1535年5月1週目。大共に出張っている八郎の兄達が目途がつき、帰国準備。大友当主が2000万文を報酬として渡す。
豊後へ派遣されていた八郎の兄弟たちは、いよいよ帰国の準備に入っていた。
二郎が担当していた芋の作付けには、一定の目処が立った。
水はけの悪い土地や米作りに向かない畑も選び終わり、農民たちも焼き芋と芋焼酎の価値を
理解し始めている。
三郎が見ていた市についても、八つの地域で立ち上げが進み、仕入れや帳面、
料理を出すための大まかな動線は整えられた。
味のばらつきや人の配置など、直すべきところはまだ多い。
しかし、これ以上は八郎商会が直接手を出すのではなく、大友商会が自分たちの力で
整えていかなければならない。
「これで、ひとまず手を引いてもよさそうやな」
三郎が帳面を閉じると、ニ郎も静かにうなずいた。
「芋も、あとは大友家の者たちで増やしていけるやろ。分からんことが出たら、
手紙を送ってもろたらええ」
「いつまでも俺らがおったら、大友商会が自分で考えへんようになるからな」
こうして、八郎家の一行が帰る日が決まった。
大友の当主は、兄弟たちを送り出す前に、ささやかな宴を開いた。
ささやかとはいっても、大友家の重臣やその子息、八郎家から同行した姫君たちも集まっている。
市の立ち上げを手伝っていた姫君の中には、大友家の若者と楽しそうに話している者もいた。
「これは、いくつか決まりそうじゃな」
その様子を見た大友の当主は、上機嫌で酒を口へ運んだ。
「姫君たちが一度それぞれの家へ戻った後、父親や当主とも相談して、順番に話を進めればよい」
「八郎も、その話を聞けば喜ぶと思います」
三郎が答えると、当主は満足そうにうなずいた。
「市を入れてもらい、芋作りまで教えてもらった。こちらとしても、随分助かった」
最初は、八郎商会の仕組みを豊後へ入れることに不安を覚える者も多かった。
だが、実際に市を開けば、農民から百万文を超える仕入れができ、その分だけ借金の証文が消えた。
芋についても、凶作への備えになるだけでなく、焼酎にして売れば、大友家の新しい交易品になる
可能性がある。
「そこでじゃ」
当主が合図すると、家臣たちが二つの大きな銭箱を運び込んできた。
「以前、八郎家から停戦の取り決めで受け取っておった一千万文を、まず返そうと思う」
「ありがとうございます」
「それだけでは面白くないからな。礼として、もう一千万文を加えた。
合わせて二千万文、受け取ってくれ」
二郎と三郎は、思わず顔を見合わせた。
「二千万文でございますか」
「外から見れば大金に見えるかもしれん。だが、八郎商会は一週間に二千万文以上の利益を
出しておるのじゃろう」
「まあ、最近はそのくらい動いておりますが」
「ならば、八郎家からすれば受け取れぬほどの額ではなかろう。これは、
市と芋の仕組みを教えてもらったことへの報酬じゃ」
大友の当主は豪快に笑った。
「市が回れば、いずれ二千万文以上の利益が大友家へ戻ってくる。それに、
八郎商会との交易に大友商会が手数料を乗せられるようになれば、この程度の銭では済まぬからな」
「それでも大金でございます。本当にありがとうございます」
二郎は深く頭を下げた。
「八郎領には、肥前をはじめ、まだ多くの借金が残っております。この二千万文があれば、
また順番に証文を消していけます」
「大いに使ってくれ」
そう言った後、大友の当主の表情が少し引き締まった。
「それとな。その後には、大内の話があるからな」
広間の空気が変わった。
「やはり、近いうちに動かれるおつもりでございますか」
「大友商会がもう少し落ち着き、八郎の方でも肥前の借金に目処がつけば、必ず話が出るじゃろう」
大友の当主は、九州の絵図を思い浮かべるように語った。
「八郎家は、肥後、薩摩、肥前から合わせて二万五千から三万ほどの兵を出せるはずじゃ」
「おそらく、その程度は」
「大友家からも、一万五千から二万は北へ向けられる」
両家を合わせれば、四万から五万近い軍勢になる。
大友家は、八郎家との同盟によって南や西を警戒する必要が薄くなっていた。
四国方面から大軍が攻め込んでくる可能性も、今のところは低い。
「五万近い兵で押し込めば、大内の本州側の領地をすべて奪えるかは分からぬが、
九州から追い出すことくらいはできる」
「筑前と博多でございますな」
「八郎が一番欲しがっておるところじゃ」
大友の当主は笑った。
「帰ったら、八郎に伝えておいてくれ。大友家も、その話をする用意があるとな。
こちらから書状も出す」
「承知いたしました」
ニ郎と三郎は、自然と背筋を伸ばした。
豊後へ来た時は、市と芋の立ち上げが仕事だった。
それが終わろうとしている今、次に待っているのは、大内を九州から追い出すための話し合いである。
「それに、姫君たちの縁談がいくつか決まれば、大友家と八郎家、その周辺の家との縁も、
さらに深くなる」
当主は、楽しそうに語り合っている若者たちへ目を向けた。
「戦の前に、市と縁を整える。いかにも八郎らしい順番じゃな」
「本人は、そこまで深く考えていないと言うでしょうけどね」
「それで周りがまとまるのだから、なお恐ろしいわ」
宴の席に笑い声が広がった。
豊後での役目は、間もなく終わる。
兄弟たちは二千万文の銭と、大友家からの書状、そしていくつかの新しい縁談の話を持って、
八郎のもとへ帰ることになる。
その帰還を境に、九州の動きは、市や借金返済だけでは収まらない。
大内と博多を巡る、さらに大きな話が始まろうとしていた。




