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1535年7月1週目。一方そのころ姫君達は南伊予の上陸拠点で市の立ち上げと農民の借金返済に追われている。

一方、八郎が七千五百の兵を率いて河野家の領内へ向かった頃、

夏姫をはじめとする姫君たちは、南伊予の上陸地点周辺に残っていた。

 港、市、西園寺領の城下、周辺の村々。

 姫君たちは数人ずつの組へ分かれ、帳面役や商人、西園寺家の元家臣たちを連れて、

 毎日のように各地を回っていた。

「こちらでは、まず市を立ち上げます」

「寺と神社にも話を通し、皆様が持っている証文を集めてください」

「米や野菜、薪、魚、布など、売れるものがあれば持ってきてください」

 市を立ち上げるだけではない。

 寺や神社の境内にも小さな市を置き、近くの農民が半日歩かなくても品を売れるようにする。

 寺社には、村同士の揉め事を聞く場所や、証文を持ち寄る場所としての役目も頼んだ。

 しかし、最初から歓迎されたわけではなかった。

「姫様方が、何をしておるんじゃ」

「帳面やら米俵やら見て、ほんまに分かるんか」

「女の方々は、館で座っておればよいのではないか」

 農民や土地の商人から、遠慮のない言葉を投げかけられることもあった。

 姫君の一人が少し顔をしかめたが、夏姫は帳面から顔を上げ、笑って答えた。

「旦那様や、旦那様になるかもしれない方々が、外であれほど働いておられるのです」

「旦那様?」

「はい。私の旦那様は、今も河野家の方へ向かっております」

「八郎様のことか」

「そうです」

 五歳の八郎を旦那様と言い切る夏姫に、村人たちは何とも言えない顔をした。

「私だけ置物のように座っているわけにはいきません」

「じゃが、姫様が米の値を見たり、借金を調べたりせんでも」

「しなければ、旦那様に置いていかれます」

 夏姫は真剣だった。

「あの小さな旦那様は、少し目を離すと、どんどん先へ行ってしまいます。

 昨日は市を作っていたと思ったら、今日は大軍を動かし、明日には別の国の帳面を見ております」

「確かに、よう分からん速さで進んでおるな」

「私も必死で食らいつかないと、忘れられてしまいそうなのです」

「忘れはせんやろ」

「分かりません。旦那様は市と借金と兵糧のことばかり考えておりますから」

 周囲から、少し笑いが起こった。

 夏姫も笑った後、手元の帳面へ目を落とした。

「ですが、旦那様について回ると、今まで見たことのないものをたくさん見せてもらえます」

 何もなかった場所に市ができる。

 売れなかった米や野菜が銭へ変わる。

 返せないと思っていた借金が、少しずつ減っていく。

「それが、すごく楽しいのです」

 夏姫は照れたように笑った。

「ですから、置いていかれたくありません」

 その話を聞いた年配の農婦が、なぜか目元をぬぐった。

「何か知らんが、泣けてくるな」

「どうしてですか」

「五歳の旦那を追いかける姫様が、必死すぎるんじゃ」

「笑うところではないですよ」

「泣いとるんじゃ」

 場は少し和んだが、帳面に対する不信は消えなかった。

「じゃが、借金が本当に消えるかは分からん」

「お前様らを信用してよいのかも、まだ分からんぞ」

「それで構いません」

 夏姫は素直に答えた。

「まず品を持ってきてください。売れた分の銭を帳面へ書き、その中から

 無理のない分だけ借金へ回します」

「全部取られるのではないのか」

「飯を食べる分と、次の作付けに必要な分は残します」

 姫君たちは、一軒ずつ事情を聞いて回った。

 米を五俵持つ家。

 鶏を育てている家。

 薪を切れる家。

 織物を作る家。

 何をどれだけ市へ持ってこられるかを書き、その代金の一部を返済へ回した。

 寺や神社には、村に残る証文を集めてもらった。

「これは利が高すぎますね」

「こちらは返済期日が近いです」

「先に、この証文から片づけましょう」

 姫君たちは帳面役と相談し、利息の高いもの、期限の早いもの、担保に田畑が

 入っているものから優先して返した。

 最初の数日は、住民たちも遠巻きに見ているだけだった。

 しかし、市が回り始めると、状況は目に見えて変わった。

 米を売った代金が支払われる。

 魚や薪も買い取られる。

 その銭が帳面へ記され、商人の持つ証文と照らし合わされる。

「確かに、残りはこれだけでございます」

 商人が認めた証文を、帳面役が夏姫へ渡した。

「こちらの借金は、これで終わりです」

 夏姫は農民の目の前で証文を破った。

「終わり……?」

「はい。もう返す必要はありません」

 農民は破られた紙と夏姫の顔を交互に見た。

「本当に消えたのか」

「帳面にも、返済済みと書いております」

「田を取られんで済むのか」

「済みます」

 男はその場へ座り込み、声を上げて泣いた。

 その話は、すぐに周囲の村へ広がった。

「八郎商会の市で品を売ったら、借金の証文を破ってもろうた」

「姫様方が、自分で帳面を見てくれた」

「全部返済へ取られず、飯を食う銭まで残してくれた」

 数日前まで疑っていた者たちが、今度は米俵や野菜を抱え、市へ押し寄せてきた。

「姫様、うちの帳面も見てくだされ!」

「昨日は信用できんと言うておったではないですか」

「それは、それじゃ!」

「ずいぶん早い手のひら返しですね」

「借金が消えるなら、手のひらくらい何度でも返すわ!」

 夏姫たちは顔を見合わせ、笑った。

「では、順番に並んでください」

「証文を忘れずに持ってきてくださいね」

「寺や神社に預けているものも、すべて出してもらってください」

 姫君たちは、次の村、その次の市へと移っていった。

 帳面を開き、品を買い、銭を払い、証文を破る。

 最初は退屈な役目だと思っていた姫君も、農民の顔が変わる瞬間を見るうちに、

 次第に夢中になっていた。

「次は、どこの村へ行きますか」

「川向こうの寺で、市を開くそうです」

「では、明日はそちらへ行きましょう」

 夏姫は嬉しそうに立ち上がった。

「旦那様が戻られた時、南伊予の市がどれほど増えたか、驚かせたいです」

 八郎が兵と飯を連れて前へ進む一方、その後ろでは姫君たちが帳面と証文を持って土地を固めていた。

 置物として座っているだけだった姫君たちは、いつしか市が立ち上がり、

 借金が消える瞬間を、誰よりも楽しみにするようになっていたのであった。

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