1535年4月4週目。二郎が豊後の芋の作付けを手伝う。住民に焼きいもと芋焼酎を配りながら説明。
一方、豊後で芋の作付けを担当していたのは二郎だった。
肥前の芋作りは一郎が見ており、兄弟二人はそれぞれの土地を回りながら、
新しい畑を増やすために奔走していた。
もっとも、豊後の者たちの反応は、最初から好意的だったわけではない。
「このような物を植えて、本当に役に立つのでございますか」
大友家の家臣も農民も、見慣れない芋を前にして首をかしげていた。
米や麦なら分かる。
しかし、土の中へ見慣れぬ種芋を埋め、それを領内へ広げると言われても、すぐには信用できない。
そこで次郎は春姫と共に、芋を植える予定の土地を一つずつ回ることにした。
二人が持ち歩いていたのは、種芋だけではない。
焼き芋と、八郎領で作られた芋焼酎であった。
「今から皆さんに作ってもらおうとしているのが、こちらです」
次郎が包みを開くと、焼きたての芋から甘い香りが立ち上った。
「まず食べてみてください。酒を飲める方には、こちらも少しだけ」
「作らせる前に、食わせてくれるのですか」
「何を作るのか分からんままでは、やる気も出んでしょう」
農民たちは恐る恐る焼き芋を割り、口へ運んだ。
柔らかい中身を噛んだ途端、あちこちで驚きの声が上がった。
「甘い!」
「砂糖を使っておるのか?」
「何も入れておりません。焼いただけです」
「芋が、これほど甘うなるのか」
今度は芋焼酎が、小さな器へ注がれた。
強い香りに顔をしかめる者もいたが、一口飲んだ者は、驚いたように器を見つめた。
「癖はあるが、うまいな」
「米の酒とは、まったく違う」
「父上は、この酒が大好きなのでございます」
春姫が楽しそうに笑った。
「私はあまり飲みませんが、気に入る方には、たまらない味なのだそうです」
「姫様も畑を見て回られるのですか」
「もちろんです」
春姫は動きやすい着物の裾を持ち上げ、畑の土を手に取った。
「芋はおいしいだけではありません。酒にすれば、遠くの土地へ運んで売ることもできます。
交易品としても、かなり堅い商いになると思いますよ」
「では、これが銭になるのですか」
「なります」
二郎がうなずいた。
「焼き芋として売ってもよい。酒にして畿内や瀬戸内へ運んでもよい。
食べ物にもなり、銭にもなる。それに米が取れにくい土地でも育てやすいんです」
ただし、大友領八十万石のすべてを芋畑に変えるわけではない。
「作付けするのは、全体の五分ほどを考えております。一割にも届きません」
「それだけでよいのですか」
「十分です。水はけの悪いところや米に向かない土地、休ませている畑を中心に使います。
米や麦を減らしすぎたら、かえって困りますから」
凶作になった時には食料となる。
豊作なら焼酎へ加工し、外へ売る。
芋には、農民の腹を満たす役目と、大友商会へ利益をもたらす役目の両方があった。
「たくさん持ってきておいて、よかったですね」
農民たちが次々に焼き芋へ手を伸ばす姿を見ながら、春姫が言った。
「そうやな」
ニ郎はうなずいた。
「食べてもろて、納得したうえで作ってもらう方が、やる気も違うやろうからな」
こうして土地を回りながら、二人は作付けの方法を教えていった。
畝の作り方。
種芋を埋める間隔。
雨が多い土地で水を逃がす方法。
収穫した芋を腐らせずに保管する方法。
ニ郎は穏やかに説明していたが、作業の内容は細かく、農民たちは覚えるだけでも必死だった。
「ニ郎様方が、すべて植えてくださるのでございますか」
「最初の一月ほどは手伝います」
ニ郎は答えた。
「ただ、全部を八郎領の者でやってしまうつもりはありません」
「なぜでございますか。その方が早いのでは」
「早いでしょうね。ですが、それでは大友家の皆さんに、何も残りません」
市の立ち上げを担当する三郎とも、同じ話をしていた。
八郎領で完成した仕組みを、そのまま豊後へ持ち込み、兄弟たちがすべて動かせば、
失敗は少なくなる。
しかし、それでは大友家の家臣や農民は、八郎家に言われた通りに動いただけになってしまう。
「私たちは、ある程度まで進めたら引きます」
ニ郎は集まった者たちを見渡した。
「今のうちに、よく見て覚えてください。どの土地なら芋が育つのか。
水はけが悪い時にどうするのか。種芋をどう残すのか。残りは皆さんにやってもらいます」
「我々だけで、できるでしょうか」
「できるようになってもらわないと困ります」
ニ郎の口調は穏やかだった。
しかし、その言葉には逃げ道がなかった。
「大友商会が自分たちでできないというのであれば、八郎商会が豊後の
芋作りを引き受けることになります」
「それは……」
「そうなれば、畑も種芋も加工も、八郎商会が握ることになるでしょう」
大友家は交易で多くの利益を上げ始めている。
しかし、市と農業については、まだ八郎領の仕組みに頼っている状態だった。
「せっかく交易で稼げるようになっているのに、農業まで八郎商会へ渡してしまうのは、
もったいないでしょう」
「その通りでございます」
「なら、大友家の仕事として覚えてください」
芋は、凶作への備えでもある。
米が取れない年でも、芋が残れば人は飢えにくい。
「八郎領でも最初は一部の土地だけで試しました。ただ、食べてみればうまい。
酒にしてもうまい。それで、これは領内全体に広げなあかんという話になったんです」
ニ郎は半分に割った焼き芋を手に取った。
「やらんと損ですよ、これは」
農民たちから笑いが起こった。
「いずれは豊後だけでなく、九州の名産にしたいと思っています。
畿内へ運んで高く売れれば、その銭でまた畑を整え、皆さんの暮らしもよくできます」
「そこまで考えておられるのですね」
「ですから、頑張りましょう」
ニ郎は相変わらず、柔らかな笑みを浮かべていた。
しかし、大友家の家臣の一人は、少し引きつった顔でつぶやいた。
「ニ郎様は、穏やかそうに見えて、なかなか厳しいことを申されますな」
「そうでしょうか」
「できなければ八郎商会が引き取る、と笑いながら言われました」
「本当のことですから」
春姫が隣でくすくすと笑った。
「八郎様のお兄様方は、皆様このような感じでございますよ」
「八郎様だけではなく、兄上方までこれほどとは……」
大友家の者たちは、改めて八郎家の兄弟の恐ろしさを知った。
怒鳴ることも、無理に命じることもない。
焼き芋と焼酎を配り、農民を笑顔にしながら、気づけば大友家自身が芋作りを
成功させなければならない状況を作っている。
豊後の畑には、少しずつ新しい畝が増え始めていた。
その土の下へ植えられる芋は、凶作を防ぐ食料であり、豊後の新しい名産であり、
何より大友家が自分の力で立ち上がるための試金石なのであった。




