1533年2月。領主から呼ばれる。八郎のところは羽振りがいいな。こちらは小競り合いで疲弊している。何とかならんか。
殿から呼び出しが来た。
その知らせを聞いた瞬間、八郎は小さく顔をしかめた。
「……嫌な予感しかしませんね」
父が苦笑する。
「殿様から呼ばれて第一声がそれか」
「いや、だって早すぎますもん」
「早すぎる?」
「はい。一月しか経ってません」
八郎は指を折りながら言う。
「市の商売が動き出して、湯浴みを作って、人を雇い始めたところです。
まだ成果なんて呼べるほどじゃありません」
「普通なら十分すぎるけどな」
「でも殿様から見たら……」
八郎はため息をつく。
「銭持ってるように見えます」
父は黙った。
否定できなかった。
そこで和尚様にも相談することにした。
寺で話を聞いた和尚様は腕を組む。
「呼ばれたか」
「はい」
「まあ、そろそろ耳には入ると思っとった」
「どうしましょう」
「何がや」
「銭を出してくれ、と言われたら」
和尚は少し考えた。
「そこは相手の出方次第やな」
「ですよね」
「ただな」
和尚は八郎を見る。
「嘘はつくな」
「はい」
「ただ、全部言いすぎるな」
「難しいですね」
「お前はそこが下手や」
八郎が苦笑する。
「よく言われます」
「三歳児のくせに隠し事が下手というのも変な話やけどな」
父も横でため息をつく。
「困ったなあ」
「父上が一番困った顔してますね」
「当たり前や。殿様相手やぞ」
そんな話をしながら、三人で城へ向かった。
・・・・・・・・・・・・・・・
「おお、来たか」
殿はいつものように笑って迎えた。
「八郎」
「はい」
「あれから一月ほど経ったからな。どうしておるかと思って呼んだだけや」
「ありがとうございます」
八郎は頭を下げる。
「しかし」
殿はにやりと笑った。
「市では随分評判らしいな」
「……ありがたいことに」
「飯屋が四つになったとか」
「家族や皆のおかげです」
「マグロを売ったとか」
「たまたまです」
「酒まで出したとか」
「お客様が喜んでくださったので」
殿は笑った。
「全部たまたまか」
「はい」
「便利な言葉やな」
周囲の家臣が少し笑う。
八郎は続けた。
「本当にそうなんです。まだ続くかわかりません」
「ほう?」
「マグロも、今は珍しいから売れています」
「なるほど」
「それに母上が倒れたら終わります」
「母か」
「はい。味を整えているのは母上ですから」
殿は感心した。
普通なら自分の手柄にする。
だがこの子供は周りの名を出す。
「しかしな」
殿は話を変えた。
「湯浴みを作ったらしいな」
「はい」
「あれ、五千文ほどするやろ」
「しました」
「三歳児が五千文出すか」
「村のためです」
「村のため?」
「はい」
八郎は説明した。
「冬場は仕事がありません」
「……」
「だから仕事を作りたかったんです」
「仕事か」
「火を見る者、水を見る者、布を見る者」
「三人雇うと聞いた」
「はい」
「羽振りがいいな」
その言葉で少し空気が変わった。
「こちらはな」
殿はため息をつく。
「国境で揉め事ばかりや」
「はい」
「兵を出せば米が減る。銭も減る」
「……」
「勝った負けたでもない戦でも、出すものは出ていく」
殿は八郎を見る。
「わしは困っとる」
「……」
「そちらは銭が回っているようやしな」
独り言のような言い方だった。
だが意味は全員分かった。
父の顔が強張る。
和尚も目を細めた。
八郎は少し考えてから答えた。
「殿様」
「なんや」
「私たちも困っています」
「ほう」
「十の村の庄屋衆と話しました」
「ああ」
「最初は不足が五万文から十万文と聞いていました」
「そうだったな」
「でも実際は違いました」
「違う?」
「借り入れなどを含めると、倍ほどありました」
殿の顔が変わる。
「倍?」
「はい」
「……」
知らなかった。
いや、見えていなかった。
「なので今、その穴をどう埋めるか考えています」
「それで湯浴みか」
「はい」
「五千文も使って?」
「はい」
八郎は頷く。
「贅沢品を買ったわけではありません」
「……」
「銭を仕事に変えました」
その言葉に殿は黙る。
「銭を持っていても、村の人は助かりません」
「……」
「でも仕事になれば日当になります」
「なるほどな」
殿は感心した。
だが同時に苦笑する。
「困ったな」
「はい?」
「お前、正しいことを言う」
「……」
「だがな」
殿は本音を漏らした。
「わしにも銭がいる」
静かになる。
「正直に言えばな」
「はい」
「あの一割下げた税」
「はい」
「戻したい気持ちはある」
父が息を飲む。
和尚の目が少し鋭くなった。
「だが」
殿は続ける。
「それをやれば格好がつかん」
「……」
「三歳児と交わした約束を、銭が欲しいから破る殿になる」
自嘲気味に笑う。
「そんな殿、誰が信じる」
和尚は黙って聞いていた。
「かといって」
殿はさらに言う。
「寄進しろと言うのもな」
「……」
「三歳児に銭をせびる殿になる」
「……」
「それも格好悪い」
少し冗談めかしていた。
だが和尚は笑わなかった。
内心、少し怒っていた。
(この子が何をしていると思っておる)
銭をため込んでいるのではない。
困った者を雇い。
村を立て直し。
殿が見られなかったところを支えている。
それなのに。
成功したから取る。
それでは誰も新しいことをしなくなる。
「殿」
和尚が静かに口を開く。
「なんや」
「少しだけ、よろしいですかな」
声は穏やかだった。
しかし父は分かった。
和尚は怒っている。
「八郎は銭を作ったのではありません」
「……」
「人の流れを作ったのです」
その場の空気が変わる。
「そこを間違えると」
和尚は殿を見る。
「大切なものを失いますぞ」
殿は黙った。
八郎も黙った。
子供が作った小さな流れ。
それを領主が潰すのか、育てるのか。
その分かれ道に立っていた。




