1535年8月1週目。土佐一条家に焦っていることを悟らせない程度に急ぐ攻城戦。門を破り心を折りに行く
土佐一条家を包囲しながら、東伊予へ三好勢八千が侵攻してきたことは、できる限り城内へ悟らせない。
そう決めた八郎だったが、さすがに普段どおりというわけにはいかなかった。
「……二日後、門を破りに行きましょう」
軍議の席で八郎がそう言うと、島津忠良をはじめとする重臣たちが、少しだけ顔を見合わせた。
「八郎様にしては、ずいぶん早うございますな」
「そうですか」
「いつもなら、あと十日でも二十日でも、飯を炊きながら待つと言われそうですが」
八郎は少し考えた後、素直にうなずいた。
「焦っておりますよ」
「やはり」
「焦ってはおります。ただ、それを一条家に気づかれるほど焦ったら駄目です」
東伊予へ戻るつもりはない。
だが、できれば土佐一条家との戦は、あと一、二週間程度で終わらせたい。
「本当なら、一月ぐらい囲んでもよかったのですけどね」
「一月ですか」
「はい。昼に七割で圧をかけて、夜は三割で起こす。毎日飯を炊いて、
農民兵には帰ってよいと伝える。それを一月やったら……」
八郎は指を折った。
「城の兵、半分ぐらいになりませんかね」
忠良が思わず笑った。
「一月もろくに眠れず、外では毎晩酒と飯の匂いがして、逃げれば飯をもらえるのでしょう」
「はい」
「農民兵なら半分どころか、もっと逃げるかもしれませぬな」
「その方が、こちらの犠牲は少なくて済むでしょう」
八郎にとって、城を早く落とすこと自体が目的ではない。
敵兵を殺さずに軍を解体する。
そのためなら時間を使う。
それがこれまでのやり方だった。
「ただ、今回は少し急ぎます」
城内には、最初五千五百ほどの兵が入った。
だが負傷者や疲労、夜間の離脱を考えれば、まともに戦える者は四千五百ほどではないかと見ていた。
「二日後の攻撃で、さらに千人ほど戦う気をなくしていただければ十分です」
「門を破っておきながら、千人減らせば引くので?」
「はい。城を取る必要はありません」
「また嫌なことをされますな」
「門がなくなった城で、次の夜を過ごしていただくだけです」
忠良は声を上げて笑った。
「なるほど。それは確かに嫌じゃ」
攻撃前日の夜。
八郎軍では、いつもより多めに酒が配られた。
「飲みすぎないでくださいね」
「酒を出しておいて、それを言われますか」
「明日戦いますから」
兵たちは笑いながら飯を食べた。
魚を焼く匂いが風に乗り、城内まで流れていく。
一方で、夜の嫌がらせも普段より少し強めた。
火矢を放つ。
太鼓を鳴らす。
城壁の外から声を上げる。
ただし、大火を起こすほどには撃たない。
「明日壊す門まで焼かないでくださいよ」
「注文が細こうございますな」
「使える城は使いたいですからね」
城内ではまた警鐘が鳴り、眠りについた兵が起こされた。
「またか!」
「火を消せ!」
「南側にも人を回せ!」
農民兵たちは、疲れ切った顔で走った。
城外からは酒を飲んで笑う声が聞こえる。
「なんで向こうは宴会しとるんじゃ……」
「兵糧が余っておるんじゃろ」
「こっちは飯も減ってきておるぞ」
その翌朝。
八郎軍は、いつもより早く動き始めた。
「今日は門まで行きます」
前へ出されたのは、島津勢をはじめとする屈強な兵たちだった。
その後ろを、盾を持った八郎軍が固める。
「門を破った後、勝手に奥へ入りすぎないでください」
八郎は何度も念を押した。
「白兵戦へ持ち込む必要はありません」
「門を破って帰るのでございますか」
「ある程度、中へ圧をかけます。農民兵が逃げ始めたら、それで十分です」
忠良が槍を持ちながら笑った。
「力仕事だけさせて、帰れと言われるわけですな」
「一番得意でしょう」
「言うようになりましたな」
合図とともに攻撃が始まった。
「押せ!」
盾の列が前進する。
城から矢が降るが、八郎軍は大盾で受けながら距離を詰めた。
その後ろから島津勢が進む。
「門へ寄せろ!」
城兵も必死に抵抗する。
石が落とされ、槍が突き出される。
それでも、疲労した城兵と、前夜まで休息を交代で取っていた八郎軍では勢いが違った。
「今じゃ!」
島津勢が一気に前へ出た。
門へ攻撃が集中する。
一度。
二度。
三度。
激しい音が響いた。
「もう一度じゃ!」
そしてついに、門の一部が大きく崩れた。
「開いたぞ!」
八郎軍から歓声が上がる。
島津勢がその穴から数十人ほど入り込み、城兵を押し返した。
だが八郎は、そこで止めた。
「奥まで行かないでください!」
「今なら押せますぞ!」
「押せますけど、押しません!」
兵を失ってまで城内の狭い場所で白兵戦をする意味はない。
八郎軍は門の内側を少し広げ、一条軍を後ろへ押したところで、意図的に隙間を作った。
「農民の方は武器を捨ててください!」
「逃げる者は追いません!」
「外へ出れば飯があります!」
最初は誰も動かなかった。
だが一人の農民兵が槍を落とした。
次に二人。
さらに十人。
「もうええ!」
「わしは帰る!」
「こんなところで死にとうない!」
門が破られたことで、これまで城を守っていた者たちの心にも穴が開いた。
一条家の侍が止めようとする。
「戻れ! まだ城は落ちておらぬ!」
しかし外には、八郎軍が意図的に残した逃げ道がある。
そこを次々と農民兵が走っていった。
八郎軍は追わない。
武器だけを置かせ、名前と村を聞き、後ろへ通す。
数刻ほど攻撃を続けた後、八郎は撤退を命じた。
「今日はここまでです」
「本当に引くので?」
「はい。十分でしょう」
島津勢も、名残惜しそうに城門から離れた。
そして最後に、八郎軍は壊れた門の近くへ籠をいくつか置いた。
「何を置いておるのじゃ」
城兵が恐る恐る確認すると、中には握り飯が入っていた。
紙には短く書かれていた。
『食べてください。明日も話し合いはできます』
「……なんじゃ、これは」
「門を壊して、飯を置いて帰りよったぞ」
城兵たちは、呆然とした。
その日の確認では、城内にいた五千五百ほどの兵のうち、すでに負傷や疲労で動けない者も含め、
戦える者は三千五百ほどまで減っていた。
そして何より大きいのは、門が破られたという事実だった。
「次は、いつでも入ってこられる……」
一条軍の兵たちの間に、その認識が広がっていく。
一方、八郎は自陣へ戻ると、すぐに東伊予から届いた書状を確認した。
「これで少し時間を縮められたと思います」
忠良が横から尋ねる。
「まだ焦っておられますか」
「もちろん焦っておりますよ」
八郎は平然と答えた。
「ですから、焦っているように見えない程度に、明日も飯を炊きます」
土佐では門が破られ、東伊予では三好軍が進んでいる。
八郎は二つの戦場を抱えながら、それでも一条家に急いでいることだけは悟らせず、
少しずつ終わりへ近づけようとしていたのであった。




