1535年4月3週目。八郎は報告も兼ねて通っていた和尚様の寺に寄進と弁当を持って伺う。
帳面合わせを終え、少しばかり息をつく時間ができた八郎は、久しぶりに昔住んでいた
場所の近くにある寺を訪ねることにした。
和尚への寄進として、銭だけを持っていくのも味気ない。屋敷で作らせた弁当と、
寺子屋の子供たちでも食べられる菓子をいくらか包ませ、少人数の供を連れて寺へ向かった。
寺では、今日も和尚が子供たちに読み書きと数を教えていた。
「あっ、八郎様や!」
「八郎様が来た!」
子供たちは、八郎の姿を見つけると一斉に駆け寄ってきた。
「こんにちは。皆さん、きちんと勉強しておりますか」
「しております!」
「うちも八郎商会で雇ってください!」
一人が声を上げると、ほかの子供たちも自分も自分もと手を挙げた。
「働き手は、なんぼでも要りますよ」
八郎は笑いながら答えた。
「まずは数をきちんと覚えてください。品物を数えたり、帳面をつけたりせなあきませんからね。
読み書きが苦手でも、薪割りや荷運び、料理の手伝いもあります。ここでしっかり学んで、
働けるようになったら、八郎商会をよろしくお願いします」
「はい!」
元気な返事を聞いてから、八郎は和尚のいる本堂へ向かった。
「和尚様、お久しぶりでございます」
「よう来たな。忙しいのに、こんなに持ってこんでもええのに」
和尚は、供の者が運んできた弁当や包みを見て苦笑した。
「そう言われましても、初めの頃に助けていただいたのは和尚様ですから。
ある程度は受け取ってください」
「ある程度という量ではないように見えるがな」
「僕も最近、扱う銭の額がおかしなことになっておりますので、さじ加減が分からなくなってきまして」
「それが一番怖いわ」
「和尚様のご迷惑にならない程度には抑えたつもりです」
和尚は呆れながらも、弁当の包みを受け取った。
「しかし、そら金銭感覚も変わるわな。もう九州のほとんどを押さえたようなものやろ」
「まだ押さえてはおりませんよ」
八郎は和尚の前へ腰を下ろした。
「今は兄様方を豊後へ派遣して、大友家に大友商会を作っていただいております。
大友領は八十万石ほどありますから、すべてをすぐ動かすのは無理ですけどね」
「八十万石を、すぐ動かせんから困ると言う五歳児も珍しいな」
「まずは三万五千石ほどのまとまりから、市を立ち上げてもらっております。
最初の一つを兄様方と姫君たちが見本として作って、あとは大友家の者たちだけで
順番に広げられるようにするつもりです」
大友領に大友商会の市が行き渡れば、農民の作物を適正な値で買えるようになる。
そこで生まれた銭を借金返済へ回し、農民の元本と利息を減らす。八郎領や肥前、
島津で行ってきた仕組みを、豊後にも根づかせるのだ。
「九州に残る大内の勢力以外には、ほとんど八郎商会から枝分かれした商会か、
市が入る形になります。うまく回れば、農民の借金はかなり減ると思います」
「その辺が、八郎はうまいな」
和尚は感心したようにうなずいた。
「領地を奪うより先に、市と銭の流れを作ってまう。大友とも戦わず、
気がつけば同じ仕組みの中に入れてしもうた」
「配下にしたわけではありませんよ。大友家は大きすぎますから」
「石高だけで言うたら、今の八郎の方が大友の倍ほどあるんやろ」
「まあ、合わせればそのくらいになりますけども」
「それを人は、十分に大きいと言うんや」
八郎は曖昧に笑った。
「大友家からは、姫君との縁談の話もいただいております。ただ、
うちの兄弟だけでは受けきれませんので」
「受けきれんほど姫が来るのも、普通ではないけどな」
「ですから、島津本家や分家、龍造寺など、九州の有力者同士でも縁を結べるように、
うちが仲介する形にしております」
「それも賢いやり方やな。兄たちの負担を減らしながら、九州中を縁戚でつないでしまう」
「そんな深い考えはないですよ。その方が皆さんにとってええかなと思っただけです」
「深く考えんでも、周りが少しずつ幸せになる方へ進める。それが八郎のええところや」
和尚は穏やかに笑った。
「お前の話は、安心して聞いていられるわ。領地を広げても、誰を苦しめるかより、
どうしたら皆が暮らしやすくなるかを先に考えとる」
「そういうつもりではあります」
「となると、次は大内と博多か」
「博多は欲しいですね」
そこだけは八郎も迷わなかった。
「大友と大内は昔から小競り合いをしておりますから、最終的には大友家と一緒に、
大内を九州から追い出す形になると思います」
「本州まで取りに行く気はないんやな」
「今のところはありません。大内を九州から追い出すだけなら、本州と九州の間には海があります。
船を押さえれば、達成できると思います」
ただし、その前に大友商会を安定させ、肥前の借金返済もある程度進める必要がある。
「大内を気にしながら、四国にも手を伸ばしとるんやろ」
「まだ手を伸ばしたというほどではありませんよ」
八郎は少し困ったように笑った。
「南予の国人衆のところへ、まず二百万文ほど持たせております。炊き出しをしながら、
米が足りないのか、借金に困っているのか、商人が来ないのかを調べてもらっております」
「兵より先に、飯と銭をまくんか」
「困っているところが分からないと、何を手伝えばいいか分かりませんからね。今はまだ、
それ以上には進めません。順番です」
「抜かりなく動いとるな」
「抜かりなく動いてはおりますけど、借金は多すぎて、なかなか減りませんよ。一つずつです」
「それでも、城の借金を返し、農民だけやなく侍の借金まで減らしとる。武力で土地を奪うより、
よほど偉いことをしとるわ」
「借金自体が悪いとまでは言いません。ただ、三割五分や五割の利息では、元本がいつまでも
減りませんから」
八郎商会の規模が大きくなったことで、取引を条件に利息を下げさせる交渉もできるようになった。
「交易品がぐるぐる回れば、八郎商会と付き合いたい商人はもっと増えるやろな」
「博多を取れば、さらに増えると思います。もう豊後との取引だけでも、利益が増え始めていますから。あとは畿内や瀬戸内へ物を運べるようになれば、また変わります」
「なら、順番にやってきなはれ」
和尚は八郎の頭を軽くなでた。
「焦らんことや。お前、まだ五歳やねんから」
「皆さん、それを忘れて話を振ってくるんですよ」
「一番忘れとるのは、お前自身やろ」
和尚に言われ、八郎はしばらく考え込んだ。
境内からは、寺子屋の子供たちが数を唱える声が聞こえてくる。
九州、博多、四国、畿内。
話の規模は際限なく大きくなっていたが、八郎は久しぶりに何も急がず、
和尚と弁当を食べながら、静かな午後を過ごすのであった。




