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1537年。三月四週目 借金を消して、次は京へ

 三月四週目。

 三好の捕虜二百人を堺へ送り返したあと。

 八郎は、また帳面の山の前に座っていた。

「ほな、今週も帳面合わせしましょうか」

「またですか」

「毎週やっとかんと、すぐ分からんようになりますからね」

 交易。

 市。

 石見銀山。

 兵の維持。

 戦勝祝い。

 普段の文化や遊び。

 塩江の湯治場。

 捕虜の飯、人足代。

「細かいところは皆さんで見といてください」

「八郎様がそれ言います?」

「全部見てたら一週間終わります」

 帳面役たちが苦笑しながら数字をまとめていく。

 そして。

 今週までの収支を全部差し引いたところで。

「二億九千五百十八万文です」

「おお」

 一郎が身を乗り出した。

「また三億近づいてきたな」

「戦争終わってから戻るの早いですね」

「使っても使っても増えるな」

「回してますからね」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「で」

 八郎が次の帳面を取り出した。

「このうち二億四千万文、消します」

「……何を?」

「借金を」

「また!?」

 八郎が地図を広げる。

「讃岐、三万五千石の束二つ」

「七万石分やな」

「はい」

「それと?」

「石見、三万五千石の束一つ」

 一束につき。

 城。

 武士。

 農民。

 商人。

 そのあたりの負債をまとめて。

「八千万文ぐらいで置いてます」

 三束分。

「二億四千万文」

「また一気に消すんやな」

「早い方がええですよ」

「この前、備前も三億二千万消したばっかりやぞ」

「はい」

「まだ行く?」

「行きます」

・・・・・・・・・・・・・・・・

 一郎が頭を抱える。

「もう少し積んどいたらええんちゃうか」

「積む分は積みます」

「ほんま?」

「兵站のこと忘れてませんよ」

 今回の戦では。

 二十万近い兵を動かした。

 飯を運ぶだけで限界が見えた。

 蔵。

 船。

 干飯。

 芋。

 塩。

「次のための蓄えも要ります」

「ほな、なんでこんな勢いで借金消すん?」

 八郎は少し笑った。

「讃岐は嫌がらせです」

「また始まった!」

・・・・・・・・・・・・・・・・

「いやいや」

 八郎は讃岐を指差す。

「三好からしたら嫌でしょう?」

 少し前まで。

 讃岐では三好の兵が動いていた。

 徴発もあった。

 戦もあった。

 借金も積み上がった。

 それが八郎側へ入った途端。

 市が立つ。

 飯が出る。

 仕事が増える。

 塩江には湯治場まで作り始める。

「そこへ借金まで消える」

「……確かに嫌やな」

「でしょう?」

・・・・・・・・・・・・・・・・

「三好の面目、潰れますよ」

「言い方悪いなあ」

「でも事実でしょう」

 領民からすれば。

 比べる相手ができる。

 ――三好の時には残っていた借金が、八郎になったら消えた。

 ――捕虜でも四十文もらえる。

 ――市が増える。

 ――温泉まで作っている。

「向こうの統治能力、疑われますよね」

「それ狙ってるんやろ」

「まあ、多少は」

「多少ちゃうやろ」

・・・・・・・・・・・・・・・

 しかも今。

 讃岐や阿波には、まだ三好の捕虜がいる。

「ちょうどええんですよ」

「何が?」

「変わっていくところを見てもらえる」

 借金が減る。

 町が整う。

 市に人が集まる。

 働けば銭がもらえる。

「もうちょっと見てもらってから帰ってもらいましょう」

「ますます嫌な流れやな」

「いやいや」

 八郎は笑う。

「帰ったら言ってもらいたいんですよ」

「何を?」

「八郎はいい領主やったって」

「自分で言わせるんか」

「いいものはいいでしょう」

「まあ……いいものは、いいようですな」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「じゃあ石見は?」

「石見は普通に消します」

「普通に?」

「はい」

 石見は以前から八郎領に入っている部分もある。

 銀山もある。

 交易もある。

 ただ。

 戦や支配の変化で残った借金は、まだ整理しきれていない。

「銀山で銭入ってるのに、その周りが借金まみれって変でしょう」

「まあな」

「だから消します」

「こっちは嫌がらせやないんやな」

「こっちは普通に統治です」

「同じことしてるのに言い方違うな」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 二億九千五百十八万文。

 そこから。

 二億四千万文。

「残り五千五百十八万文」

「今度は使わんの?」

「これは積みます」

 一同が少しだけ安心した。

「八郎商会の蔵へ?」

「はい」

「兵站用?」

「それもありますし、次の借金返済の原資にもします」

「結局また使うんやな」

「そらそうですよ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 八郎が新領地の帳面をめくる。

「ちなみに」

「まだあるん?」

「新しく入った領地の借金」

 算盤を置く。

「あと十六億八千万文ぐらいあります」

「……なんぼ?」

「十六億八千万文」

「途方もないやんけ!」

「いやいや」

 八郎は平然としている。

「何か国増えたと思ってるんです?」

 出雲。

 美作。

 伯耆。

 因幡。

 備前。

 讃岐。

 阿波。

 西播磨の一部。

「そら借金も増えますよ」

「領地取ったら借金まで付いてくるんやな」

「人ごと引き受けるって、そういうことでしょう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「まあ、しばらくこれでやります」

 稼ぐ。

 積む。

 借金を消す。

 市を立てる。

 また稼ぐ。

「順番にやればええです」

「十六億八千万を?」

「前にもやりましたから」

「感覚麻痺しとるなあ」

 その時。

 八郎が帳面を閉じた。

「で」

「ん?」

「僕、京に向かいますよ」

 部屋が静まった。

「……京?」

「はい」

「ちょっと待て」

 一郎が身を乗り出す。

「今まで借金の話してたよな?」

「してました」

「なんで急に京やねん!」

「次の話です」

「話でかくなってきたぞ!」

 三月四週目。

 讃岐二束。

 石見一束。

 合わせて二億四千万文の借金が消えた。

 新領地にはまだ十六億八千万文。

 それでも八郎は。

 帳面だけを見続けるつもりはなかった。

 次に目を向けた先は。

 京だった。

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