1535年6月3週目。西園寺の当主に3日の猶予を与えて帰宅させる八郎。帰宅後会議をする西園寺家。眠れぬ夜が続く。
西園寺家の当主は、しばらく八郎をにらみつけた後、重い息を吐いた。
「納得はできぬ」
「はい」
「じゃが、三日待つと言うた以上、その三日間は考えさせてもらう」
「もちろんでございます」
「当然、河野家や土佐一条家にも話を通す」
「それも構いません」
八郎はあっさりとうなずいた。
「ただし、その間にも、こちらの軍勢は順番に四国へ渡ってまいります」
西園寺の当主の眉間に、深いしわが寄った。
「だから、それが恫喝じゃと言うておるのじゃ!」
「恫喝するつもりはございません。ただ、決まっている予定を隠すのも不誠実でしょう」
「言い方を変えただけではないか」
「飲めないものは、飲めないと思います」
八郎は少し考えるように言った。
「西園寺様にも守るべき家と領民がおられます。簡単に傘下へ入れと言われても、
すぐには決められないでしょう」
「分かっておるなら、もう少し待て」
「ですが、すでに僕の方へついてくださった国人衆もおります」
南予では、三万五千石ほどの国人衆が八郎家の傘下へ入り、市と借金整理を受け入れている。
八郎が兵を引けば、彼らは西園寺家や周辺勢力から、裏切り者として攻められるかもしれない。
「こちらへ来てくださった方を放り出すわけにはいきません」
「だから、わしらへ兵を向けるというのか」
「兵を向ける前に、こうして話をしております」
「四千の兵を境へ並べておるではないか!」
「その四千は、市と傘下へ入った方々を守るためでもあります」
「どこまで行っても、話がかみ合わぬな」
西園寺の当主は、苛立たしげに膝を打った。
そこで八郎は、少し言いにくそうに視線を落とした。
「先に申し上げておきます。僕が土佐一条家より先に、西園寺様へ話を持ちかけた理由がございます」
「何じゃ」
「西園寺様の方が、攻めやすいと考えたからです」
広間の空気が凍りついた。
「お主……」
「隠しても仕方ありませんので」
八郎は淡々と続けた。
「西園寺家だけで、これから集まる八郎軍を抑えるのは難しいと見ております」
現在は四千ほど。
だが、さらに二千、四千と順番に上陸し、最終的には二万一千になる。
八郎商会は五千万文分の銭と物資を持ち込み、周辺の農民から米や野菜、薪を高値で買う。
「城を囲みながら、農民の品を普段の三倍で買えば、西園寺様のために農民兵として
集まる者は減るでしょう」
「我らが何もできぬと申すか」
「何もできないとは申しません。ただ、非常に苦しい戦になると思います」
西園寺家が取れる手の一つは、河野家へ助けを求めることだった。
「河野家へ話を持っていけば、援軍が来るかもしれません」
「ならば、そうさせてもらう」
「ただし、河野家が無償で助けてくださるとは思えません」
八郎は伊予の絵図へ手を伸ばした。
「西園寺家は、一時的に河野家の傘下へ入らざるを得なくなるでしょう」
河野家の軍勢を南予へ入れれば、八郎を追い返せたとしても、その後に河野家が兵を引くとは限らない
西園寺家は、八郎家の代わりに河野家へ従うことになる可能性が高い。
「それでも八郎家よりはましじゃ」
「そうお考えになるなら、それも選択肢です」
八郎は否定しなかった。
「ただ、僕は河野家も、いずれ八郎家の傘下へ入っていただくつもりです」
「何じゃと」
「伊予をまとめる以上、河野家を残したままにはできません」
河野家が西園寺家を助ければ、八郎家と河野家が正面からぶつかる。
その時には、土佐一条家との境へ向けている予備の兵も戻し、上陸してくる軍勢を集める。
「急ぐ必要はありません。時間をかけて二万の兵をそろえ、河野家ごと攻めるだけです」
「河野家を丸ごと取るつもりか」
「まずは話し合います。ですが、戦になるなら、そのつもりで動きます」
西園寺の当主は、言葉を失った。
西園寺家だけで戦う。
河野家へ頼る。
土佐一条家と手を組む。
どの道を選んでも、最後には二万を超える八郎軍と、五千万文の銭が立ちはだかる。
「ですから、西園寺様から先にお声がけいたしました」
「攻めやすいから、か」
「それもあります」
八郎は正直に答えた。
「ですが、先に話がまとまれば、西園寺家の城も家名も残しやすいです。
河野家との戦へ巻き込まれる前に、八郎家の側へ来ていただけます」
「逃げ道まで考えたうえで、先にわしらを囲んだのか」
「西園寺様にとって、最も人が死なない道を考えたつもりです」
「それを身勝手と言うのじゃ」
「ごもっともでございます」
八郎はまた頭を下げた。
西園寺の当主は、しばらく何も言わなかった。
怒鳴れば怒鳴るほど、八郎は素直に非を認める。
しかし兵を引くとは、決して言わない。
選択肢を示しているようで、そのすべての先に八郎家が待っている。
「三日じゃ」
西園寺の当主は、絞り出すように言った。
「三日間、家臣たちと話をする」
「お待ちしております」
「返事が気に入らぬからと、すぐ攻めるでないぞ」
「三日間は何もしません」
「三日を過ぎたら、するのじゃな」
「話がまとまらなければ、次の手を考えます」
「それを攻めると言うのじゃ!」
最後にもう一度怒鳴り、西園寺の当主は席を立った。
帰り道、八郎商会の市は相変わらず賑わっていた。
農民たちは笑顔で米や野菜を持ち込み、兵たちは飯を食い、焼酎を買っている。
戦場へ来たはずなのに、八郎軍の周囲だけが豊かになっていた。
「逃げ場がないではないか」
当主は馬上で、小さくつぶやいた。
西園寺家へ戻ると、すぐに重臣たちを集めた。
河野家を頼るべきか。
土佐一条家と共同で兵を出すべきか。
八郎家の条件を受け入れるべきか。
評定は夜遅くまで続いたが、結論は出なかった。
その夜、西園寺の当主は床へ入っても眠れなかった。
目を閉じるたび、五歳の八郎が穏やかな顔で言った言葉が浮かぶ。
戦うか。
傘下へ入るか。
河野家へ逃げても、その河野家ごと取る。
「何なのじゃ、あの五歳児は……」
寝返りを打っても、答えは出ない。
三日という時間を与えられたはずなのに、西園寺の当主には、その三日さえ
八郎の手のひらの上にあるように思えたのであった。




