1533年1月。庄屋の集まりから数日後、五郎兄さまと娘が市での混ぜ飯売りから帰ってくる。40作って30しか売れなかったとへこむ兄に大丈夫という八郎。
庄屋衆の集まりから数日後
五郎と、新しく雇った娘が市から戻ってきた。
背負っていた籠は軽くなっている。
ただ、五郎の顔は少し申し訳なさそうだった。
「八郎」
「はい、五郎兄様」
「すまん」
「何がですか?」
「混ぜ飯、四十持っていったんやけどな」
「はい」
「三十くらいしか売れへんかったわ」
五郎は頭をかいた。
「四郎兄みたいにはいかんかった」
それを聞いて八郎は、きょとんとした顔をした。
そしてすぐ笑った。
「いやいやいや」
「十分ですよ」
「え?」
「そんなもんです」
「そんなもん?」
「はい」
八郎は当然のように言った。
「私がおる時は、私がべらべら喋ってますから」
「常連のおじさま方も、面白がって買ってくれてます」
「店も何軒か並んでます」
「匂いも出ます」
「酒もあります」
「だから売れるんです」
五郎は首を傾げる。
「そういうもんか?」
「そういうもんです」
八郎は頷いた。
「ただ混ぜ飯だけ持っていって」
「三十売れるなら十分です」
「そうか?」
「はい」
「むしろすごいです」
隣で聞いていた娘も、ほっと息を吐いた。
「怒られるかと思いました」
「なんでです?」
八郎は不思議そうな顔をする。
「失敗してませんよ」
「でも……」
「売れ残りは?」
「十個ほど」
「食べられますよね」
「はい」
「なら問題ありません」
「家で食べてもいいし、働いた人のまかないでもいいです」
「捨ててません」
「なら十分です」
その言い方に、五郎は苦笑した。
「ほんま、お前三歳か?」
「三歳です」
即答する八郎に周りが笑った。
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「銭はどうでした?」
八郎が聞く。
五郎は袋を出した。
「売上は三百文ちょいや」
「そこから材料分考えて」
「わしと、この子の日当四十文ずつ」
「あと市の顔役へ五十文渡した」
「残りは……」
五郎は苦笑する。
「まあ数十文くらいやな」
「上等です」
八郎は即答した。
「え?」
「上等、上等」
「本当に?」
「はい」
「これは儲けるためだけにやってません」
八郎は説明する。
「五郎兄様が店をできるようになること」
「お嬢さんが商いを覚えること」
「市の人に、うちはいつも来ると思ってもらうこと」
「そっちが大事です」
「利益は足し引きゼロでもいいくらいです」
娘は驚いた。
「銭にならなくてもいいんですか?」
「今は、です」
八郎は笑った。
「経験を買ってるんです」
「経験?」
「はい」
「今日できたなら、次は少し楽になります」
「声の掛け方も覚えます」
「場所も覚えます」
「顔見知りもできます」
「そうしたら四十売れる日も来ます」
五郎はため息をついた。
「……ほんま、わしが弟に商売教えられる日が来るとは思わんかった」
「兄様が動いてくれるからですよ」
「また口がうまい」
そう言われて、皆が笑った。
「次の市は大変ですよ」
八郎が言う。
「まだ何かするんか?」
五郎が嫌な予感がする顔をする。
「マグロです」
「ああ、あれか」
「はい」
「前より増やします」
「お母様にお願いして、マグロの味噌煮を多めに作ります」
「酒も増やします」
「お椀も準備します」
「だから忙しくなりますよ」
娘が聞く。
「あの、本当にマグロってそんなに売れるんですか?」
「多分」
「多分なんですか?」
「はい」
八郎は笑う。
「商売なんて全部試しです」
「でも前は売れました」
「なら次は少し増やす」
「それで売れたら、また増やす」
「少しずつです」
五郎がぼそっと言った。
「お前の少しずつは信用ならん」
「そんなことないですよ」
「この前まで握り飯だけやったやんけ」
「今、店四つあるぞ」
「……」
八郎は少し目を逸らした。
皆が笑う。
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「それが終わったら」
八郎は続ける。
「湯浴みですね」
その言葉に娘の顔が明るくなった。
「本当に作るんですか?」
「作ります」
「大きなものではないですけど」
「湯を沸かして、体を拭ける場所です」
「それだけでも違います」
「それ、嬉しいです」
娘は素直に言った。
「冬なんて寒いですし」
「体を拭けるだけでも……」
「でしょう?」
八郎は嬉しそうに笑う。
「それで相談なんですが」
「はい?」
「よかったら」
「湯浴みができたら、番をしませんか?」
「番?」
「はい」
「火を見る人」
「銭を見る人」
「貸し布を渡す人」
「そういう仕事を作ります」
「布はうちで用意します」
「洗った布を貸して、終わったら返してもらいます」
「麦茶も出せれば出します」
娘は目を丸くした。
「私がですか?」
「はい」
「もう一人のお嬢さんにも話します」
「交代でもいいです」
「毎日じゃなくても」
「仕事があることが大事です」
「日当は?」
「四十文です」
娘は固まった。
「四十……」
「はい」
「毎日働けば」
「七日なら二百八十文」
「まあ全部の日働くのは難しいでしょうけど」
「月なら八百文くらいになるかもしれません」
「八百……」
娘は言葉を失った。
「一年なら一万文近くですね」
「一万!?」
思わず声が出る。
「そんな……」
「そんなお金持ちになったら……」
八郎は首を振った。
「違います」
「え?」
「働いた分です」
「ちゃんと仕事をして」
「お客さんからお代をいただいて」
「その中から渡すんです」
「恥ずかしい銭じゃありません」
娘は黙った。
「あと」
「家にも少し入れた方がいいですよ」
「家に?」
「はい」
「ご飯食べますよね?」
「食べます」
「米ありますよね?」
「あります」
「それはお父様が作ったものです」
「ただじゃありません」
「だから少しでも家に入れたら喜ばれると思います」
その瞬間、五郎が吹き出した。
「お前なあ」
「はい?」
「三歳で米も作れへんくせに、なんでそんな偉そうに家計語れるんや」
「確かに」
八郎が真顔で頷いたので、さらに笑いが起こった。
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だが、娘だけは少し涙ぐんでいた。
「私」
「もしかしたら口減らしされてたかもしれないんです」
場が静かになる。
「家に借金もありますし」
「冬は仕事もないし」
「でも」
「働けば返せるかもしれないって」
「そう思えるだけで」
「全然違います」
八郎は静かに聞いた。
そして言った。
「まだです」
「え?」
「まだ道筋が見えただけです」
「大雨が来るかもしれません」
「洪水で田が流れるかもしれません」
「戦が起こるかもしれません」
「全部うまくいくとは限りません」
「だから」
「少しずつ積み上げます」
娘は笑った。
「それでも嬉しいんですよ」
「え?」
「今までは、その道筋もなかったから」
八郎は何も言えなかった。
ただ、小さく頷いた。
自分が作っているのは飯屋だけではない。
銭だけでもない。
明日も何とかなるかもしれない。
そう思える場所。
それこそが、一番作りたかったものなのかもしれなかった。




