1537年。四月二週目 別府の湯、桜一片、旅支度
四月二週目。
大友家への挨拶を終えた翌朝。
別府の湯に浸かった八郎は、湯上がりに庭先の桜を眺めながら、ぽつりと言った。
「別府の湯、桜一片、旅支度」
「……お」
姫君の一人が八郎を見る。
「なんかなかなか、おつな感じがしますよ」
「でしょう?」
八郎は少し嬉しそうだった。
「言葉にして残したら、旅って楽しそうに見えますね」
「また冊子に載せるんです?」
「載せたいですね」
道後の句に続き、今度は別府。
こうして一つずつ残していけば、それだけでも旅の記録になる。
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大友の館を辞した一行は、豊後から船に乗り、高松を目指した。
「しかし別府は、あれですね」
「何です?」
「僕、硫黄の匂いあんまり好きちゃいます」
「そこですか」
「ありがたいんですよ。源泉が湧いてるんですから」
ただ。
あの独特の匂いが何とかならないものか。
「源泉に近すぎたら今度は熱いでしょう?」
「そらそうでしょうな」
「ちょうどええ温度で、匂いもほどほどで、いうたら結構難しいですね」
「温泉一つ入るのにも注文多いですね」
「快適さは大事ですよ」
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すると同行していた商会の者が笑う。
「でも八郎様。硫黄がそれだけあるいうことは、それはそれで使い道ありますよ」
「火矢とか?」
「工夫すればいろいろできるでしょう」
「それはそれでありですね」
八郎は一瞬考えた。
そして。
「いやいや」
「はい?」
「硫黄が使えるいう話と、温泉が臭いいう話は別です」
「そこ分けます?」
「分けます」
姫君たちが笑った。
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船は豊後の海を離れ、瀬戸内へ向かう。
八郎は甲板から海を眺めた。
「今回、船旅多いですね」
「八郎様の領地が海沿いばっかりですから」
「何か面白いもの見れたらええですね」
ただ。
八郎が一番喜んでいたのは。
「魚うまいですね」
「結局そこですか」
「海近いですから」
そこで八郎はふと首を傾げた。
「瀬戸内って、陸と陸に挟まれてるでしょう」
「はい」
「魚の餌、多いんですかね?」
「……考えたことありませんな」
「海の魚って何食うてるんでしょう」
「魚ちゃいます?」
「その魚は?」
「もっと小さい魚?」
「その小さい魚は?」
「知らんがな」
船の上で。
領主と姫君たちは、いつの間にか魚の飯について真剣に話していた。
「まあ、うまかったらええか」
「そこに戻るんですね」
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一方。
堺では、八郎の上洛がすでにちょっとした話題になっていた。
「聞いたか?」
「何を?」
「八郎殿、京へ来るらしいで」
「七歳児が?」
「結婚したから新婚旅行やと」
「……京へ?」
「ついでに幕府と朝廷へ挨拶して、銭も納めるらしい」
堺商人たちは笑った。
「ついでがでかいな」
「しかも三好の捕虜千人返すらしいぞ」
「千人!?」
「結婚記念やて」
「何やその祝儀」
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八郎商会の者が堺へ先入りすると、当然囲まれた。
「ほんまに千人返すん?」
「その予定です」
「身代金なし?」
「八郎様は、今回はそのつもりみたいですね」
「太っ腹やなあ」
一人の商人がにやりと笑った。
「ほな、うちらのところでも銭落としてくれへん?」
「相談しときます」
「頼むで」
「別に急ぐ旅でもないですし、八郎様も道中で皆さんと顔合わせしたい言うてますから」
それを聞いて商人たちの顔が明るくなる。
「そら大事や」
「道中の安全を買う意味でも、いろんな人と会っておくのは悪くないですからね」
「銭なら撒くんやろ?」
「八郎様ですから」
「それは八郎商会にはかなわんなあ」
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だが商人たちが何より面白がっているのは、三好の反応だった。
「千人返された三好がどう出るかやな」
「礼言うんか」
「まだ戦は完全に片付いてへんやろ」
「そこへ七歳児が『新婚旅行なので通ります』や」
「面白すぎるやろ」
そこへ別の商人が聞いた。
「嫁さんも来るん?」
「四人ほど一緒です」
「四人!?」
「大内、大友、尼子、それと島津ですね」
一同が黙った。
「……それ、姫だけでえらい顔ぶれやな」
「でしょう?」
「もうそれだけで国一つ作れそうやん」
「何言うてるんですか」
「いやいや、ほんまに」
堺商人は笑う。
「七歳児の後ろに、大内、大友、尼子、島津の姫がぞろぞろついて京入りするんやろ?」
「まあ、そうなりますね」
「そっち見るだけでも価値あるわ」
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別の商人が腕を組んだ。
「しかしまあ」
「何です?」
「八郎殿は一個一個、やることが面白いな」
戦に勝つ。
捕虜を返す。
温泉を作る。
旅の冊子を書く。
結婚する。
そのまま七千万文近い銭を動かしながら京へ向かう。
「普通、どれか一個やで」
「八郎様は一緒にやりますから」
「それが面白いねん」
堺では。
まだ本人が到着する前から。
七歳の八郎と、四人の姫君を迎える話で盛り上がり始めていた。
その頃、当の本人は。
船の上で魚を食べながら。
「瀬戸内の魚って、やっぱり餌がええんですかねえ」
そんなことを考えていた。




