1535年7月1週目。西園寺家の降伏と市の立ち上げが同時並行で始まる。
七月一週目に入ると、八郎軍は再び西園寺家の城へ向かった。
河野軍との戦いを終えた時点で、動かせる兵はおよそ七千五百。
ただし、そのすべてを城の包囲へ使うわけではなかった。
「西園寺城を囲むのは、四千ほどで十分でしょう」
八郎は絵図を見ながら言った。
「残りの三千五百は、市の立ち上げに回してください」
「もう市を作るのでございますか」
「河野軍は退きました。西園寺城に残る兵は千八百ほどですし、援軍が来る可能性も低いでしょう」
八郎軍は城を囲みながら、改めて降伏勧告を出した。
今回は単に「降れ」と伝えるだけではない。
河野軍との戦いが、どのように終わったのかまで、丁寧に書状へ記した。
河野軍は、周辺国人衆を加えた八千で来た。
しかし、そのうち二千の国人衆は、八郎軍と本気で戦う意思を持っていなかった。
国人衆が陣から離れたことで、戦は八千対六千となった。
八郎軍は空いた部分から島津勢を突き込ませ、河野本隊の陣形を崩した。
その後、逃げ道を残して農民兵を離散させ、兵糧を押さえ、河野軍を追い立てた。
最終的に、河野家へ戻れた兵は二千五百ほど。
西園寺家へ援軍が戻ってくる可能性は、もはやなかった。
「二日後までにご返答がなければ、総攻撃を行います」
書状の最後には、そう記されていた。
西園寺の当主は、それを何度も読み返した。
「河野軍八千が、二千五百になって戻った……」
「はい。国人衆が離れた後、河野本隊も崩され、退却中に多くの兵が逃亡、投降したとのことです」
「八郎軍の損害は」
「七千五百ほどを保っているようです」
西園寺城に残る兵は千八百。
門はすでに破られている。
夜になれば八郎軍が太鼓を鳴らし、昼になれば四千の兵が城門へ圧力をかける。
しかも八郎軍は、城外で市まで作り始めていた。
「あと二日で総攻撃か」
西園寺の当主は、力なくつぶやいた。
「もはや、これまでか」
家臣たちも反対しなかった。
河野家の援軍が敗れた以上、籠城を続けても意味がない。
兵たちの疲れも限界に近く、さらに攻撃を受ければ、また逃亡者が出る。
「降伏する」
当主は、ようやく決断した。
「城、侍、農民の借金が分かる帳面を、すべてそろえよ」
八郎からは、降伏するなら帳面を出すよう、最初から求められていた。
城の借金。
家臣たちの借金。
農民たちが商人や寺社から借りている銭や米。
残っている証文も、可能な限り集めさせた。
二日目の朝、西園寺城の門が開いた。
当主と重臣たちは武器を持たず、帳面と証文を抱えて八郎軍の前へ進んだ。
「西園寺家は、八郎家へ降伏する」
当主は、苦々しい表情のまま頭を下げた。
「こちらが、城と家臣、農民たちの帳面じゃ」
「ありがとうございます」
八郎も丁寧に頭を下げた。
帳面役が受け取り、箱の数と書類の種類を確認していく。
西園寺の当主は、その様子を見ながらため息をついた。
「結局、最初に降っておいた方が早かったのかもしれんな」
「それは、何とも申し上げにくいですね」
「わしが河野家を呼んだせいで、河野家までお主へ差し出したような形になっておる」
「次は河野家とお話をする予定ですので、結果としては、そうなるかもしれません」
「少しは否定せぬか」
「嘘を言っても仕方ありませんから」
西園寺の当主は、力なく笑った。
「河野家の城は頑丈じゃぞ」
「そのように聞いております」
「籠城されれば、かなり時間がかかるであろう」
「そう思っておりました」
ただ、今回の戦いで河野軍は多くの兵を失った。
戦死者だけではなく、逃亡者、投降者、武具を取り上げられた農民兵も多い。
「今から河野家が城へ集められる兵は、当初の想定よりかなり少ないと思います」
「それでも攻めるのか」
「まずは話し合います。まとまらなければ、飯を炊きながら囲みます」
「また、それか」
「評判がよいものですから」
西園寺の当主が周囲を見ると、八郎軍七千五百のすべてが城の前にいるわけではなかった。
「兵が思ったより少ないな」
「包囲は四千で行っております」
「残りはどうした」
「三千五百は、市の立ち上げへ回しております」
「わしらがまだ降ってもいないうちからか」
「河野軍が来ないと分かった段階で、先に準備を始めました」
城から少し離れた街道沿いでは、すでに屋台や仮設の倉が並び始めている。
大鍋で飯が炊かれ、農民から米、野菜、薪を買い取る者たちが帳面を広げていた。
西園寺の当主は、その光景を見て吐き捨てるように言った。
「八郎殿にとっては、わしらの家など大した相手ではなく、市を立ち上げる方が大事ということか」
「そんな投げやりにならないでください」
「皮肉にもならぬわ」
「この土地を一番よく知っているのは、西園寺様と家臣の皆様です」
八郎は、西園寺家を完全に解体するつもりではなかった。
「ご当主には隠居をお願いする可能性がございますが、御一門や重臣の方々には、
改めて家臣団を組んでいただきたいと思っております」
「何をさせる」
「村や街道の見回り、市の警備、揉め事の仲裁などです」
土地勘のない八郎家だけで治めれば、細かな問題を見落とす。
西園寺家の者たちを残しつつ、帳面と役割を整理して組み直す方がよい。
「農民の借金については、どうするつもりじゃ」
「証文を確認し、実際に残っている借金を調べます」
不当に高い利息があれば下げる。
すでに返済済みのものが残っていれば消す。
米や野菜、薪、布などを市で買い取り、その代金を返済へ回す。
「寺や神社にも話を通し、証文を持ち寄ってもらいます」
「寺社まで呼び出すのか」
「隠された証文が後から出てくると、帳面が合わなくなりますからね」
「本当に、農民の借金を消せるのか」
「九州では、何度も行っております」
西園寺の当主は、理解できないという顔で八郎を見た。
「農民の借金を返し、市を作り、品を買い、そこから利益を出すと申すのか」
「はい」
「戦に勝った直後にする話ではないぞ」
「戦が終わったから、次は土地を回す話です」
あまりに当然のように言われ、西園寺の当主は言葉を失った。
「市が立ち上がれば、実際に見ていただけます」
八郎は穏やかに続けた。
「納得できるかは分かりません。ただ、八郎領ではこうやって土地を治めている、
ということは分かっていただけると思います」
「何というか……」
西園寺の当主は、遠くで炊かれている大鍋を見た。
「五段くらい高いところから、話をされている気がする」
「僕は五歳ですから、座れば西園寺様より低いですよ」
「背丈の話ではない!」
周囲から、小さな笑いが漏れた。
西園寺の当主には、まだ八郎の話が現実のものとは思えなかった。
城を囲み、河野軍を追い払い、降伏させた直後に、すでに市を作り、借金を消し、
次の河野家攻略まで考えている。
「何を言われても、まだぴんと来ぬわ」
「それで構いません」
八郎はうなずいた。
「まずは一緒に帳面を見て、市が動くところを見ましょう」
こうして西園寺家は、城と家名をすぐに奪われることなく、八郎家の傘下へ入った。
そして城下では、降伏の翌日を待つこともなく、新しい市の鍋から湯気が上がり
始めていたのであった。




