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1533年2月。領主と八郎の問答。八郎は5万文より根本の領地全体の160万文推定ある負債の減らし方を考えている

 殿はしばらく黙っていた。

 八郎の言葉。

 五万文ではなく、領内全体を見る。

 市を動かす。

 仕事を作る。

 銭を回す。

 普通なら家臣が何年も考えるような話を、目の前の三歳児が淡々と言っている。

 殿は大きく息を吐いた。

「……ようわかった」

 八郎が顔を上げる。

「はい」

「お前の考えはようわかった」

 殿は苦笑した。

「つまりや」

「はい」

「八郎、お前はもう領地全部を見とるんやな」

「いえ、そこまでは……」

「見とる」

 殿が遮った。

「五万文が欲しいと言ったら、お前は五万文をどう払うか考えんかった」

「……」

「なぜ五万文が足らんのか」

「……」

「どうすれば今後足りるようになるか」

「……」

「そこを見た」

 家臣たちも黙る。

「おそらくやけどな」

 殿は続けた。

「五万文だけなら、お前にとってはもう大した問題ではないんやろ」

「そんなことは……」

「ある」

 殿は笑った。

「市が三つあると言った時点で、お前の頭の中では計算終わっとる」

「……」

「一つの市で飯屋を広げる」

「……」

「湯浴みを作る」

「……」

「人を雇う」

「……」

「銭を回す」

 殿は八郎を見る。

「多分五万文くらい作れると思っとる」

 八郎は困った顔をする。

「まあ……」

「ほれ」

「いや」

「認めたやないか」

「違います」

「何が違う」

「五万文を稼ぐことと、領地を立て直すことは違います」

 殿の表情が止まる。

「……」

「私が怖いのはそこです」

「怖い?」

「はい」

「うちの千五百石でも、十六万文でした」

「……」

「なら一万五千石なら、百六十万文あるかもしれません」

「……」

「五万文を出して終わりじゃないです」

 八郎は続けた。

「そこを放置したら、また足りなくなります」

「……」

「だから現状を見たいと言っただけです」

 その言葉に、殿の顔が少し険しくなった。

「なるほどな」

「はい」

「では聞く」

「はい」

「もし」

 殿はゆっくりと言った。

「お前が百六十万文の問題を片付けたら」

「……」

「わしらは用済みか?」

 空気が凍った。

「殿」

 家臣が止めようとする。

 だが殿は続ける。

「民は八郎を見る」

「……」

「寺も八郎を見る」

「……」

「商家も八郎を見る」

 殿は笑った。

「なら、城にいるわしは何や?」

「……」

「ただ年貢を取るだけの男か?」

「そんなことは」

「城は渡さんぞ」

 その一言で、和尚の眉が動いた。

 八郎も珍しく顔をしかめる。

「……殿様」

「なんや」

「そこまで言ってません」

「……」

「私は城が欲しいなんて一言も言ってません」

「……」

「ただ、困っている人を減らしたいだけです」

 八郎は少し怒った顔になる。

「それに」

「それに?」

「百六十万文を解決できるかなんて分かりません」

「……」

「まだ何も見てません」

「……」

「できることを一つずつやっているだけです」

 和尚は静かに聞いていた。

「湯浴みもそうです」

「……」

「飯屋もそうです」

「……」

「漬物もそうです」

「……」

「小さいことを積み重ねてるだけです」

 八郎は言った。

「庄屋の皆さんが喜んでくれたのは、借金が消えたからじゃありません」

「……」

「道筋が見えたからです」

 殿は黙る。

「どうしたらいいか分からないのが一番苦しいんです」

「……」

「だから、まず見ると言っただけです」

 しばらく沈黙が続いた。

 やがて殿はため息をついた。

「……三歳児に説教されるとはな」

「説教では」

「もうええ」

 殿は手を振った。

「今日は帰れ」

「殿様」

「五万文」

 殿は言った。

「それは作れ」

「……」

「約束や」

 八郎は少し頭を下げる。

「分かりました」

「下がれ」

「はい」

 八郎と父、和尚は城を後にした。

 帰り道。

 父は困った顔をしていた。

「八郎」

「はい」

「大変なことになったな」

「ですね」

「お前、殿様怒らせたぞ」

「怒らせたというか……」

 八郎はため息をつく。

「難しいですね」

「何がや」

「助けたいだけなのに」

「……」

「立場って難しいですね」

 その言葉を聞いて、和尚は黙っていた。

 だが内心は違った。

(あかんな)

 和尚は思う。

(殿は間違えてしもうた)

 銭が欲しい。

 それは分かる。

 戦がある。

 それも分かる。

 だが。

(民の前で、八郎と殿を並べたら……)

 答えは見えていた。

 片方は銭を取る。

 片方は仕事を作る。

 片方は五万文を求める。

 片方は百六十万文の問題を見ている。

(これは……)

 和尚は小さく息を吐いた。

(庄屋衆に話したら、もう止まらんかもしれんな)

 そして、少し笑った。

(まさか三歳児を領主にした方がええと思う日が来るとはな)

 隣では八郎が父と話している。

「でも五万文どうしましょうね」

「お前なら何とかするんちゃうか」

「いやいや、私三歳児ですよ」

「今さらそれ言うか」

 父が笑う。

 和尚もつられて笑った。

 しかし心の中では、もう決め始めていた。

 この土地を本当に救える者は誰なのか。

 その答えを。

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