1535年7月1週目後半。一方の河野家は連日の寝かせない攻撃に疲れが見える。打開策も見いだせず。
河野家の城では、包囲が始まってから、眠れない夜が続いていた。
昼は八郎軍の七割が城壁へ近づき、盾を並べ、矢を射かけてくる。
夜になると、残りの三割が太鼓を鳴らし、声を上げ、時折、火のついた矢を城の近くへ飛ばしてくる。
本気で攻め込むわけではない。
だが、いつ本気になるか分からない。
「また西の曲輪で声が上がっております!」
「兵を向かわせよ!」
「先ほど東へ回したばかりでございます!」
城内の兵たちは、昼も夜も走り回らされていた。
八郎軍は交代で休む。
河野軍は、城内のどこが狙われるか分からないため、全体を休ませることができない。
「いやらしい攻め方をしよる」
河野家の当主は、疲れた顔で吐き捨てた。
「攻めるなら攻める。引くなら引く。なぜ毎晩、音ばかり立てるのじゃ」
「我らを疲れさせるためでございましょう」
「それは分かっておる!」
当主は苛立たしげに膝を叩いた。
城内に残る兵は、三千ほど。
城そのものは堅牢であり、すぐに落ちる造りではない。
兵糧も、今すぐ尽きるほど少なくはなかった。
「兵糧がある限り、籠もっておればよいのではないか」
「通常の敵であれば、その考えでもよろしいかと」
「通常ではないと申すのか」
「はい」
重臣は、言いにくそうにうなずいた。
「八郎軍には、補給線らしい補給線がございません」
「どういうことじゃ」
「進んだ先で市を立ち上げ、周囲の農民から米、野菜、薪を買い取っております」
普通の軍なら、遠くから兵糧を運ばなければならない。
補給路を襲い、荷駄を焼けば、長く居座ることはできない。
しかし八郎軍は、敵地へ入った先で鍋を並べ、飯を炊き、市を作っている。
周辺の農民から品を買い取り、それを兵へ食わせる。
「補給路を狙うのではなく、周囲の市そのものを壊さねばなりませぬ」
「ならば、兵を出して市を焼けばよい」
「城から出せる兵がございません」
河野家の当主は、口を閉じた。
三千しかいない城兵を分け、市を襲わせれば、その間に八郎軍が城門へ押し寄せる。
たとえ市を一つ壊しても、別の村でまた鍋が置かれる。
「しかも、農民たちは八郎軍へ協力しております」
「河野家の農民がか」
「先の戦で捕虜になった者たちが、村へ戻って話を広めております」
八郎軍に捕まっても殺されなかった。
武具は取り上げられたが、温かい飯を食わせてもらった。
次に来た時には、米を高く買い、借金の帳面も見ると言われた。
「それゆえ、今回の招集にも応じなかったのでございます」
「恩を忘れたのか」
「恩というより、勝てぬ戦へ行きたくないのでしょう」
重臣は、淡々と答えた。
「八郎軍と戦えば武具を失い、逃げ帰ることになる。戦わず米を売れば、銭と飯が手に入る。
そのように考えております」
「わしらの領内で、敵が施しをしておるのか」
「施しというより、買い取りでございます」
「どちらでも同じじゃ!」
城壁の外を見ると、八郎軍の陣から煙が上がっている。
鍋で汁物を作り、魚を焼き、飯を炊いている煙だった。
その周囲には、城下や近隣の村から来た者たちまでいる。
戦の最中とは思えない賑わいである。
「敵地へ攻め込んできたはずであろう」
「はい」
「なぜ、もう治め始めておるのじゃ」
「河野家が降ることを前提に動いているのでございましょう」
当主は、顔を引きつらせた。
「まだ降っておらぬぞ」
「八郎殿からすれば、時間の問題と考えているのかもしれませぬ」
「腹立たしいことを申すな」
「申し訳ございません」
河野家が頼りにしていた東予の国人衆も、動く気配を見せなかった。
八郎軍と河野家のどちらへつくか決めず、静観を続けている。
「東予の者たちから、返事はないのか」
「返事はございます」
「何と」
「情勢を見極めたい、と」
「それを返事とは言わぬ!」
河野家が勝てば、後から祝いに来る。
八郎家が勝てば、そちらへ頭を下げる。
国人衆たちの考えは見え透いていた。
「伊予の主が困っておるというのに、誰も助けに来ぬのか」
「先の戦で敗れたことが、大きゅうございます」
河野軍八千は、国人衆の離脱と農民兵の逃亡により、二千五百まで減らされて戻ってきた。
その話を聞いた国人衆が、河野家へ兵を預けたいと思うはずがない。
「孤立無援の三千、か」
当主は、ぽつりとつぶやいた。
「城は、これほど堅牢なのにな」
「城が堅くとも、守る者が集まらなければ厳しゅうございます」
「寂しいことを申すな」
「事実でございます」
「今、そのような厳しいことを言わんでもよいであろう」
重臣たちは、誰も顔を上げなかった。
降伏するべきだ。
そう言いたい者は多い。
しかし、伊予で長く力を持ってきた河野家が、三千もの兵を城へ残したまま降るなど、
簡単に決められることではない。
「今は七千五百で囲まれておる」
「はい」
「それなら、まだ二倍半ほどではないか」
「来週には、さらに二千が加わるとの話でございます」
「九千五百か」
「八郎家は、最終的に二万一千まで兵を渡す予定だと公言しております」
毎週二千ずつ増えてくる。
兵が増えれば、包囲は厚くなる。
門を破る部隊も、周囲の国人衆を説得する者も、市を作る者も増える。
「二万一千すべてを、ここへ持ってくるわけではなかろう」
「すべてではないとしても、我らよりははるかに多いでしょう」
「城が堅ければ、持つ」
「いつまで持たせるのでございますか」
その問いに、当主は答えられなかった。
一月か。
二月か。
半年か。
その間、八郎軍は外で市を回し、周囲の農民や国人衆を傘下へ入れていく。
城が持っても、河野家の領地そのものが八郎家へ流れてしまえば、籠城の意味はない。
「どこまで来たら、降るべきだと思う」
当主が、ようやく尋ねた。
「門を破られてからでは遅いかと」
「まだ破られておらぬ」
「次の二千が来れば、島津勢を使って門を攻める可能性がございます」
「西園寺の城でも、門を破ったそうじゃな」
「そのうえで握り飯を置き、兵を逃がしたとのことです」
「城を攻めて、飯を置いて帰るとは、何を考えておるのじゃ」
「城内の兵を減らすことを考えているのでございましょう」
河野家の当主は、深く息を吐いた。
「三千も兵がおるのに、降伏するのか」
「三千しかいない、と見ることもできます」
「また厳しいことを言う」
「申し訳ございません」
城外から、太鼓の音が響いた。
「敵襲か!」
「いえ、また音を立てているだけにございます!」
「分かっておるなら、いちいち報告するな!」
「いつ本気で来るか分かりませぬので!」
当主は額を押さえた。
戦えば負ける可能性が高い。
籠もれば、領地と味方を少しずつ失う。
降れば、河野家の誇りが傷つく。
「本当に、どうすればよいのじゃ」
誰に聞かせるでもなく、当主はつぶやいた。
立派な天守も、高い石垣も、今は答えを返してくれない。
城の外では八郎軍が飯を炊き、酒を飲み、来週の増援を待っている。
城の中では三千の兵が、眠れぬまま降伏か籠城かの決断を待っていた。
堅牢な城へ籠もっているはずの河野家は、いつの間にか、城壁よりも先に心を囲まれていたので
あった。




