1535年7月3週目。帳面合わせ。東伊予の国人衆はやることが大幅に増えて不安www早馬飛ばして周囲に聞きまくってくださいwww
七月三週目、河野城の広間で、週ごとの帳面合わせが行われた。
河野家を傘下へ入れ、東伊予の国人衆も次々と挨拶へ来るようになったため、
これまでより参加者が多い。
八郎家の帳面役だけでなく、河野家の元家臣、西園寺家の者、周辺国人衆の当主や家宰まで、
広間の端へ並んでいた。
「では、今週の数字をお願いします」
「交易の利益は、二千四百万文ほどでございます」
「順調ですね」
九州と四国を往復する船が増え、伊予からも魚、塩、木材、紙の材料などが動き始めている。
九州からは焼酎、鍋、布、薬、琉球から入った品が運ばれてきた。
「領内の市や加工場などを合わせた利益は、三千二百三十万文ほどでございます」
「こちらも大きくなってきましたね」
八郎は帳面をめくり、伊予側の立ち上げ費用へ目を移した。
「伊予では、三万五千石ほどのまとまりを十か所作った、という理解でよろしいですか」
「はい。市の立ち上げが一か所九十万文、簡易の湯浴み場が百五十万文、高級湯浴み場が
百二十万文として、備忘の帳面へ載せております」
「まずは市の分だけ消しましょう」
八郎は小さな指で、帳面の数字を追った。
「九十万文が十か所ですから、九百万文ですね」
「一度に消してよろしいのでございますか」
「今の利益規模なら消せます」
八郎は一度うなずいた後、すぐに言葉を付け加えた。
「ただし、全部を一つの数字として消してはいけません。
一か所ずつ、実際に立ち上がったことを確認してから消してください」
「同じ九十万文でも、十回に分けて処理するのでございますな」
「はい。一気に帳面から消すと、どこの市が完成していて、どこが途中なのか分からなくなります」
扱う額が大きくなったからこそ、雑に処理してはいけない。
「桁が違ってきておりますので、消せる分は早めに消します。
ただ、数字が大きい時ほど、一個ずつ丁寧に見ましょう」
市そのものは、あと一週間ほどで形になる見込みだった。
さらに一週間を使い、仕入れや客足、飯屋の味、商品の値段を整える。
「二週間ほどはこちらへ滞在して、市が回る仕組みを置いていきましょう」
「その後は土佐でございますか」
「はい。ただし、僕たちがいなくなった後も止まらない形にしなければなりません」
市の責任者を決める。
寺や神社の市から届く帳面をまとめる。
農民の借金がどれだけ減ったかを、各国人衆の屋敷でも確認できるようにする。
「九州でやっている仕組みを、四国へそのまま落としていきます」
帳面の写しは、定期的に国人衆の屋敷へ届ける。
国人衆は市の警備だけでなく、品物の量や値段、借金返済の進み具合まで見なければならない。
「わしらが、ここまで帳面を見るのでございますか」
東伊予の国人衆の一人が、少し不安そうに尋ねた。
「最初から全部分かる必要はありません」
八郎は首を横へ振った。
「分からなければ、隣の市へ聞きに行ってください。早馬も、もったいぶらずに使ってください」
「その程度のことで、早馬を走らせてもよいので?」
「分からないものは、屋敷で三日考えても分かりませんからね」
値段のつけ方が分からない。
証文の利息計算が合わない。
仕入れた魚が余った。
そういう時は、成功している市へすぐ聞けばよい。
「情報を密にしてください。同じ失敗を、十か所全部でする必要はありません」
「相場についてはいかがいたしますか」
「必ず相場表を作ってください」
米一俵がいくらか。
魚、塩、薪、野菜、布が、どこの市でいくらで売れているか。
九州と伊予で、どの品に値段の差があるか。
「交易で品を動かす以上、相場が分からなければ利益が出ません」
「市の警備、帳面、借金、相場、早馬……」
国人衆は、指を折りながら数えた。
「やらねばならぬことが、ずいぶん多うございますな」
「大きな傘へ入るということは、仕事も増えるということです」
八郎は率直に答えた。
「ですが、その分、動く品も銭も増えます。借金の減る速さも、今までとは比べものになりません」
市が回れば、農民は米や野菜を銭へ変えられる。
借金が減れば、田畑を手放さずに済む。
食べられる量が増えれば、領主や国人衆を見る目も変わる。
「暮らしぶりがよくなれば、農民の方々からの支持も変わります」
「支持でございますか」
「はい。攻められた時に、領主を守ろうと思っていただけるかどうかです」
八郎領も、最初から大きな軍を持っていたわけではない。
兵も銭も足りず、農民や商人が味方してくれなければ、どうにもならない時期が長かった。
「八郎家は、農民の方に恨まれないことを大事にしております」
「好かれること、ではないので?」
「好いてもらえれば一番です。ただ、まずは嫌われない努力からです」
無理に米を奪わない。
約束した値段で買う。
借金を勝手に増やさない。
飢えた時には飯を出す。
「そういう小さなことを積み上げた結果、今の八郎領があります」
国人衆たちは、目の前の帳面を改めて見つめた。
これまでは、戦で勝ち、年貢を取ることが領主の仕事だと思っていた。
八郎家では、市の利益、米の相場、農民の借金まで、領主が確認しなければならない。
「責任重大でございますな」
国人衆の一人が、重い息を吐いた。
「はい。重大です」
八郎は平然とうなずいた。
「ですが、一人で全部背負う必要はありません。隣の市、帳面役、寺社、商人、八郎家の家臣へ、
順番に聞いてください」
「間違えた場合は」
「隠さず、すぐ報告してください。早ければ直せます」
「隠した場合は」
「後で大きくなりますので、少し厳しく確認します」
国人衆たちの背筋が伸びた。
「では、まず自分たちの市の帳面を見直します」
「相場表も、隣の市と合わせます」
「農民から集めた証文も、寺社の分まで確認いたします」
「よろしくお願いします」
八郎は小さく頭を下げた。
戦で降した国人衆へ、ただ城の警備を任せるのではない。
市を回し、帳面を見て、農民の借金を減らす責任を持たせる。
国人衆たちは、その仕事の多さに戸惑いながらも、九百万文分の立ち上げ費用が
一つずつ消されていく帳面を見ていた。
仕事は増えた。
だが、米も銭も動き始め、農民の表情も変わっている。
「やるしかありませんな」
「はい。まずは一か所ずつです」
八郎の言葉に、国人衆たちは深く頭を下げた。
こうして伊予では、八郎が土佐へ向かった後も市と帳面が動き続けるための仕組みが、
少しずつ現地の者たちの手へ渡され始めたのであった。




