1535年6月3週目。西園寺家は周囲の河野、土佐一条、国人衆に声をかける。籠城時の援軍を河野家と取り付け籠城をきめる。
八郎から三日の猶予を与えられた西園寺家は、すぐさま各方面へ早馬を走らせた。
まずは河野家。
次に、西園寺家と河野家の間に所領を持つ国人衆。
そして南の土佐一条家である。
「八郎軍が西園寺領へ攻め込んできた場合、力を貸していただきたい」
西園寺家の使者は、各家へそう伝えた。
しかし、土佐一条家から返ってきた答えは、慎重なものだった。
「こちらから八郎領へ攻め込むのは、少々荷が重い」
現在、八郎軍は南予へ次々と上陸している。
今見えているだけなら数千だが、最終的には二万一千に達するという。
「西園寺家が攻められ、八郎軍が北へ向かった後、南側が手薄になるのであれば動ける」
つまり、西園寺家を助けるために正面から八郎軍へぶつかる気はない。
西園寺家が攻められ、その背後が空いた時に、八郎側へ入った国人衆の領地を攻める。
その程度の協力ならできるという話だった。
「こちらが攻められた時には、我らも城へ籠もるしかない。互いに直接助け合うというより、
八郎軍の兵を分散させる形にしよう」
十分な援軍とは言えない。
それでも、西園寺家としては、八郎軍の背後を脅かしてくれるだけでもありがたかった。
一方、周辺の国人衆は態度を保留した。
「西園寺家だけの求めでは、今すぐ兵を出すことはできませぬ」
八郎商会の市へ米や野菜を売り始めた者もいる。
西園寺家に恩がある者もいるが、負ける可能性の高い戦へ家を丸ごと賭けるほどの覚悟はない。
「河野家が動かれるのであれば、その時に改めて考えます」
結局、西園寺家が最も頼ることになったのは河野家だった。
「八郎軍に城を囲まれた場合、援軍をお願いしたい」
その申し出に、河野家は条件をつけた。
「助けることはできる。ただし、その後、西園寺家が河野家の傘下へ入るということでよいか」
西園寺家にとって、決して軽い条件ではなかった。
八郎家に従いたくないから河野家を頼るのに、結局は河野家の傘下へ入ることになる。
「八郎の言うた通りではないか」
重臣の一人が苦々しく言った。
それでも、八郎家へそのまま降るより、同じ伊予の河野家へつく方がまだよい。
「構わぬ」
西園寺の当主は答えた。
「城を守れるのであれば、河野家の傘下へ入ろう」
こうして、河野家から援軍を出すとの約束を取りつけた。
河野軍が南下する際に、周辺の国人衆へも声をかける。
河野家の名で兵を集めれば、保留している者たちの中からも加わる家が出るかもしれない。
「ならば、戦う」
三日目、西園寺の当主は決断した。
「城へ兵糧を入れ、農民兵を集めよ。八郎軍が来れば籠城する」
そして八郎のもとへ使者を送り、傘下入りを拒むと伝えた。
返答を聞いた八郎は、驚かなかった。
「まあ、そうなりますよね」
「河野家から援軍を取りつけたようでございます」
「その代わり、河野家の傘下へ入るのでしょう」
「おそらくは」
「西園寺様にとっては、そちらの方が飲みやすかったということですね」
八郎はすぐに兵の配置を組み替えた。
土佐一条家との境へ向けていた二千を、西園寺方面へ戻す。
すでに西園寺領との境にいる四千と合わせて六千。
さらに、八郎家へ先に従った南予の国人衆から千人を加える。
「合わせて七千で、西園寺領へ入ります」
「土佐一条家への備えは、どうなさいますか」
「千人を残してください」
常備兵ばかりではないが、市と港の治安を守り、土佐側の動きを見張る程度ならできる。
「次の週には、九州からさらに二千人が上陸します。その二千を土佐一条家との境へ置き、
警備と備えに回します」
「その間に、一条家が攻めてきた場合は」
「こちらが向きを変えて、攻め返せばよいです」
西園寺家と土佐一条家が同時に本格的な攻勢へ出られるとは、八郎は考えていなかった。
一条家は、西園寺家が攻められた後の隙を狙うつもりでいる。
ならば、こちらが一千の兵と市の護衛を残しておけば、すぐに大きく崩れることはない。
「七千で西園寺家へ向かいます。ただし、城へ突っ込む必要はありません」
「いつものやり方でございますな」
「はい。飯を炊きながら進みます」
八郎軍は、大量の米、味噌、塩、干し魚を用意した。
進軍路の村では炊き出しを行い、農民から米や野菜、薪を普段より高い値で買う。
「西園寺家から農民兵を集めるよう命が出ているはずです」
「こちらの市で品を売った方が得だと思わせるのでございますか」
「命をかけて城へ入るより、飯を食べて品を売る方がよいでしょう」
西園寺家が集めようとする兵を、八郎商会の銭と飯で少しずつ減らしていく。
そのうえで街道を押さえ、城を囲み、河野家の援軍を待つ。
「河野家が来れば、どうなさいますか」
「まず話します」
「戦う場合は」
「そのために、兵は順番に増えております」
七千で西園寺家へ進み、その後ろからさらに二千、四千と加わる。
八郎は急いで城を落とす必要はなかった。
時間がたつほど、市が動き、周囲の農民と国人衆が八郎側へ寄ってくる。
「それでは、出発しましょう」
七千の兵が動き始めた。
先頭には武具を持つ兵。
その後ろには、米、鍋、薪を積んだ荷車。
さらに商人、料理人、帳面役が続く。
道中の村では煙が上がり、大鍋で飯が炊かれた。
「戦へ向かう軍には見えませんな」
「飯を食べてもらいながら、城へ向かうだけです」
「それを侵攻と申すのでございます」
「言葉は柔らかくしましょう」
西園寺家は籠城を決め、河野家へ援軍を求めた。
八郎家はそれを見越し、七千の兵と市の仕組みを動かした。
南予で初めての本格的な対決は、刀が交わる前から、農民と兵糧と銭を奪い合う戦いとして
始まろうとしていた。




