1533年1月。三郎兄様の帳簿どうする?日当はもらうが利益は八郎管理でいいよ。農業課題どうなってますか?
帳簿を締め終えて、囲炉裏の火を見ながら八郎は三郎の方を向いた。
「それで三郎兄様」
「なんや?」
「炒め飯屋の帳面なんですけど、うちの家の帳面につける形でええですか?
それとも三郎兄様のお店として分けます?」
その言葉に父が目を丸くした。
「お前、そこまで考えてたんか」
「いや、一応ですよ。三郎兄様が一人でやってる店ですから」
八郎は普通の顔で言う。
「売り上げもある。利益も出てる。なら兄様の商いとして見る考え方もあります」
三郎は少し黙った。
そして首を振った。
「いや、ええわ」
「ええんですか?」
「ああ」
三郎は笑う。
「正直な、俺一人の力ちゃうやろ」
「そんなことないですよ。兄様が炒め飯作って売ってるじゃないですか」
「それはそうやけどな」
三郎は頭をかく。
「そもそも炒め飯なんか八郎が考えたもんや」
「……」
「米も卵も漬物も、仕入れの流れも、お客さんとの付き合いも、全部八郎が作った道や」
父も頷く。
「まあ、それはそうやな」
「だから今は家の帳面でええ」
三郎は言った。
「その代わり」
「はい」
「日当はくれ」
それを聞いてみんな笑った。
「もちろんですよ」
八郎も笑う。
「八十文×働いた日数分です」
「それで十分や」
三郎は真面目な顔になる。
「八郎、わかってるか?」
「何がです?」
「五日働いて四百文やぞ」
「はい」
「普通ありえんからな」
「……」
「武家に仕えて働いても、そんな簡単に銭なんか手元に残らん」
父も頷いた。
「飯があって、家があって、その上で小遣い四百文やからな」
「そう考えたら大きいですね」
「大きいどころやない」
三郎は笑った。
「だから利益は家で持っとけ」
「村のために使ってもいいですか?」
「むしろ使え」
三郎は即答した。
「八郎が銭を回した方が絶対うまくいく」
「そんな信用されても困りますけど」
「今さらや」
父が笑った。
「湯浴み作って、人雇って、市広げて、マグロ売って、兄弟の仕事まで作った奴が何言うとる」
「いや、たまたまです」
「たまたまが多すぎるわ」
みんな笑う。
八郎は少し考え込んだ。
「じゃあ、とりあえず一月はこれで終わりですね」
「ああ」
「二月に入って……もし殿様から呼び出しがなければ」
その言葉に少し空気が変わる。
「呼ばれると思うか?」
父が聞く。
「可能性はあります」
八郎は正直に答える。
「これだけ市で騒ぎになってますから」
「まあな……」
「ただ、何もなければ」
「なければ?」
「もう一つ湯浴みを作ります」
「早い!」
全員が突っ込んだ。
「いやいや」
八郎は手を振る。
「早くないです」
「早いやろ」
「今の湯浴みで仕事したい人がたくさんいるんですよね?」
「ああ」
「なら仕事場を増やすしかないじゃないですか」
「簡単に言うなあ」
「釜代五千文ですよ?」
八郎は指を立てる。
「今なら出せます」
「一月前なら考えられんな」
「だから今やるんです」
そこで八郎は父を見る。
「あ、それより父上」
「なんや?」
「絶対忘れてますよね」
「何をや」
「杵です」
「……」
父が目を逸らした。
「あ」
「忘れてましたね」
「忙しかったんや!」
みんな笑った。
八郎は今度は一郎と二郎を見る。
「一郎兄様、二郎兄様は覚えてます?」
「いや……」
「八郎が言うてること多すぎて、どれかわからん」
二郎が苦笑する。
「水車です」
「水車?」
「今度一緒に見に行きましょう」
八郎は手で輪を作る。
「あの水でくるくる回るやつです」
「ああ」
「その力を使うんです」
「どうやって?」
八郎は立ち上がって説明する。
「こう、水車が回ります」
手を回す。
「その力で杵を上げます」
腕を持ち上げる。
「上がった杵が……」
手を離す真似をした。
「どん、と落ちる」
「……」
「それで米をつくんです」
一郎と二郎が顔を見合わせる。
「人がやらんでええんか?」
「全部ではないですけど、楽になります」
「そんなことできるんか」
「だから職人さんに相談です」
八郎は笑う。
「今なら千文、二千文出せます」
父が苦笑した。
「昔なら千文出すだけで大騒ぎやったのにな」
「今だからです」
八郎は真面目な顔になる。
「九月、十月になってから作ろうとしても遅いです」
「収穫の時か」
「はい」
「米が取れてから、あったらよかったって言っても間に合いません」
父が黙って頷く。
「冬の間に試すんです」
「なるほどな」
「失敗しても直せます」
八郎は続ける。
「秋に初めて動かして失敗したら困ります」
「困るというか……」
「楽できません」
その一言にみんな笑った。
「そこなんやな」
「大事ですよ」
八郎は真顔だった。
「みんなが少し楽になったら、その時間で漬物作ったり、商売したり、休んだりできます」
父はため息をついた。
「湯浴みもそうやけど、お前の考えは全部そこにつながっとるんやな」
「はい」
「仕事をなくすんじゃなくて」
「別のことができるようにするんです」
三郎が笑った。
「三歳児が言う言葉ちゃうぞ」
「またそれですか」
「いや、毎日思うわ」
囲炉裏に笑い声が響く。
一月。
ただ食うためだった家は、いつの間にか村の未来を考える家になっていた。




