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1537年。五月一週目 山科言継と、朝廷へのご挨拶

 五月一週目。

 京へ入って数日。

 ようやく朝廷への取り次ぎが整ったという知らせが入り、八郎は姫君たちを伴って挨拶へ向かった。

 間に立ってくれたのは、山科言継。

 八郎も、博多に来ていた京の者たちから名前だけは聞いていた。

「博多より参りました、八郎と申します」

「遠いところ、よう参られた」

 言継は目の前の七歳児を、少し不思議そうに眺めている。

「私は元々、庄屋の八男でございまして」

「庄屋の?」

「はい。学も作法もまだまだの田舎者でございます」

 その田舎者が、今では九州、四国、中国地方の大半に影響を持つ。

 八郎家として土地を治める一方、兄弟たちと八郎商会を動かす。

「この二本で何とかやっております」

「何とか、という規模ではないように聞いておるが」

「いやいや、まだまだです」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 幕府へはすでに挨拶を済ませた。

 以前に九州探題の役目も受けていたため、その礼も兼ね、二万五千貫を納めた。

「朝廷へは初めてでございますので」

 八郎は少し困った顔をする。

「どれほどお持ちすれば失礼にならないのか、よく分かりませんでした」

「それで?」

「ひとまず二万五千貫。二千五百万文をお持ちしております」

 言継が一瞬黙った。

「……ひとまず、か」

「まだ京まで領地が陸続きでもございませんし。今回は最初のご挨拶ということで」

「十分すぎるほどであろう」

「何かとご入用でしょうから、お使いいただければ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 しばらくして、言継が尋ねた。

「それほどの寄進をするからには、何か望みもあろう?」

「望みですか?」

「官位であるとか、朝廷からの沙汰であるとか」

「別にいらないです」

「……いらぬ?」

 あまりに早い答えに、周囲の公家まで八郎を見る。

「強いて言えば、本を見たいです」

「本?」

「はい」

 和歌。

 物語。

 旅の記録。

 古い書。

 京で長く積み重ねられてきた文化。

「書き写して差し支えないものがあれば、八郎商会の筆写師に写させていただけないかなと」

「官位より書物か」

「今はそっちの方が欲しいです」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 八郎は少し身を乗り出した。

「博多を京にしたい、なんて大それたことを言うつもりはないんです」

 飯はある。

 住む場所もある。

 商売も増えてきた。

 人の往来も多くなった。

「でも、衣食住の先が足らんのですよ」

「先?」

「遊びです」

 言継が眉を上げる。

「遊びとな」

「はい。ただ騒ぐだけの遊びやなくて、教養になるような遊びです」

 歌を詠む。

 本を読む。

 絵を見る。

 旅をする。

 茶を楽しむ。

「京は千年近く、そういうものを積み重ねてるでしょう?」

「まあ、そのような面はあろう」

「そこを少し分けてもらいたいんです」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「僕も最近、短い句みたいなん作ってるんですよ」

「ほう?」

 八郎は少し得意げになる。

「別府の湯、桜一片、旅支度」

 一瞬の間。

 言継が口元を緩めた。

「ずいぶん簡潔だな」

「でしょう?」

「褒められておると思うておるな」

「嫁たちには、おつやと言われました」

 後ろの夏姫が苦笑する。

「ただ、僕が欲しいのはもっとすごいやつなんです」

 読めばしんみりする。

 笑える。

 旅へ出たくなる。

 誰かに話したくなる。

「そういうもの、京には山ほどあるんちゃいます?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そして八郎は、今進めていることを説明した。

 九州と四国では、城や武士、農民たちの借金を順に整理している。

 生活が少し安定してきたので、次は旅をしてもらいたい。

「例えば讃岐です」

 高松。

 善通寺。

 金毘羅。

 塩江の湯。

「そこを歩いて、一句でも歌でも詠んでもらう」

 旅の様子を書く。

 別の者が絵を描く。

 それを八郎商会が買い取り、筆写する。

「で、書庫に置いて町の人にも読んでもらうんです」

「なるほど……」

 言継は先ほどより真剣な顔で八郎を見る。

「そなた、見ておるところが少し先だな」

「そうですか?」

「今の京には、そこまで余裕のない者も多い」

「なら旅費出しますよ」

「そこまで申すか」

「来ていただけるなら」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 八郎はさらに続けた。

「博多には、京から来られた法華宗のお坊様や町衆の方もおります」

 今回、その一部は里帰りとして一緒に京へ連れてきた。

「堺と博多は船便もありますから」

 一度九州へ行ったら終わりではない。

「半年でも一年でも、合わなかったら帰ってくればええんです」

「ずいぶん気軽に申すな」

「その方が来やすいでしょう?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 別の公家が笑った。

「ここへ来る者は、加恩を求めることが多い」

「僕、今は土地より本が欲しいですね」

「七歳でそのようなことを考えるか」

「もう七歳です」

 また小さな笑いが起きた。

 やがて山科言継が言った。

「禁裏に伝わる書の中にも、写しを作って差し支えないものはあろう」

「ほんまですか?」

「すべてとはいかぬがな。こちらで写しを作り、それを持ち帰る形なら話もしやすい」

 八郎の顔が一気に明るくなった。

「なら、京に八郎商会の筆写の出張所を作ってもええです?」

「出張所?」

「できれば京の人を雇いたいです」

 京で仕事が生まれる。

 銭も京へ落ちる。

 出来上がった写本だけ、船で博多へ送る。

「そうしたら、京にも少し銭が残るでしょう?」

 言継はしばらく八郎を見つめ。

 やがて楽しそうに笑った。

「そなた、妙な童だな」

「よく言われます」

「だが、その心掛けは悪くない」

「ありがとうございます」

 五月一週目。

 八郎は朝廷へ二千五百万文を寄進した。

 その見返りに求めたのは。

 官位でも。

 新しい土地でもなかった。

 山科言継を通じて、京に積み重なった本と文化を、西国へ持ち帰る道だった。

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