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1535年8月1週目。土佐一条家を包囲の最中に讃岐から三好家が兵8000で東伊予に侵入。警備のみでは抑えられないので一定市を放棄し西に下がらせながら対策をとる

八郎が土佐一条家の城を包囲していた頃、四国の東側では、別の動きが始まっていた。

 讃岐方面を押さえる三好家にも、伊予の情勢は断片的ながら届いていた。

「どうやら伊予をまとめた新しい勢力があるらしい」

「河野も西園寺も、その傘下へ入ったとか」

「しかも当主は五歳児だそうです」

「五歳?」

 あまりに妙な話ではあった。

 しかし、その五歳児が九州から兵を運び込み、伊予をまとめ、現在は一万を超える兵で

 土佐一条家を囲んでいるという。

「ならば、今の東伊予には大した兵は残っておるまい」

 三好方も、八郎家の内情をすべて把握しているわけではない。

 九州にどれだけの兵がいるのか。

 伊予の国人衆がどこまで八郎へ従っているのか。

 市と帳面が、どれほど深く地域へ入り込んでいるのか。

 分からないことの方が多かった。

「偵察も兼ねて、八千ほど出してみるか」

「押せるところまで押す、と」

「うむ。相手が弱ければ東伊予を取る。強ければ、その時に考えればよい」

 こうして三好勢、およそ八千が東伊予へ向けて進み始めた。

 一方、八郎側が東伊予の警備へ残していた直属兵は二千ほどしかいなかった。

「八千!?」

 急報を受けた現地の者たちは、一瞬騒然となった。

 河野家や国人衆の兵を新たに大量動員することも不可能ではない。

 だが、八郎本人の旗振りがない状態で、突然数千を集めて動かすのは難しい。

「全部守ろうとしたら、薄くなります」

 現地の指揮官たちは相談し、東端の土地を一時的に捨てる決断をした。

「最初の三万五千石のまとまりは畳む」

「市もですか」

「全部じゃ。持って逃げられる帳面と道具だけ持っていく」

 だが、単純に逃げるわけではなかった。

 市が農民から仕入れた米、魚、薪、野菜。

 まだ代金を払い切っていないものがあれば、すべて支払う。

 すでに買い取った物でも、持ち運べないものは村へ返した。

「これは持って帰ってくれ」

「えっ、銭はもういただいておりますが」

「構わぬ。三好方へ渡すくらいなら、おぬしらで食え」

 寺社へ預けていた備蓄も、可能な限り周辺へ配った。

「また戻ってくるかもしれぬ。その時は、また市へ持ってきてくれ」

「ほんまに戻ってくるんですか」

「八郎様次第じゃ」

「五歳の殿様に、そこまで任せて大丈夫なんか」

「わしらにも分からん!」

 そんなやり取りをしながら、八郎側は西へ下がった。

 一つ目の三万五千石。

 二つ目の三万五千石。

 合わせて七万石ほどを一時的に放棄する。

 そして三つ目の三万五千石圏で、ようやく踏みとどまった。

 同時に早馬が、土佐の八郎のもとへ走った。

「三好勢、およそ八千! 東伊予へ侵入!」

 知らせを受けた家臣たちの表情が変わる。

「八郎様、戻られますか」

 しかし八郎は、一条家の城を見ながら考え込んだだけだった。

「いや……戻りません」

「よろしいので?」

「現地の方々だけでも、ある程度は対応していただかないと困ります」

 八郎は淡々と答えた。

「僕が九州へ帰った後、何かあるたびに伊予まで出張ってくるわけにはいきませんからね」

「では、このまま一条家を囲むと」

「はい。ただし、東伊予には兵を送ります」

 八郎は絵図を広げた。

「こちらから一千五百をすぐ東へ回してください」

「残る兵は一万ほどになります」

「一条家を囲むには十分です」

 さらに、先々の三万五千石のまとまりごとに五百ずつ、侍を集めるよう早馬を飛ばす。

「八か所全部から取る必要はありません。使えるところから順に集めてください」

 伊予側の警備兵二千と、八郎が送る一千五百。

 さらに各地の侍を合わせれば、最終的には七千五百ほどまで持っていける見込みだった。

「三好八千に対して七千五百ですか」

「一旦、食い止めるには足りるでしょう」

「勝つのではなく?」

「今は勝たなくていいです」

 八郎は平然と言った。

「止めてください」

 一週間もすれば、九州から新たな二千が来る。

 さらにその次の週にも二千。

「七千五百で耐えていただければ、時間はこちらの味方です」

「その間に、領地をさらに取られる可能性は」

「ありますね」

 八郎はあっさり認めた。

「多少は仕方ありません」

 周囲が少し驚いた顔をする。

「土地は後で取り返せます。それより兵を無理にぶつけて失う方が困ります」

 そして、撤退方法についても確認した。

「最初の二か所、どうやって下がりました?」

「市を畳み、仕入れ代金を清算し、持っていけぬ品は農民へ返したそうでございます」

「それなら問題ありません」

「そこまで必要なので?」

「必要です」

 八郎は即答した。

「こちらの都合で逃げるのに、農民の方々へ損を押しつけたら、次に戻った時に

 誰も市へ来てくれません」

 もしまだ清算できていない場所があれば、銭を配ってでも終わらせる。

 米や食料を持って逃げられなければ、農民へ渡す。

「飯と銭を配りながら後退してください」

「普通、撤退する軍がすることでしょうか」

「うちでは普通にしましょう」

 三郎が苦笑した。

「相変わらず、逃げる時まで商売人やな」

「逃げ方も次の商売につながりますからね」

 八郎は三好軍についても、まだ過度には恐れていなかった。

「八千と言っても、侍だけで八千いるとは思えません」

「農民兵も多いと」

「おそらく」

 三好家の本拠から東伊予まで、八千の兵へ継続して兵糧を送るのは容易ではない。

 まして八郎側が市を畳み、米や食料を農民へ返してから撤退している。

「向こうは、取った土地で兵糧を集めるつもりでしょう」

「農民が協力すれば、ですが」

「はい。その辺も見ておきたいですね」

 河野城まで落とされれば話は変わる。

 しかし、そこまで三好が本気で押し込んでくるかは分からない。

「まずは三つ目のまとまりで止める。無理ならもう少し下がる。それで構いません」

「八郎様は?」

「僕は一条家を落とします」

 重臣の一人が、深くうなずいた。

「なるほど。ここで八郎様まで引き返したら、これまで一条家と戦った意味が薄れますな」

「そういうことです」

 しかも、一条家には東伊予が危ないことを悟らせたくない。

 八郎軍が焦っていると知られれば、籠城を続ければ助かると思わせてしまう。

「ですから、こちらはいつも通りで」

「飯を炊きますか」

「炊きます」

「夜も?」

「いつも通りです」

 城の外では、大鍋から湯気が上がった。

 盾を並べ、兵を交代させ、夜になれば三割を動かす。

 まるで東伊予で八千の三好軍が侵攻していることなど存在しないかのように、八郎軍は

 一条家への包囲を続けた。

 その裏で、早馬だけが猛烈な勢いで伊予を東へ走っていた。

 八郎は土佐で一万を動かしながら、東伊予では七千五百の軍を現地だけで組み上げようとしていた。

 五歳の当主自身が走り回らなくても、領地が戦えるのか。

 三好家の侵攻は、八郎家にとって初めての、本格的な「留守を守る戦い」になろうとしていた。

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