1535年4月3週目。八郎の野望?四国の南伊予の国人衆の領地に施しとして予算200万文で民や国人衆の不満を探る
四月も三週目に入った。
八郎は自分の領内を順番に回り、市や畑、屋敷で働く者たちの様子を見ながら過ごしていた。
新しく市が立ち上がった土地もあれば、ようやく借金を返し終えた村もある。
大友領へ向かった兄たちからも、揉め事を抱えながら、大友商会が少しずつ動き始めたとの
知らせが届いていた。
そんな中、八郎は日向と大隅の家臣や商人たちを集め、四国について話を始めた。
「四国については、南予から入ることを考えております」
「いよいよ四国へ向かわれるのでございますか」
「まだ本格的には行きませんよ」
八郎はすぐに首を横へ振った。
「優先順位は、あくまで大内の方が上です。大内を九州から追い出し、博多を押さえる。
それが先でございます」
ただし、それまで何もしないわけではなかった。
日向や大隅から宇和海を渡り、南予との交易を少しずつ増やす。商人や漁師を送り、
困っている港や村がないかを調べさせる。
「まず、二百万文を出します」
「何に使うのでございますか」
「炊き出しです」
八郎は平然と答えた。
「南予の港や村を回って、飯を配ってください。そのついでに、八郎家として
何か手伝えることがないか聞いてきてもらいます」
米が足りないのか。
魚は取れても売る場所がないのか。
借金に追われているのか。
それとも道や港が壊れ、商人が寄りつかなくなっているのか。
まずは現地の事情を知らなければならない。
「二百万文で足りますか」
「足りなければ増やします。南予については、数百万文ほど使っても構いません。
思う存分、炊き出しをしてください」
家臣たちは顔を見合わせた。
普通なら、他国へ向かう者に命じるのは城や兵の数を調べることだ。
しかし八郎が最初に調べさせるのは、農民の腹具合と借金の額であった。
「特に西園寺家の周辺にいる国人衆を見てきてください」
八郎は南予周辺の絵図を広げた。
「この辺りは、一つの家がすべてを直接治めているわけではないでしょう。
国人衆がそれぞれ城と土地を持ち、緩く西園寺家に従っている形やと思います」
西園寺家の周辺だけで三万石から四万石ほど。
さらに御荘、津島、河原淵、三間などの国人領を合わせれば、七万石ほどにはなると八郎は見ていた。
「三万五千石のまとまりが、二つ分ほどです。それなら、八郎領でやってきた仕組みを
入れやすいでしょう」
「西園寺家を攻めるのでございますか」
「いきなり攻めませんよ」
八郎は呆れたように答えた。
「まずは、じわじわ染み込ませます」
炊き出しを行う。
農民から米、野菜、魚を適正な値で買う。
寺や神社で市を開き、米払いでも品物を買えるようにする。
借金の証文を集め、商人と利下げの交渉をする。
八郎家が九州で行ってきた仕組みを、南予でも少しずつ見せていくのだ。
「九州でやった時と違って、国人衆の当主をすげ替える必要はありません」
八郎は続けた。
「今の当主が、そのまま治めればよいと思います。うちは市を作り、借金を減らし、仕事を増やします」
「その代わりに、何を求めるのでございますか」
「市を置かせてもらうこと。それから八郎家に従うと約束してもらうことです」
領地も城も、無理に取り上げない。
八郎商会と取引し、港や市の警護を八郎家へ任せる。戦になった時には兵を出し、
八郎家の指示に従う。
それだけ受け入れるなら、国人衆の家も所領も残すつもりだった。
「頭をすげ替えず、借金まで返してもらえるのであれば、従う国人も出てくるでしょうな」
「だから、まずは困っているところを探すんです」
最終的には、宇和島周辺まで影響を広げたい。
宇和海の港を順番に押さえれば、日向、大隅、豊後から人や荷を送りやすくなる。
南予に八郎商会の市が根づけば、大軍を送り込む前から、八郎家を歓迎する者も増えるはずだった。
「土佐の一条家については、どうされますか」
「今は触らなくてよいです」
八郎は土佐の絵図を眺めた。
「土佐は広いですが、山が多いでしょう。国全体でも十万石ほどしかありません。
苦しんでいる者がいれば助けますが、急いで土地を取っても、道と兵糧の維持が大変です」
対して伊予は三十数万石ある。
南予だけを取っても、港、農地、漁場を手に入れられる。そこから北へ進めば、
瀬戸内海にも近づける。
「四国を調べてみましたが、伊予の方が随分と大きいのですね」
家臣の一人が感心したように言った。
「土佐はあれだけ広いのに、十万石ほどしかない。少し、押さえがいがないと申しますか」
「山を取っても、飯は増えませんからね」
八郎は苦笑した。
「ただ、南土佐も放っておくわけではありません。南予へ市を入れれば、宿毛や一条家の領地にも
商人が行きます。困っている者がこちらを頼るなら、その時に考えます」
まずは南予。
大内を追い出すまでは、炊き出しと交易、市の立ち上げを中心に、ゆっくり浸透させる。
そして九州を安定させた後、すでに八郎商会が入り込んでいる土地へ、一気に兵を送る。
「南予を押さえ始めれば、大内とのやり取りも変わってくるでしょうね」
「どう変わるのでございますか」
「九州だけに閉じ込められている家ではなくなりますから」
八郎家が四国に足場を持てば、大内にとっても無視できない勢力になる。
博多を巡る交渉でも、八郎家の価値はさらに上がるはずだった。
「いよいよでございますな」
家臣の一人が、楽しそうに笑った。
「何がですか」
「八郎様の野望が、九州の外へ向かい始めたのでございます」
「まだ炊き出しをするだけですよ」
「八郎様の場合、その炊き出しの後に、市ができ、借金が消え、気づけば領地になっておりますからな」
周囲から笑いが起こった。
八郎は少し不満そうな顔をしながらも、否定はしなかった。
南予へ向かう最初の船に積まれるのは、兵の槍ではない。
米と鍋と、二百万文の銭である。
しかし、それこそが八郎家にとって、城を落とすより先に土地を染めていく、
最も恐ろしい武器なのであった。




