1535年6月3週目。小さな国人衆は傘下に入るが、西園寺、河野、土佐一条家は情報収集しながら様子見。
八郎が南予へ上陸してから、一週間ほどが過ぎた。
港周辺の国人衆の中には、早くも八郎家の傘下へ入る意思を示す者が現れていた。
八郎商会の市を受け入れ、米や野菜を買い取ってもらう。
借金の証文と帳面を照らし合わせ、利息を下げてもらう。
そのうえで城と所領を残してもらえるのであれば、わざわざ二万を超える軍勢と戦う理由はない。
一方、西園寺家、河野家、土佐一条家は、すぐに態度を決めず、しばらく様子を見ることにしていた。
九州から、得体の知れない勢力が攻め込んできている。
しかも、その当主は五歳だという。
「まず、その八郎という者が、まことに何者なのかを調べねばならぬ」
土佐一条家でも、重臣たちを集めた評定が開かれていた。
「九州の広い土地を治め、市を開き、借金を返しておると申しているようですが、
すべて本人が吹聴しているだけかもしれませぬ」
「八郎商会が大きな銭を動かしておることは、商人から聞いておる」
「しかし、それだけで傘下へ入るわけにはいきませぬ」
そこで一条家は、商人や旅人を八郎商会の市へ送り込み、話を集めることにした。
兵の数。
運び込まれた物資。
島津や大友との関係。
市で何を買い、借金をどう扱っているのか。
まずは、八郎の言葉が本当なのかを確かめなければならない。
「現在、南予へ入っている兵は、四千から五千ほどとのことです」
「四、五千ならば、我らでも対処できぬ数ではない」
「ただし、今後も九州から順番に兵が渡ってくるそうです」
「最終的には、どれほどになる」
「二万一千ほどと」
評定の空気が重くなった。
「今いる四、五千だけなら、こちらも全力を出せば何とかなるかもしれぬ」
「長曾我部達土佐の国人衆にも話を通し、さらに二千ほど集めたいところですな」
「西園寺家と挟み撃ちにすれば、押し返せる可能性もある」
だが、それは八郎軍が四千や五千の間に限られる。
二万一千がそろえば、一条家と西園寺家が別々に動いても、各個撃破されるだけだった。
「八郎からの書状には、争うつもりはないと書いてある」
「市を認め、帳面を出し、傘下へ入るなら、城も家名も残すとも」
「友好的に進めたいという意思は分かります。しかし、今の情報だけでは決められませぬ」
一条家は、西園寺家や周辺国人衆とも連絡を取り、互いに得た情報を持ち寄ることにした。
河野家へ助けを求める案も出た。
しかし河野家が動けば、南予を自らの影響下へ置こうとする可能性がある。
八郎を追い払った後、今度は河野家に従わされては意味がない。
「西園寺家は、どのように考えておる」
「向こうも、まだ態度を決めかねているようです」
その頃、西園寺家でも同じような評定が開かれていた。
「八郎軍の五千ほどが、すでに我らの近くへ入っております」
「こちらから先に攻めればどうなる」
「勝てぬとは申しません。しかし、後から二万近くが渡ってくれば、持ちこたえるのは難しいかと」
しかも、八郎軍には島津本家と島津分家の兵が加わっている。
九州でも武勇で知られる島津が、八郎のもとで兵をまとめているという。
「島津は、八郎家と婚姻まで結んでおるそうじゃな」
「はい。島津本家から複数の姫君が入り、分家とも縁がございます」
「大友とも姻戚関係を広げておるとか」
「豊後では、八郎家が市を教え、大友商会を作らせております」
さらに、大内家とも一年間の停戦を結んでいた。
博多の市と交易路を八郎商会へ開き、明との交易にも加えるという話まで進んでいる。
「では、大友にも大内にも、我らを助けてもらえぬということか」
「少なくとも、この一年は難しいでしょう」
大友と大内は、八郎家との約定を破ってまで、南予へ兵を出す理由がない。
むしろ八郎が四国へ進む間、九州が静かになることを望んでいる可能性すらあった。
「河野家を頼るしかないか」
「しかし河野家を招けば、我らの土地が河野との緩衝地帯にされる恐れもございます」
「ならば、一条家と共に戦うか」
「八郎軍が五千のうちならば、可能性はあります。しかし二万がそろえば、
一条家と力を合わせても苦しいかと」
話を集めれば集めるほど、西園寺家の旗色は悪くなっていった。
八郎は、単なる成り上がりの子供ではない。
九州で百五十万石ほどの土地をまとめ、市と交易を回し、大友家の百万石にまで
同じ仕組みを入れている。
そして島津、大友、大内との関係を、婚姻と交易で結んでいた。
「何者なのじゃ、その五歳児は」
西園寺家の当主は、届いた報告を前に頭を抱えた。
「戦をせずに済むなら、それに越したことはない。しかし、容易に傘下へ入ってよい
相手なのかも分からぬ」
「まずは、八郎殿と直接話をするべきではございませんか」
「話しただけで、飲み込まれそうな気もするがな」
評定の席に、重い笑いが漏れた。
一条家も、西園寺家も、まだ戦うとも従うとも決めていない。
しかしその間にも、八郎商会の市は広がっていた。
農民は米や野菜を持ち込み、商人は九州から運ばれた焼酎や鍋を買う。
借金の利息が下がり、帳面が整理されたという話も、周囲の村へ伝わり始めている。
「時間をかければかけるほど、国人衆と農民が八郎へ流れるのではないか」
その懸念に、誰も答えられなかった。
八郎軍はまだ五千ほど。
兵の数だけなら、対処できるようにも見える。
だが、後ろには二万一千の軍勢と、九州全体を動かす商いの仕組みが控えている。
西園寺家と土佐一条家は、八郎の正体を探っているつもりで、少しずつ自分たちの逃げ道が
減っていることに気づき始めていた。




