1533年1月。6度目の飯屋が終わる。売上9900文利益3000文。湯あみを作れますね(笑)
夕方前、1月の六度目の飯屋は無事に終わった。
荷物を台車に積み、家族みんなで帰り道を歩く。
前なら背負って持ち帰っていた荷物も、今では台車で運べるようになっていた。
「いやあ、今日はうまくいきましたね」
八郎が何気なく言う。
すると母がため息をついた。
「あんた、ほんますごいわ」
「何がですか?」
「何がって……あれだけ人を動かして、客を回して、料理まで考えて」
「三歳のすることじゃないわ」
八郎は首を振った。
「いやいや、私は何もしてませんよ」
「母上が味付けしてくれて、父上が汁を見てくれて、兄様方が動いてくれるからです」
すると三郎が笑った。
「また出たぞ」
「何がですか?」
「八郎の『みんなのおかげ』や」
「ほんまのことでしょう」
そう言う八郎を見て、皆が苦笑した。
「でも、母上」
「はい?」
「やっぱり人はもう少し雇った方がいいですね」
「……それは思ったわ」
母は素直に頷いた。
「マグロが増えたら、下ごしらえが追いつかないね」
「でしょう、でしょう」
八郎は嬉しそうに頷く。
「母上は味を見る人です」
「切ったり洗ったり運んだりは、できる人を増やした方がいいです」
「母上には少し楽してほしいです」
それを聞いて母は笑った。
「三歳の息子に楽しろと言われるとは思わなかったわ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
家に戻ると、いつものように帳面を広げる。
銭袋を開けると、じゃらりと音が響いた。
その音だけで、父が眉をひそめる。
「……また増えとるな」
「ですね」
八郎が銭を数えていく。
兄たちも手伝った。
しばらくして、八郎が顔を上げる。
「売上ですが」
「おう」
「九千九百文です」
その場が止まった。
「……は?」
父が聞き返した。
「九千九百文です」
「一万文近いやないか」
「近いですね」
「近いですね、やない」
五郎が突っ込む。
「前まで千文でも大騒ぎやったんやぞ」
「今回はマグロが大きかったですね」
八郎は帳面を見る。
「あと酒です」
「それと今日は値引きが少なかったです」
「そういえば、あんまり値引きせんかったな」
「はい」
「多分ですけど」
「お客様が値切る前に、私が料理を変えてましたから」
「どういうことや」
「マグロを待ってる人に炒め飯をすすめたり」
「半分の量で半額にしたり」
「酒と合わせたり」
「お客様が不満を言う前に別のものを出してました」
父が呆れる。
「お前、値引き交渉そのものを減らしたんか」
「結果的には」
「結果的って……」
三郎が笑う。
「八郎、商人より商人しとるぞ」
「でも」
八郎は帳面を指した。
「売上だけ見たらダメです」
「出た」
「八郎の帳面話や」
兄たちが笑う。
「今回はマグロも増やしました」
「酒も増やしました」
「材料費は高いです」
「原価が五千六百文です」
「そんなにかかるんか」
「はい」
「魚、米、味噌、酒、油、薪、色々ありますから」
「それと人件費」
「九百文入れています」
父が驚く。
「九百……」
「人が増えましたから」
「働いてくれた分は払います」
「そこを削ったら意味がありません」
母は静かに頷いた。
「八郎らしいね」
「それと」
「今回は売れすぎです」
「なので寺と市のまとめ役には二百文ずつ渡します」
「合わせて四百文です」
「前より多いな」
「はい」
「ここまで売れて知らん顔はできません」
「場所を使わせてもらってますし」
「守ってもらってますから」
父は感心した顔をした。
「ほんま、そこまで考えるか」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「なので」
八郎は最後の数字を書く。
「残り」
「利益」
「三千文です」
沈黙。
誰もすぐには言葉が出なかった。
「……三千?」
「はい」
「前回二千で大騒ぎしたよな?」
「しましたね」
「そこから千増えるんかい」
「増えましたね」
「軽い!」
五郎が叫んだ。
「千文やぞ!」
「分かってますよ」
「いや、分かってない顔や」
みんな笑った。
だが、父は帳面をじっと見ていた。
「三千文か……」
「はい」
「これなら」
「はい」
八郎も頷いた。
「湯浴み、作れます」
その瞬間、兄たちの顔が明るくなった。
「ほんまか!」
「ついにか!」
「はい」
「ただ、全部使うわけじゃないです」
「釜を頼んだり、小屋を整えたり」
「順番にです」
「でも始められます」
家族全員が嬉しそうだった。
飯を売って得た銭が、ただ貯まるだけではない。
暮らしを変えるものになる。
それが見えてきたからだった。
ただ八郎は、銭袋を見る。
「それに」
「何や?」
「全部銭で持ってても怖いじゃないですか」
「え?」
「うちにこんだけ銭があるって知られたら」
「いつ盗人が来るかわかりません」
父が苦笑する。
「物騒なこと言うな」
「でも否定できます?」
全員黙った。
「……できんな」
そして笑い出した。
「確かにできんわ」
「いつからうちは盗人を心配する家になったんや」
「少し前まで五千文足りないって言ってたのに」
母がぽつりと言った。
「ほんまね」
「いつからこんな金持ちになったんやろ」
八郎は首を振る。
「皆さんのおかげです」
「母上が料理して」
「父上が動いて」
「兄様たちが助けて」
「雇った人たちが頑張ってくれてるからです」
父は笑った。
「違うな」
「え?」
「それを動かしとるお前が一番怖い」
「父上」
「三歳児が九千九百文売って、三千文残して、次は村に湯浴み作るとか言うんやぞ」
「怖いやろ」
みんな大きく笑った。
八郎だけが少し不満そうに言う。
「普通ですよ」
その一言で、さらに笑い声が大きくなった。
普通ではない。
誰もがそう思っていた。
だが、その普通ではない三歳児のおかげで。
家も、村も、少しずつ変わり始めていた。




