1535年4月3週目。南伊予での炊き出しから借金が減るなら市を開いてほしいという気運が広がる
南予で交易を行っていた八郎商会の者たちのもとへ、八郎から新たな指示と銭が届いた。
「まずは、困っている者に飯を食べてもらってください。そのうえで、何に困っているのかを
聞いてきてください」
八郎から渡された予算は、当面の炊き出しを行うには十分な額だった。
商会の者たちは、さっそく南予の寺や神社を訪ね、境内を借りられないかと頼んで回った。
「九州から来た八郎商会という者です。八郎様から銭を預かっておりますので、こちらで
炊き出しをさせてもらえませんか」
「何でまた、よその土地で飯を配るんじゃ」
「四国でも商いを広げたいと考えております。そのためにも、まずは皆さんが何に
困っているのかを知りたいんです」
寺の和尚や村の者たちは、不審そうな顔をしながらも、腹を空かせた者がいるのは事実だった。
大鍋で米を炊き、魚のつみれと野菜を入れた汁を作る。少量ではあるが、漬物と煮物も添えた。
匂いにつられ、最初は遠巻きに見ていた農民たちも、一人、また一人と集まってきた。
「銭は取らんのか」
「今日は取りません。腹いっぱいとはいきませんが、遠慮せず食べてください」
農民たちは警戒しながら椀を受け取った。
温かい汁をすすり、飯を口へ運ぶうちに、少しずつ表情が和らいでいく。
やがて、一人の老人が商会の者へ尋ねた。
「正直に言え。八郎というお方は、四国も狙っておるのじゃろう」
「それは、まあ、狙っておりますね」
商会の者があっさり認めると、周囲の手が止まった。
「やはりそうか!」
「ですが、いきなり兵を送って城を取ろうという話ではありません」
商会の者は慌てずに続けた。
「こうして皆さんと飯を食べながら話をして、戦をせずに何とかできるところはないかを
考えているんです。八郎様としては、まず交易を増やしたいと考えております」
「交易を増やして、最後には領地を取るのじゃろう」
「それは領主様方との話し合いになります。ただ、少なくとも農民の皆さんから、無理に田畑を
取り上げるようなことはしません」
八郎商会は、すでに九州の多くの地域で市を動かしている。
島津本家、島津分家、龍造寺とも取引を行い、大友家とは同盟を結んだうえで、
大友商会の立ち上げを手伝っていた。
「九州では、大内を除けば、ほとんどの土地で八郎商会か、うちの仕組みを使った商会が
動き始めております」
「そんなに広がっておるのか」
「はい。ですから、次は本州や四国で、どう商いを増やすかというところまで話が進んでおります」
農民たちは顔を見合わせた。
「うちらには、そんな大きな話は分からん」
一人の男が、空になった椀を見ながら言った。
「九州をどうするとか、四国を取るとか、そんな話より、明日の飯をどうするかじゃ。
畑で作っても買い叩かれるし、借金の利ばかり増えていく」
「そこなんです」
商会の者はうなずいた。
「八郎商会は、その目先の飯と借金を何とかするのが得意なんです」
「商人が、農民の借金をどうするというんじゃ」
「まず、市を開きます」
農民から米や野菜、卵、魚、薪などを適正な値で買い取る。
これまで売る場所がなかった物にも値をつけ、八郎商会が仕入れる。農民へ支払われた銭の一部は、
そのまま商人への借金返済に回す。
「つまり、皆さんが作った物を、うちが銭に換えるんです」
「作物を持っていけば、ほんまに買ってくれるのか」
「何でも、どれだけでもとは言いません。ただ、市で使える物や、よそへ運んで売れる物には、
きちんと値をつけます」
さらに寺や神社でも市を開き、銭がなくても米や作物で品物を買えるようにする。
農民が米で布や鍋を買えば、その米は八郎商会が引き取る。商人には銭で代金を渡し、
集めた米は別の土地へ運んで売る。
「そうやって物を回しながら、皆さんの借金の証文を少しずつ消していきます」
「借金が、消える?」
境内の空気が変わった。
「九州では、実際にやっております。一つの地域で毎週、何十万文、うまく回れば百万文ほど
農民から仕入れます。その銭で、利の高い借金から返していくんです」
「そんなことをしたら、金を貸した商人が怒るじゃろう」
「最初は怒ります」
商会の者は笑った。
「ですが、八郎商会との取引から外されるよりは、利を下げた方がよいと考えるようになります。
五割の利が三割五分になり、さらに二割五分まで下がることもあります」
農民たちから、ざわめきが起こった。
「五割の利を、下げさせたのか」
「はい。借金の元本も、証文ごと破って消しております」
「証文を破る……」
先ほどの老人が、震える声で尋ねた。
「わしらのところでも、市を一度やってくれれば、借金は減るのか」
「一度ですべては無理です。ですが、一回でも市を回せば、その分だけ確実に減ります」
「十万文仕入れてくれたら、十万文返せるということか」
「そういうことです」
「それを毎週やるのか」
「皆さんが品物を持ってきてくれて、市が続くなら」
農民たちの目に、先ほどまでとは違う光が宿った。
「うちには卵がある」
「うちは米を少し出せるぞ」
「魚なら毎朝取れる。ただ、売りに行く道がないんじゃ」
「それも調べます。必要なら荷を運ぶ者を雇いますし、道や船着き場についても、八郎様へ報告します」
「ほんまに、そこまでしてくれるのか」
「八郎様は、もともと庄屋の八男ですからね」
商会の者は少し誇らしげに笑った。
「今でこそ、とんでもなく大きな家になりましたが、物を仕入れ、売る場所を作り、
借金を減らす仕組みについては、うちの八郎商会が一番やと思っております」
農民たちは、次々に自分たちの作物や借金の状況を話し始めた。
誰が米を余らせているのか。
どこの漁師が魚を捨てているのか。
どの商人から、どれほどの利で銭を借りているのか。
ただの炊き出しだったはずの境内は、いつの間にか、市を開くための相談の場へ変わっていた。
「ほな、騙されたと思って、一度ここで市をやってくれんか」
老人が頭を下げた。
「借金が少しでも減るなら、うちらも言われたとおり品物を持ってくる」
「分かりました。領主様や国人様とも話をしてみます」
八郎商会の者は、帳面を開いた。
「まずは、皆さんが何を作れて、どれだけ借金があるのか。そこから一つずつ確認していきましょう」
南予へ持ち込まれた二百万文は、まだ城を一つも落としていない。
だが、温かい飯を食べ終えた農民たちの心には、八郎商会の市への期待が、
確かに染み込み始めていた。




