八郎はあっさり帳面を指差した。

「伯耆三束、美作五束。六億四千万文。つけといてください」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 しばらく算盤の音だけが続いた。

 そして。

「これで……」

「はい」

「戦後、新たに抱えた借金は全部でございます」

「おお」

 八郎が嬉しそうに笑った。

「終わりましたね」

「終わりました」

 備前。

 讃岐。

 石見。

 阿波。

 西播磨。

 出雲。

 因幡。

 そして伯耆、美作。

 戦で領地だけ増やし。

 そこに残っていた借金を、一つずつ帳面から消してきた。

「これで新領地も、ひとまず真っさらですね」

「真っさら、という言い方もどうかと思いますが」

「借金残ってるよりええでしょう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「で、残りは?」

「一億一千六百十四万文です」

「それは八郎商会の手元に戻しといてください」

「承知しました」

「全部合わせたら?」

 別の帳面を確認する。

「十二億文近くになりますな」

「おお」

「おお、ではありません」

「でも、だいぶ積み上がってきましたね」

「十分、とんでもない額ですよ」

 八郎は首を振った。

「いやいや」

 五十億文。

 先の大戦では、それぐらい飛んだ。

「山名もまだおるでしょう」

「おります」

「赤松も」

「おりますな」

「三好も」

「……おります」

 なら十二億文程度で安心する気にはならなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「今回、京まで行って思ったんですよ」

「何をです?」

「道、もっと太くしたいですね」

 山口。

 安芸。

 備後。

 備中。

 備前。

 そして播磨へ続く山陽道。

 さらに九州。

 四国。

 瀬戸内の船。

「飯が運べるだけやなくて」

 道があれば、人が動く。

 商人が動く。

 本が動く。

 歌が動く。

 料理が動く。

「衣食住が整った先のものも、道がないと広がらんでしょう?」

「また銭を使う話ですか」

「そうなりますね」

 蔵。

 宿。

 橋。

 道。

 港。

 市場。

「やりたいこと、まだいっぱいあります」

「八郎様は野心が多すぎるんです」

「ええことじゃないですか」

「帳面つける側は大変です」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 八郎は笑いながら帳面を閉じた。

「まあ、積み上げながらやりましょう」

 使う。

 稼ぐ。

 また貯める。

 そして必要なところへ回す。

「ただ」

 八郎の声が少しだけ変わった。

「叩かれた分は、そのままにはできんでしょう」

「山名ですか」

「山名と赤松」

 先の戦で敵として出てきた以上。

 そのまま残して、また同じことをされるのも面倒だった。

「借金も全部消えましたし」

「だから次の土地へ行く、と」

「そういうことになりますね」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「三好はどうします?」

「うーん」

「京までの道、守ってくれましたよ?」

 八郎が首を傾げる。

「いや、それは捕虜返したお礼でしょう」

「あ」

「まだ三好の捕虜、残ってますからね」

「……そうでした」

「別に仲直りしたわけではないです」

 とはいえ。

 今すぐ三好まで殴る必要があるか。

 そこは考えどころだった。

「まず山名かなあ」

「その次が赤松?」

「多分」

 八郎は帳面の端に、小さく名前を書いた。

 山名。

 赤松。

 三好。

 そして、その横に。

 姫路。

「……ここ、欲しいですね」

「また何か考えてます?」

「いや、まだです」

 そう言いながら。

 八郎の目は、もう次の帳面を見ていた。

 借金は消えた。

 銭も戻り始めた。

 そして八郎の中では。

 西国をつないだ道を、さらに東へ伸ばす次の構想が、静かに動き始めていた。

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