1533年1月。1月7度目の市の日。市の常連さんから村の湯あみの話を聞いたでと絡まれる。平穏に市が終了
七度目の市の日。
一月も残すところ、あと二回の市になっていた。
朝から家では仕込みで大騒ぎだった。
混ぜ飯。
魚のつみれ。
炒め飯。
天ぷら。
そして、すっかり目玉になったマグロの味噌煮。
母は鍋を見ながら苦笑した。
「八郎」
「はい、母上」
「一月前、うちらこんなことしてなかったよね?」
「そうですね」
「お前、わかってる?」
「何がです?」
「一月で変わりすぎや」
父も横から笑う。
「ほんまやぞ。最初は混ぜ飯売れるかなあ言うてたんやぞ」
「はい」
「今、人何人雇っとる?」
八郎は指を折る。
「市の手伝い、混ぜ飯売り、湯浴み……」
「ほら数えなあかんようになっとる」
「増えましたね」
「増えましたね、ちゃうわ」
兄たちも笑った。
「でも、人が増えたなら覚えてもらわないことも増えます」
八郎は真面目な顔で言う。
「母上しか作れない、父上しかできない、では困ります」
「また始まった」
「三歳児の言う話ちゃうぞ」
そこへ、新しく雇われた二人の女衆が頭を下げた。
「八郎様」
「様はいらないですよ」
「いえ……話は聞いております」
「話?」
「八郎様のお店は働いた分だけちゃんと銭をくださるって」
「……」
「うちも冬は仕事がなくて」
「頑張りますので、何でも使ってください」
八郎は少し困った顔になる。
「無理はしなくていいです」
「え?」
「まず覚えるところからです」
「はい」
「今日は母上の手伝いで、マグロの下処理をお願いします」
「魚ですね」
「少し臭いかもしれません」
「大丈夫です」
「お願いします」
二人は深々と頭を下げる。
それを見て八郎が首を傾げた。
「なんで皆そんなにやる気なんですかね」
父が笑った。
「そらそうやろ」
「?」
「八郎のところで働きたい人、山ほどおるぞ」
「そんなにですか?」
「湯浴みの仕事なんか揉めたぐらいや」
「ああ……」
「誰を入れるか大変やったわ」
「仕事がないんですね」
「そういうことや」
八郎は小さく頷いた。
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市に着く。
もう準備も慣れたものだった。
鍋を置く。
飯を並べる。
酒の準備をする。
するとすぐ声が飛んだ。
「坊主!来たぞ!」
「いらっしゃいませ」
「今日はマグロあるんやろ?」
「ありますよ」
「それ目当てや」
「魚ですよ?」
「もう魚ちゃうわ、あれは」
常連たちは笑う。
「酒にも合うしな」
「飲み過ぎないでくださいね」
「三歳児に酒の心配されるとはな」
周囲が笑いに包まれる。
新しく入った女衆二人は、それを見てぽかんとしていた。
「……いつもこんな感じなんですか?」
母が笑う。
「そうよ」
「八郎様って……」
「不思議やろ?」
「はい」
「私も未だによく分からん」
「え?」
「でもね」
母は鍋を混ぜながら言う。
「確実に皆を笑顔にして、銭を稼いでくる」
「……」
「そこだけは間違いないね」
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昼頃。
いつもの常連が八郎の横に座る。
「聞いたぞ坊主」
「何をです?」
「村に釜入れたんやってな」
「ああ、湯浴みですね」
「えらい評判やぞ」
「なんで知ってるんですか」
「市を何やと思っとる」
「?」
「物売りが来る。旅人も来る。噂なんかすぐ回る」
「ああ……」
「もうこの市で坊主知らん奴おらんぞ」
「困りますね」
「なんでや」
「目立ちすぎです」
「今さらか!」
常連が大笑いする。
「三歳児が店四つ出して、マグロ売って、湯浴み作って、千五百石見るんやろ?」
「……」
「目立たん方がおかしいわ」
「そこなんですよ」
八郎は小声になる。
「殿様がどう見るかですね」
「怖いか?」
「はい」
「正直やな」
「今の殿様はいい方です」
「うん」
「でも、人の心は変わりますから」
常連は少し驚いた顔をした。
「……ほんまお前、三歳児か」
「三歳です」
「普通、三歳児は領主の心配せん」
「僕もしたくないです」
その答えにまた笑いが起きた。
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夕方。
大きな問題もなく売り切れた。
「今日は前より少ないですね」
八郎が銭を見ながら言う。
父が呆れる。
「感覚おかしくなっとるぞ」
「そうですか?」
「少ない言うても、前がおかしいんや」
「まあ、確かに」
「一月前考えろ」
「混ぜ飯だけでしたね」
「そうや」
「……変わりましたね」
「お前が変えたんや」
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帰り道。
荷車を押しながら、新しく入った二人に八郎が聞いた。
「今日どうでした?」
「楽しかったです」
「本当ですか?」
「はい」
「忙しかったですけど」
「でも、皆笑ってました」
「なら良かったです」
八郎は笑う。
「うちは月八回市に出ます」
「八回も」
「はい」
「慣れたらお願いしますね」
「もちろんです」
女衆は嬉しそうに言った。
「でも……」
「?」
「この仕事、やりたい人、本当に多いですよ」
「そうなんですか」
「湯浴みもそうです」
「……」
「冬場、仕事がない人は多いですから」
八郎は頷く。
「冬は厳しいですもんね」
「八郎様は本当に気を遣いますね」
「そうですか?」
「はい」
「でも僕、まだ三歳ですよ」
その瞬間、全員が笑った。
「そこだけ三歳を出すな」
「都合ええ時だけ子供になるな」
荷車の音と笑い声が、夕暮れの道に響いていた。
たった一月。
だが八郎の周りでは、もう確かに何かが変わり始めていた。




