1535年5月1週目。南伊予で八郎商会が市の導入について農民や国人衆に説明する。侵略の意図を隠さないが所領保証等話をする。
南予へ入った八郎商会の者たちは、港を中心とした物流の道筋を調べながら、
寺や神社で炊き出しを続けていた。
飯を配る相手は、農民や漁師だけではない。地元の国人衆や、その家臣たちにも声をかけ、
今の暮らし向きや商いの状況を聞いて回っている。
「先に言うておくが、うちには施しを受けても、そちらへ返せるものなんぞないぞ」
村の年寄りが警戒したように言うと、八郎商会の男は笑って首を振った。
「別に、何か返してもらおうと思って飯を配っているわけやありません」
「では、何が欲しいんじゃ」
「四国のことを教えてほしいんです。村の暮らしはどうなのか。米は足りているのか。
作物を作っても売る場所がないのか。借金に困っていないか。その辺を知りたいんですわ」
「借金を聞いて、どうするんじゃ」
「減らせるかもしれません」
その言葉に、農民たちは顔を見合わせた。
八郎商会の者は、九州で行っている仕組みを説明した。
寺や神社、城下に市を開き、農民から米、野菜、卵、魚、薪などを適正な値で仕入れる。
その代金を農民へ払い、商人との帳面を突き合わせ、利の高い借金や返済期日の
近い証文から消していく。
「うちは九州中で、それをやって勢力を広げてきました。今は大友様の豊後でも、
大友商会という形で同じ仕組みを入れ始めております」
「そんな夢みたいな話があるか」
「夢やありませんよ。八郎領は、それで回っておりますから」
八郎領では、城の収支だけを見れば、さほど大きな利益は出ていない。
年貢を集めても、城の修繕や兵糧、武具、小競り合いの費用で消えていく。
足りなければ城が借金を負い、その負担が侍や農民へ回る。
「八郎様の家も、もともとは城も侍も農民も、借金で苦しんでいたところから始まっております。
ですから、その辺の面倒を見ることについては、かなり慣れております」
「ほな、何を出せばええんじゃ」
「最初に出してほしいのは、帳面と証文ですね」
「銭や米ではなく、借金の証文か」
「はい。誰が、誰から、どれだけ借りているのか。それが分からんと、
どれくらいの市を作れば返せるのかも分かりませんから」
さらに、市では銭だけでなく、米や作物による支払いも可能にするつもりだった。
農民が米で布や鍋を買えば、その米を八郎商会が引き取り、商人には銭で支払う。
物を持っていても銭に換えられない農民に、換金の道を作るのだ。
「よう分からんが、損をせん話なら、一度くらいやってみてもええ」
農民たちは、まだ半信半疑ながらも、市の話に耳を傾け始めた。
一方、地元の国人衆との話は、もう少し厳しいものになった。
「正直に答えよ」
国人の当主が、八郎商会の者をにらんだ。
「八郎は、四国を狙っておるのだろう。九州はほとんど手中へ収め、大友とも手を結んだ。
残るは大内だけ。その次が四国ではないのか」
「否定はいたしません」
商会の者は、ここでもごまかさなかった。
「この施しが、八郎家の評判を広げるための毒まきではないかと言われれば、そういう面もございます」
「やはり脅しではないか」
「聞こえを悪くすれば、脅しでしょうな」
男は静かに答えた。
「ですが、八郎家は取った土地の借金を、城も侍も農民も含めて肩代わりしております。
領地を取るだけ取って、後は知らんという家ではございません」
大軍を四国へ向けるとしても、それは大友と共に大内を九州から追い出した後になる。
それまでは交易と炊き出しを続け、市を入れられる土地を探す。できるなら戦をせず、
八郎家の傘下へ入ってもらいたいというのが八郎の本音だった。
「四国では、領主様を無理に替えるつもりもないと聞いております」
「どういうことだ」
「八郎様は、四国の土地勘も人のつながりも分からんことが多いと申しております。
ですから、今の領主様には、そのまま領地を治めていただく」
城も所領も身分も残す。
その代わり、八郎商会の市を受け入れ、港での交易を認め、八郎家へ恭順する。
戦の際には協力し、周辺の争いについても八郎家の仲裁を受ける。
「九州では、責任を取って隠居していただいた当主もおります。ただ、
四国では土地を知る方を残した方がよい。八郎様は、そう考えておられます」
「領主の座を保証したうえで、市を入れさせろということか」
「そうなります」
「市を入れれば、いずれ銭と物の流れを握られる。結局、首根っこをつかまれるではないか」
「それも否定はできません」
商会の者が素直に認めると、国人衆は思わず苦笑した。
この一帯は、土佐一条家と西園寺家の間にある。立場としては西園寺家に寄っているものの、
完全な家臣というわけではなく、一定の独立性を保っていた。
しかし収入が多いわけではない。
周辺との小競り合いがあれば武具や兵糧に銭がかかり、港の商いも、
近頃は八郎商会を通さなければ大きく動かなくなりつつあった。
「本気で八郎商会に商いを止められれば、うちでは耐えられんやろうな」
「止めるために来たわけではありません。増やすために来ました」
「分かっておる。だから余計に厄介なのだ」
国人の当主は腕を組んだ。
「市を入れること自体は認めてもよい。農民の借金が減り、港の取引が増えるのであれば、
こちらにも利がある」
「ありがとうございます」
「ただし、八郎家の傘下へ入るかどうかは、わし一人では決められぬ。周りの国人衆とも
話をさせてくれ」
「もちろんです。いくらでも待ちますよ」
八郎商会の者は、深く頭を下げた。
「まずは市だけ見てください。農民から仕入れ、借金が実際に減るところを見たうえで、
八郎家とどう付き合うかを考えていただければ結構です」
こうして南予では、まだ一兵も動いていないにもかかわらず、八郎商会の市を受け入れる
話が動き始めた。
傘下へ入るかどうかは決まっていない。
だが、米と飯から始まった話は、すでに土地の銭と物流、そして国人衆の未来にまで
入り込もうとしていた。




