1535年6月2週目。四国に到着。八郎一刻ほど寝たのちに国人衆との面会。年齢ではなく実績をみてくださいwww
南予の港へ上陸した八郎は、船から降りるなり、しばらくその場に立ち尽くしていた。
「まずは……一刻ほど寝かせてください」
「上陸早々、お休みになられるのでございますか」
「船酔いが残ったまま話をしても、まともな判断ができませんからね」
八郎は積荷を降ろしている者たちへ向き直った。
「僕が寝ている間に、米、味噌、焼酎、鍋、帳面などを倉へ運んでください。
現地の国人衆への挨拶も進めておいてください」
「承知いたしました」
「起きましたら、第一陣の進み具合を聞きます」
夏姫が用意してくれた布団へ横になると、八郎はほとんど倒れ込むように眠った。
船の揺れが体に残り、目を閉じても、まだ床が上下しているように感じる。
「無理をなさらず、ゆっくりお休みください」
夏姫がそっと布団を整える。
「一刻ほどで起こしてください」
「二刻でもよろしいのですよ」
「国人衆の方々を待たせておりますから」
そう答えたものの、八郎はすぐに眠りへ落ちた。
一刻余りが過ぎ、八郎が目を覚ました頃には、港の積荷はほとんど倉へ運び込まれていた。
陣屋の外には、周辺の国人衆も集まっている。
「進み具合を教えてください」
顔を洗った八郎が席に着くと、第一陣を率いていた者が報告を始めた。
「市を受け入れ、帳面を見せてくださった地域では、仕入れと借金の確認が進んでおります。
一方、兵を恐れ、まだ話を聞いてくださらない国人衆もおります」
「では、まず成功しているところの方から、お会いしましょう」
最初に通されたのは、市を受け入れた小領主と、その周辺の村をまとめる国人衆だった。
「此度は、まことにありがとうございます」
男たちは八郎の前へ進むと、深く頭を下げた。
「市で米や野菜を買っていただき、商人との利息も下げていただきました」
「帳面も合いましたか」
「はい。村に残る証文をすべて持ち寄り、八郎商会の帳面と照らし合わせていただきました」
すでに返した銭まで借金へ上乗せされていた者もいた。
利息を二重に取られていた家もあった。
それらを一枚ずつ確認し、正しい残高へ直した。
「借金が減った帳面を見た時は、涙が出そうになりました」
「まだすべて返し終えたわけではありませんよ」
「それでも、終わりが見えました。今後は八郎様についていきます」
八郎は小さくうなずいた。
「一つの地域だけが先にまとまっても、問題ありません。できるところから順番に始めましょう」
「まことによろしいのでございますか」
「九州では、肥前、肥後、薩摩、大隅、日向など、合わせて百五十万石ほどの
土地で同じことをしてきました」
さらに豊後では、大友商会が百姓から品を買い、借金を返す仕組みを学び始めている。
「そのやり方を、四国へ持ってきただけです」
八郎は自分の前に置かれた帳面を開いた。
「僕は大大名の子として生まれたわけではありません。小さな庄屋の八男です」
「八男、でございますか」
「はい。二歳半頃から文字や数字を覚え、最初は混ぜ飯や握り飯を売るところから始めました」
それが今では、市と交易を整え、九州の各地で借金を返し、数万の兵を動かす立場になった。
「まだ五歳ですが、実績の裏付けだけはあります」
八郎は静かに言った。
「ですから、大船に乗ったつもりで見ていてください」
船酔いで昼寝をしていた者の言葉とは思えず、家臣たちが少し笑った。
次に通された国人衆は、まだ八郎家へ従うか決めていない者たちだった。
「九州で八郎商会というものが大きくなっていることは、商人から聞いております」
年配の国人が、恐る恐る八郎を見た。
「しかし、どのような仕組みなのかは、よう分かりませぬ」
「分からないのが普通だと思います」
「それに、恐れながら申し上げますが、本当にこの五歳のお方が、
すべてお決めになるのでございますか」
男は周囲を見回した。
「父君や後見の方へ、お話しした方がよいのでは」
「いえ。僕が当主です」
八郎ははっきり答えた。
「最終的なことは、僕が決めます」
「しかし……」
「見た目が頼りないのは分かります」
八郎は自分の小さな手を見た。
「剣もまともに振れませんし、僕一人では何もできません。兄や家臣、商人、
農民、兵の皆さんが動いてくださったから、ここまで来られました」
それでも、五歳児の言葉で数万人が動くのには理由がある。
「圧倒的に数字を出し、約束を守らなければ、誰も僕の話など聞いてくれません」
市を立てれば利益を出す。
借金を返すと言えば、本当に証文を消す。
飢えた者へ飯を出すと言えば、必要な米を用意する。
「僕の年齢ではなく、これまで何をしてきたかを見ていただければと思います」
「九州で、それほど多くの土地を見ておられるのですか」
「はい。八郎領だけで百五十万石ほど。大友商会が扱う豊後の帳面作りも手伝っております」
さらに大内家とも停戦を結び、博多や明との交易を始めようとしている。
話があまりに大きく、国人衆の顔からは、理解より戸惑いの方が先に浮かんだ。
「正直に申しますと、話が大きすぎて、真かどうかも分かりませぬ」
「そうなると思いましたので、帳面や書状も持ってきております」
八郎は九州で使っている相場表、返済済みの証文、大友や大内との書状の写しを見せた。
「本日は手付けとして十万文ほどお渡しします。まず市で飯を食べ、
どのように品を買い取っているのか見て帰ってください」
「十万文を、今ここで?」
「はい。皆様の村の米や野菜を買うための銭です」
国人衆は驚きながらも、深く頭を下げた。
「我らが八郎様のもとへ入るために、まず何をすればよろしいのでしょうか」
「帳面を出してください」
八郎は即答した。
「農民、侍、城が、誰からいくら借りているのかを調べます」
九州での経験では、三万五千石ほどの地域なら、農民の借金が一千万文前後、
侍や城の借金も合わせて四千万文前後に収まることが多い。
「おそらく、全部で四千万文ほどではないかと思います。ただし、推測だけでは返せません。
証文を集め、実際の数字を確かめます」
「当主や家臣を、入れ替えられるのでございますか」
「四国では、そこまでいたしません」
九州では、どうしても仕組みを受け入れない領主に隠居を求めたこともあった。
しかし八郎は、四国の家や人間関係にまだ詳しくない。
「今の当主が市を認め、帳面を出し、八郎家との約束を守ってくださるなら、城も家名も残します」
「それならば、我らも協力いたします」
国人衆は次々に頭を下げた。
話を聞こうとしない者たちは、ひとまず後回しにする。
まず一つの地域で市を成功させ、借金の証文を破る。
それを周囲へ見せればよい。
「思っていたより、争わずに進みそうですね」
八郎が少し安心したように言うと、三郎がすぐに首を振った。
「八郎、お前の説得が強すぎるだけや」
「普通に実績を説明しただけですよ」
「五歳児が百五十万石と二万の軍と十万文の手付けを並べたら、普通とは言わん」
周囲に笑いが起こった。
こうして八郎が南予へ到着した初日、剣を抜くことなく、一つの国人衆のまとまりが
帳面を差し出した。
四国で最初の証文が破られる日は、すぐ近くまで来ていた。




